私たちの生活に欠かせなくなっているスマートフォン。6月、スマホのソフトウェアに競争を導入してさらに安心して使いやすくするための新法が成立。背景と役割を考えます。
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年06月02日 (月)視点・論点 「意外な文化遺産」 ベルリン自由大学教授 イルメラ・日地谷・キルシュネライト 私は今、あるドイツの出版社に頼まれ、一冊の本を準備しています。世界の色々な都市の文学散歩というその出版社のシリーズに、東京を加えたいと頼まれたからです。それ以来、いろいろと考えてきましたが、激しく変貌をとげてきた東京という都市で、昔の雰囲気を今だに保っている、近代文学に登場した場所を紹介するのは容易ではありません。 三島由紀夫の“宴のあと”の舞台となった、美しい庭園のある料亭を紹介するとしても、ごちゃごちゃした街や交通の騒音の中を長い間歩くことなしに、どうやって他の文学的史跡へと導くことができるのでしょう? もちろん、関東大震災や戦争により、東京の古い町並みの多くが破壊されたことは知っていますが、オリジナルの史跡を
建築家=馬場 正尊 氏 生まれ故郷の 町の風景 この季節になると思い出す。僕は九州、佐賀の商店街の生まれで、実家はたばこ屋を営んでいた。夏休みになるとその手伝いで、店先に座っては道行く人を眺めたり、近所の人たちとどうでもいい会話を交わしていた。週末の夜は商店街組合が主催で「銀天夜市」という名の小さな祭りが路上で催され、通りはスイカ割りや射的の出店、そぞろ歩く人々で溢れていた。僕は田舎の夏の、このありふれた日常が大好きだった。25年くらい前の風景だ。しかし今、この商店街はない。この20年の間に一店また一店と店を閉め、とうとう開いている店はなくなった。僕の生まれ育った商店街はなくなってしまったのだ。わずか十数年、戦争や自然災害でもない限り、街がこんな短期間に失われてしまうという現象は極めて希有なことなのではないだろうか。何でこんなことが起こっているのか。もちろんそこには複合的な要因があ
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