「自衛権の行使」の名のもとに先鋭化するイスラエルに国際社会が翻弄されています。戦線の拡大に歯止めをかけるため国連や各国にいま何が問われているのかを考えます。
「高江ヘリパッド工事反対運動」「大阪府警機動隊員による『土人』発言」「『ニュース女子』沖縄ヘイト番組騒動」「オスプレイ配備反対」「辺野古工事反対運動」などなど、昨今、沖縄を舞台・題材にし、リベラル派と右派の衝突が続いている。 なかでも『ニュース女子』(TOKYO MX)が1月2日に報じた沖縄基地問題に関する報道が波紋を広げている。 市民団体「のりこえねっと」が「日当」を支払って反対派を沖縄に送り込んでいる、といった報道を行った。番組中では、高江では工事反対派があまりにも危険なため取材陣がこれ以上は入れない、といったリポートもしている。また、反対派を「テロリスト」扱いし、その「黒幕」として、のりこえねっとの共同代表・辛淑玉氏について言及した。 これを受け、辛氏らはBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会に人権侵害の申し立てをし、1月27日には「TOKYO MX-TV「ニュース女子」に
1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄本島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日本:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー
『ル・モンド』が3月25日に「沖縄の孤独な戦い」と題するレポートを掲載した。 ヨーロッパから見た沖縄の状態についてのレポートである。ヨーロッパからは日本は「こういうふうに見えている」ということである。 とくに、最後の方の「日本政府の無関心が沖縄独立気運を強めている」という観察はたぶん欧米の読者には腑に落ちる説明だろう(植民地においての無数の苦い経験が彼らにはある)。 なぜ日本政府がそのような愚かな選択に固執するのか、その理路が記者にはどうしても理解できないようだ。 日本のメディアでは自明として扱われていることが、海外メディアからは理解不能であるという場合に、対応は二通りある。ひとつは海外メディアは「何も事情がわかっていない」と無視すること。ひとつは「事情がわかっていないのは自分たちかもしれない・・・」と疑ってかかること。 知的負荷が大きいのは後者である。 沖縄の孤独な戦い フィリップ・ポン
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡り、沖縄県の翁長知事が名護市辺野古沖での作業を中止するよう指示を出したことについて、林農林水産大臣は知事の指示の効力を一時的に停止することを決定する方針を固めました。 これに対して沖縄防衛局は、知事の指示の取り消しを求めるとともに、取り消しの審査が終了するまでの間、知事の指示の効力を一時的に停止するよう林農林水産大臣に申し立てを行いました。 これを受けて林農林水産大臣は、申し立てが妥当かどうか判断するため、沖縄県に意見書の提出を求めるなどして審査を行った結果、知事の指示の効力を一時的に停止することを決定する方針を固めました。 農林水産省は、この方針を週明けの今月30日にも沖縄防衛局と沖縄県に文書で通知し、判断した理由も明らかにすることにしています。 翁長知事は、沖縄防衛局が名護市辺野古沖でのすべての作業を1週間以内に中止しない場合、前の知事が出した、
11月16日に投開票の沖縄県知事選では4人が候補となっているが、現実的には2候補の争いになる。現職・仲井真弘多(75)と前那覇市長・翁長雄志(64)である。私の予想では、翁長が勝利し、沖縄県と日本国政府は泥沼のような状態になる。 地方選挙では現職に瑕疵がない限り有利になるものだが、今回の沖縄県知事選では現職の仲井真は追われる立場にある。彼に「よほどの瑕疵」でもあったのか。その評価が難しい。 当初の姿勢を崩し、普天間飛行場代替基地として辺野古移設を容認したことが彼の最大の瑕疵であるという意見も多く、また今回の沖縄県知事選ではそれが争点だと見るむきも多い。辺野古移設について、仲井真が推進派、翁長が反対派と色分けして議論されがちである。しかしこの単純化こそが、今回の沖縄県知事選挙を論じる上での錯誤になっている。 ◆沖縄県知事の辺野古埋め立ての裁量権は限定的だろう 仲井真が辺野古移設推進派と見られ
沖縄の運命を変えた史実は、十分解明されなかった。 宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。 しかし、沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や、戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で、盛り込まれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず、昭和史の空白は埋められなかった。 昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている。最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか
「沖縄経済は基地に依存?」県HP「いいえ」 Tweet 政治 2013年5月10日 10時13分(26分前に更新) 「沖縄の経済は米軍基地経済に大きく依存しているのではないですか」-。米軍普天間飛行場の移設問題をはじめ、基地問題が語られる際に本土側が抱く“誤解”に対する答えが、県のホームページ(HP)「よくある質問」のコーナーに3月27日から掲載されている。「基地経済の依存度は1972年の復帰直後の15・5%から、2009年度には5・2%と大幅に低下しています」など、具体的な数字で基地依存の誤解を解いている。 コーナー中、基地と沖縄経済のQ&Aは5項目。県民総所得が72年の5013億円から09年に3兆9376億円と8倍になる中で、総所得に占める基地関連収入(軍用地料、軍雇用者所得など)は15・5%から5・2%に低下したことをグラフで示している。 「基地の存在と沖縄振興予算の関係はどうなって
この話は、『考える生き方』(参照)に書かなかった沖縄の話の一部です。というか、途中で削除しました。理由は、単に書籍に取り込む話題のバランスのためでした。つまり、ページ数との関係で沖縄の話の比重が重すぎるのもどうかなということでした。 「さとうきび畑」の歌の風景 本土復帰の前、本土側で沖縄を思ってよく歌われた歌に「さとうきび畑」がある。 「ざわわ、ざわわ」というフレーズが繰り替えされ、広大なさとうきび畑に風が抜けていくようすが印象的だ。歌には、海の向こうから戦争がやってきて、鉄の雨に打たれうたれて父は死んでいったというストーリーが盛り込まれている。本土では当然ながら、これは沖縄戦を示していると普通に理解される。 そして沖縄でもそう理解され、この歌が歌われていると思っている。 たしかに、現代の沖縄ではそのように理解されている。 歌われていないとは言えない。 だが、私が暮らし始めた1995年頃、
いつまでも大事にしたい沖縄民謡、ウチナーグチ。 唄三線をしながら唄に惚れ言葉に惚れて「うた」の意味に迫ってみたい。 唄の心は作った人から唄う人へ、そして時代を映し変わっていく世相も反映します。 そんな壮大な唄の世界はまるで「海」。 歌の海に漕ぎ出してさまよいながら旅をしてます。 ハイサイおじさん はいさい[おじさん] haisai[おじさん] 語句・はいさい こんにちは。 <はい やあ。+さい 目上の人に使う男性の丁寧語。女性は「たい」を使う。つまり「はいたい」。 〔[]は明らかなヤマトグチ。発音もヤマトグチで記してある。例 [おじさん][整形][株主]。〕 一、ハイサイおじさん ハイサイおじさん夕べの三合瓶小残とんな 残とら我んにん分きらんな ありあり童えー童三合瓶小あたいし我んにんかい残とんでいゆんなえー童 あんせおじさん三合瓶し不足やみせら一升瓶我んに呉みせみ はいさいお
VOL.4152019年9月20日(金)発売 「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」 今号「We all have Art. 次代のアジアへ――明滅する芸術(アーツ)」は、前々号(vol.413)「Flood of Sounds from Asia いまアジアから生まれる音楽」と題した音楽特集、そして前号(vol.414)「Self-Fashioning from Asia あらかじめ決められない流儀(スタイル)へ」と題したファッション特集に続く、アジア三部作の完結編となります。 特集では、ノーベル文学賞作家、ル・クレジオの未翻訳小説『ビトナ、ソウルの空の下』の特別抄録にはじまり、世界的大ヒットを記録している『三体』シリーズを手がける中国SF界の巨匠、劉慈欣(リウ・ツーシン)の自宅インタビュー、さらにここ日本でも注目を集めている韓国の文学/現代詩と社
琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)は、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる諸言語の総称。日本本土の日本語とともに日琉語族に属し、琉球語(りゅうきゅうご)とも呼称される。 琉球諸語は、八丈語とともに日本語の歴史を知る上で欠くことのできない資料的価値を持つ[2]。 日本語内部の一方言の琉球方言(りゅうきゅうほうげん)とみなす場合もある(#言語か方言か参照)。また琉球内部でも島々の地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と呼ぶ立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、各立場を考慮して、琉球諸語(琉球方言)と併記する。 独立した言語として見た場合、日本語と系統が同じ言語と見なされ、日本語と琉球(諸)語を合わせて日琉語族あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大別できる、との見解が
チュゥウガナビラ ♪ (訳:こんにちは) 今日は琉球や沖縄といった名前がどういった経緯で使われる様になったのかというお話です。 実は「琉球」の表記は『隋書』(7世紀)に「流求」とあるのが初めての紹介とされています。その後、「流鬼」(『新唐書』)「瑠求」(『元書』)などと様々に表記されていました そしてやっと「琉球」に落ち着いたのは明時代以降の事です。 明以前の「琉球」が現在の沖縄を指していたかはよくわかっていません。 なぜならば台湾を指していたという説や、あるいは単に中国大陸の東方にある(日本以外の)島々を漠然と指していたという説などもあるからです。 沖縄では明との交易が始まった14世紀以降、自国の国号として「琉球」を用い、これが琉球王国が滅亡するまでの沖縄の名称でした。正式には「琉球國」となっています。 沖縄とは日本本土側の名称で、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』(779年)の
一般の事件に比べて米兵の暴行事件が大きく報じられるのをいぶかしる輩がいる。まだ分からないのかと、寒々しい気分になる。 米兵の事件が大きく報道されるのは、地位協定のためである*1。地位協定があるために、米軍には、容疑者を日本の警察に引き渡す義務がない。そのことはずっとずっとずっとずっと問題にされ、批判され、改正が要求されてきた。にも関わらず、改正はなされていない。1995年の事件のときに、やっとのことで、運用改善が約束され、その後は引渡しに応じるケースが増えてきた。 だったら問題ないではないか、とか言い出す奴は、真性のアホ認定。「運用改善」ということは、努力義務でしかないのであり、いつでもやめられる、ということ。ではなぜ、現状、「運用改善」がなされているのか。それは、地域社会の反発があまりにも大きいので、下手に容疑者を隠すのは得策ではない、と米軍が判断してるだけ。逆に言えば、この反発が十分に
→紀伊國屋書店で購入 「先見に満ちた旅の記録」 これまで『路上』の名で出ていたジャック・ケルアックの代表作が、原題のまま『オン・ザ・ロード』として新訳で出版された。「オン・ザ・ロード」という言葉には単に道路の上にいるというだけではなく、「旅行中」「家出中」「放浪している」「巡業中」など、動いている状態が含まれていると訳者の青山南が解説している。 「旅」という日本語もかつては「オン・ザ・ロード」の語感に近かったのではないか。よそから来た人は、目的がなんであれ、すべて「旅人」だった。沖縄の古老はいまも出稼ぎに出ていたことを「旅に出てました」などと言うことがあり、そういう表現に接するたびに、旅や旅行が観光の意味に限定されたのがつい最近であることに思い至るのだ。 『オン・ザ・ロード』はその名のごとく旅の物語であり、徹底した移動の記録である。語り手のサルも、親友のディーンも息つくひまもないくらい、東
←この記事にピーンときたら、ワン・クリック、お願いします! 大江健三郎の『沖縄ノート』をめぐる名誉毀損裁判で、被告の大江健三郎自身が大阪地裁に出廷し、かなり詳細な証言をしたことから、特に保守陣営側から、証言内容はそっちのけの、大江健三郎に対する激しい批判と罵倒が新聞やネットに氾濫したわけだが、驚くべきことに、と言うか、当然と言えば当然のことにと言おうか、大江健三郎批判や罵倒を繰り返す人たちが、揃いもそろって、問題の本、つまり大江健三郎の『沖縄ノート』は言うまでもなく、曽野綾子の『ある神話の背景』(『集団自決の真実』に改題)さえも、二冊とも本屋に行けばいつでも手に入るにも関わらず、ろくに読まずに、マスコミ情報やネット情報を元に、大江健三郎批判や罵倒を繰り返していることがわかり、いささかシラケルと同時に、あらためて最近の保守論壇や保守思想、ネット右翼のあまりの無知無学、思想的レベルの低さに愕然
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く