合成燃料は、二酸化炭素と水素を合成して作る燃料で、使用する際の二酸化炭素の排出量が実質ゼロとされ、脱炭素社会の実現に向け注目されている。可能性と課題を考える。
もちろん大学入試はパズルだ、ゲームだ。 特に現国は単純だ。なぜなら、出題文【だけ】が範囲であり、書き手の思想や主張がよく分からなくても、「正解」は出題文+問題文に表れているから。「例の方法」が役立つのはそういうわけ。 そのため、問題文や選択肢を先に目通しして、それから俎上の文章に取り掛かる。なぜなら、どこを読めば「答え」が得られるか、問題文に書いてあるから。現国は機械的に解ける。出題者が「答え」にさせたいものを探してつなぐパズルなのだから。そこではむしろ「自分」こそジャマだ。だれも「わたしの考え」なぞ求めちゃいないから。 そういうトレーニングを積んで、テスト【だけ】良い点とってたわたしは、アタマガツンとやられた。出題文を徹底的に読み込んで、懐疑して懐疑して、懐疑する自分も疑ってかかって、「誤読」を見つけ出す。 誰の? それは、出題者の、解答者の、解説者の誤読だ。さらに最初の文章を書いた人の
城繁幸氏の「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか~アウトサイダーの時代~」を読んだ。富士通を辞めて内部告発的な本を出したときから彼のことは注目していた。このブログを2004年に始めたときも3番目の記事で取り上げていた。格差問題や就職氷河期などについてもだいたい同じ意見だ。会社や日本社会に対して、うまく口にできないもどかしさや閉塞感を抱えている若者は読んでみるといいと思う。 年功序列と既得権を死守する大企業や官僚機構の中高年、左翼政党。これらを著者は昭和的価値観またはリバイアサンと呼んでいる。この本では、こうした旧体制に支配された江戸時代の封建制のような社会を変えようと、いつになく過激な言葉で若者をあおっている。このままいくと、ロストジェネレーションは35歳をこえ統計からもロストしてしまう。職務給や自由な労働市場を早く実現しないと、本当に彼らはホームレスになる。あと10年の空白がロスジェネ世代
経済の文明史 (ちくま学芸文庫) 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,玉野井芳郎,石井溥,長尾史郎,平野健一郎,木畑洋一,吉沢英成出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2003/06/01メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 36回この商品を含むブログ (50件) を見るマルセル・モースの贈与・交換論やマリノフスキーの文化人類学に依拠しながら、新たなる経済人類学という学問領域を作り出した、ポランニーの著作である。 昨日、ファシズムと相対主義の話を書いたのだけど、今日カール・ポランニーの『経済の文明史』を読んでいたら「ファシズムの本質」というポパーに位置の近い論考があって驚いた。この「ファシズムの本質」も、キリスト教的個人主義とファシズムは絶対的に相反するものだと考えている。ヒトラーやムッソリーニはキリスト教を排除しようとしたが、独裁政治のためにはキリスト教個人主義はあっ
哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書) 作者: 入不二基義出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/12/01メディア: 新書購入: 8人 クリック: 95回この商品を含むブログ (37件) を見る 入不二基義さんの新刊『哲学の誤読:入試現代文で哲学する』は、なかなかの傑作である。大学の入試問題に実際に出た、野矢茂樹「他者という謎」、永井均「解釈学・系譜学・考古学」、中島義道「幻想としての未来」、大森荘蔵「「後の祭り」を祈る」という文章を題材にして、予備校の解答例がいかにそれらの哲学的文章を読めてないかを指摘し、哲学の文章が、哲学ではない文章へと変換されていく仕組みを考察したものである。この仕組みの原因のひとつは、哲学の文章の意味するところのものがプロの解説者によってさえ往々にして理解されていないところにあるのだが、それと同時に、入試の現代文というパラダイムそれ自体にも
11月16日(金)に書いたエントリーの続き、「ここで書かれていることと、梅田さんが彼のブログや、本書『ウェブ時代をゆく』の中で繰り返している「大きな企業に勤めるだけが人生じゃないよ。みんな、もっと多様な生き方を視野に入れたらいいのに」という趣旨の主張との間には、かなり距離がないだろうか。」と書いた続きである。「距離がないだろうか」という表現が示したいのは、それらが矛盾しているという意味ではなくて、本来それら二つの記述は独立しているはずだという意味である。ウェブの時代になって個人がパワーアップし「内面的な報酬」を獲得できるチャンスが増えることと、職業選択の話とがだ。 そうだとすれば、梅田さんのテキストから3つの生き方が導き出されると考えてよいはずだ。 A.「内面的な報酬」を求めてウェブでパワーアップし、そのパワーを職業生活の外で発揮する。 B.「内面的な報酬」を求めてウェブでパワーアップし、
そうか僕が「雑種路線」という言葉で表現したかった何かは、本書でいうところの「けものみち」だったかと腑に落ちた。これまで漠然と属人的にしか語ることのできなかった時代の転換期を生きる知恵のようなものが、精緻に言語化されている。IT産業に身を置くひと、これからIT業界を志すひとに限らず、これからの時代を生き抜く上で誰もが得るところのある本ではないか。 「けものみち」という誰にとっても現実的な新しい生き方の智恵を示した上で、自分に合った「けものみち」を模索するための「ロールモデル思考法」という方法論にまでブレークダウンしているところが特に秀逸といえる。コンサルタントとしてIT社会で起こっている変革を、噛み砕いて説き起こしてきた著者の面目躍如といったところか。 本書を読んで僕を含めて多くのヒトが勇気づけられただろう。これから就職活動をする学生は特に、何となく憧れから有名企業や羽振りのいい業界ばかり受
2007年11月14日、梅田望夫さんによる『ウェブ時代をゆく――いかに働き、いかに学ぶか』(ちくま新書)の刊行記念講演会が、 丸善丸の内本店3F日経セミナールームで開催されました。以下はその講演の抄録です。 本に囲まれて育ちました。本が好きです。子どもの頃、当時の日本橋の丸善に、作家だった父に連れられて始終きていましたから、今日丸善でお話をするというのはとても感慨深いです。そういう環境で育ったので、本には特別な思い入れがあります。特に日本の出版をめぐる文化が好きで、出版社の編集者の人たちとか書店で本を売っている人たち、本に敬意を抱きながら日々生活をしている、そういう人たちやそういう文化が好きです。ある偶然でものを書くようになりましたが、職業作家ではありませんから、本を書くということは、自分の人生にとって突然訪れた大きなイベントで、本を書くことに過剰なエネルギーをつぎ込んでしまいます。 『ウ
「ウェブ時代をゆく(梅田望夫)」(参照)は当初思っていたより重厚で読み応えがあり、また提示されているいくつかのダイコトミー(二分法)が多少錯綜するかにも見えるので、図解的に整理してみたい気分にもなった。が、そうしていると読後の記録を逸しそうになるので、強引だが取りあえず自分の思いの側からエントリを書いておきたい。 読者対象はIT系志向の30歳から45歳の働き盛りのビジネスマンだろう。彼らに今後進展するウェブ時代の傾向と、どのように働き生き抜くかという課題を提示し、著者の知識と経験から具体的な対処の手法を各種示唆している。いくつかの部分は昨今流行のライフハック的な箇条書きにもまとめられるだろう。 本書の目論見は、twitterで対象範囲の読者たちの感想を私が散見した範囲では、正面から受け止めている。だが実践面で本書が説く「けものみち」、つまり大企業から離れて職業人として生きていく進路には、さ
「『テロとの斗い』という物言いは、なんだか卑怯だよなぁ~、ごにょごにょ」と前から感じていたのですが、なぜ卑怯なのか、論理的に明確にできずモヤモヤを感じていたところ、出張の移動中に読んだ「ウェブ炎上」(荻上チキ、ちくま新書)※旧「成城トラカレ」、現「荻上式blog」の方です※を読んでスッキリ膝を打ちました(リアルに膝は打っていない)。 興味深い指摘なのでメモを兼ねて、ポッポ弟さんの「テロリストの怖いのが平気でこの国をうろうろしている」※本日の鳩山法相 - 一人でお茶を※と絡めて。ポッポ弟さんは法相就任時に確か、共謀罪成立に意欲を見せていたし。 「ウェブ炎上」で膝を打ったその指摘というのは、いわゆる議題設定に関してでして、まず、 <「テロの可能性」というのは常に潜在的でイレギュラーなものであり、その可能性は誰にも否定できない=p129> を前提として、 <例えば「テロに屈するか、屈しないか」と
キリスト教を問いなおす (ちくま新書) 作者: 土井健司出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2003/08/01メディア: 新書購入: 2人 クリック: 27回この商品を含むブログ (13件) を見る 土井さんの、この本をちびちびと読んでいる。土井さんはキリスト教神学者であり、最近では生命倫理問題でも発言している(ちなみに土井さんは私に対しては批判的)。この本の最初で、キリスト教は十字軍や魔女裁判などで多くの人の命を殺戮した宗教ではないのかという疑問に正面から答えようとしている。そして、「キリスト教」と「キリスト教を信じているという人」を分けようと提案する。 まず単純に考えてみましょう。たとえば凶暴な性格の人がいて、その人がたまたまキリスト教を信じていたとします。その人がキリスト教の悪口を言った他人を殴り倒したとすると、その人はキリスト教徒であるからそうしたのか、それとも凶暴な性格である
『現代の貧困 岩田 正美』 日本における「貧困研究」は少ないです。ルポや自伝みたいなのはあっても・・・。なぜかというと世間もアカデミックも忘れていたから。この本は冒頭から「貧困」自体を正確に測定することの困難さを説明することからはじまっています。また、本書からはアカデミックの中での「貧困研究」自体の困難さも伺えました。 著者の岩田正美先生は日本の貧困研究の第一人者だそうです。『犯罪不安社会 』を読んでくださった方が気づかれると思いますが、「犯罪」は「貧困」との関わりから逃れることはできないと気が付き、自分で興味をもっていろいろな文献を読みましたが、数少ない日本の「貧困」研究をされている岩田さんの本はとても勉強になりました。こういった新書でわかりやすい本は貴重だと思いました。 以下本書に書いてあったことです。 ----------------引用 1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」
2007年07月24日02:30 カテゴリ書評/画評/品評Love 書評 - 戦闘美少女の精神分析 文庫化されたので買ってみた。大変な力作。 戦闘美少女の精神分析 斉藤環 しかし、その手法に大変な徒労感を感じる。 本書、「戦闘美少女の精神分析」は、オタク精神医、斉藤環が、サイボーグ009の003から、新世紀エヴァンゲリオンの綾波やアスカに至るまで、日本発のフィクションを席巻している戦闘美少女たちを精神分析したもの。本書は2000年4月に刊行されたので、21世紀の戦闘美少女に対する考察はないが、今読んでも、というより今読んでこそ、「戦闘美少女」という目のつけどころのすごさがわかる一冊。 だからこそ、徒労感も強い。なぜなら、戦闘美少女のことを知りたかったら、戦闘美少女という「将」を正面から射るよりも、その「馬」である彼女たちの「よりしろ」、すなわちオタクたちを射た方が手っ取り早いからだ。そして
読書メモ。 仏教と日本人 (ちくま新書) 作者: 阿満利麿出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/05/01メディア: 新書購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (17件) を見る こうなると、生前に「覚者」となることを目標とする仏教が、どうして死後の「成仏」を目指す仏教に変化したのか、その変化の道筋をたどる必要があるのではないか。そうでないと、仏教は、いつまでも、「原始仏教」や、インテリたちに愛好される道元や親鸞の思想仏教に限られてしまい、多くの日本人に親しい「葬式仏教」は仏教ではないという、いわれのない差別を受け容れて終わりとなり、日本人の創造力の貧困をかこつことになりかねない。 ―まえがきより 僕は信仰を持たない人間で、神も仏も信じてませんが、日本の仏教文化が生みだしてきた豊かな物質文化、寺院建築や絵画や彫刻には関心を持っています。信仰のある人が見る見方とは違う
英語類義語活用辞典 (ちくま学芸文庫) 作者: 最所フミ出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2003/07/09メディア: 文庫購入: 11人 クリック: 70回この商品を含むブログ (15件) を見る この本を、少しずつ読んでいる。これは、英語を本気で学習したい人にとって必読書ではないだろうか。一見、意味が同じように見える類義語の、意味の違いのニュアンスを、見事に説明しきっている。どのページを読んでも、読むたびに目から鱗が落ちる。たとえば、みなさんは、catchとcaptureの違いが分かりますか? catch/capture この2つは対象をとらえることだが、「とらえる」という言葉によって表わし得るものは必ずしも同じではない。 "catch"は一般語で使い方も広い。原則的には空中を飛んでいるものを捕まえる、また逃げかくれしているもの、知られたくないものの不意をつく意味もある。 (1)
著作権の問題によって現代文の問題集や過去問集のいくつかが書店から姿を消していく中、新たな潮流とも言うべき動きが出て来ている。 これまでに僕は書き下ろしによる文章集についての提案を行なってきたが、それに近い形で編集された本を見つけたのでここに紹介する。 「ちくま評論選―高校生のための現代思想エッセンス」 この本は大学の先生の書き下ろしではなく、既存の本から抜粋する形で編集されているものの、僕の理想と考える、今後の時代に相応しい文章集であると思う。 堀江敏幸、黒崎政男、西垣通、斎藤環、斎藤美奈子、吉見俊哉、多木浩二、内田樹、大橋洋一、川田順三、野矢茂樹、大澤真幸、茂木健一郎、福井憲彦、小浜逸郎、永井均、小池昌代、上野千鶴子、尼ケ崎彬、竹田青嗣、前田愛、若林幹夫、石原吉郎、丸山真男、藤田省三、西谷修、北田暁大、東浩紀、見田宗介、岡真理、市村弘正、大江健三郎 この本に収録された筆者の名をあげてみた
2007年06月09日17:45 カテゴリ書評/画評/品評Math 書評 - πの歴史 πの歴史、というより、πで歴史かπと歴史というタイトルの方がふさわしそうな本。 πの歴史 Petr Beckmann 田尾陽一 / 清水韶光 本書「πの歴史」は、πそのものを学ぶ、というより、πを通して著者Petr Beckmannの史観につきあうという本。その独特の史観は読者によっては毒が強すぎると感じるかも知れない。例えば以下の下りを見て、本書が数学史の本であることがわかる人がいるだろうか。 p. 093 ローマは、組織された強盗集団の最初の国でも最後の国でもない.しかし,後の時代の世界中のほとんどの人々をだまして,賞賛するようしむけた点では、唯一の国でもある.理性ある人間であるなら,フン族やナチスやソヴィエトをほめたたえることはないだろう、ところが,何世紀にもわたって,学校の生徒たちは,ユリウス・
「リトマス試験紙」の役割 【茂木】 『フューチャリスト宣言』の中で僕が言っていることは、これまで心の奥深くに隠してきたことだったんです。だから、僕の周囲では驚いている人が多い。「茂木がこういう本を書くとは思わなかった」と。これまでは、心脳問題に関するもの、あるいは文学的なというかウェットなことを書いてきましたから。でも、「はじめに」に書いた通り、僕には「未来志向」が子供の頃から根強くあって、今までそれを封印してきたのですが、この本でそれを出しちゃった。本音を出しちゃった。そういう意味で、自分にとって爽快な本です。 この本をスタートラインにして、やれることがいろいろあるような気がして、僕は覚悟ができたという感じがします。実は、ある時期までは、談合社会でうまく生きている人をうらやましく思ったりもしていたんですが、そういう思いがだんだん減っていって、この本を書くことによって、禊(みそぎ)ができた
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