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メディア論と消に関するushiwatatのブックマーク (2)

  • たとえブロゴスフィアを失っても | WIRED VISION

    たとえブロゴスフィアを失っても 2008年11月19日 経済・ビジネスITカルチャーメディア コメント: トラックバック (0) (これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら) 今回もニコラス・G・カー先生のブログを取り上げます。といってもクラウド・コンピューティング方面ではなく、「誰がブロゴスフィアを殺したのか(Who killed the blogosphere?)」と刺激的なタイトルの冠されたエントリです。 カーの文章は、Ecomnomist に掲載された「Oh, grow up」という記事を受けたもので、この記事は Weblogs, Inc. の AOL への売却により巨万の富を得た、自身も有名ブロガーであるジェイソン・カラカニス(Jason Calacanis)が、今夏ブログを止めて、メルマガという旧式のやり方に配信方式を変えた話から始まります。 カラカニス(そうい

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/11/30
    Nicholas G. Carr(ニコラス・G・カー)の|「誰がブロゴスフィアを殺したのか(Who killed the blogosphere?)」|を巡って。ブログの技術的な定義とスタイル的な定義が見られ興味深い。
  • ハコフグマン: テレビというメディアのしぶとさ

    忙しくて更新が滞ってしまいました。すいません。最近、NHKの視聴率を見ていて、ある傾向がはっきりしてきたなと思った。なかなかセンスが良いと思われる番組、例えば英語でしゃべらナイトや爆問学問といった番組でも視聴率が5%をこえるのは難しいようだ。 一方でコンスタントに14~15%をほとんど手間暇かけずにとれてしまう番組がある。それは何かというと、「歌謡コンサート」と「鶴瓶の家族に乾杯」である。正直、この二つは私も年をとったのか、チャンネルをとめて見てしまうことがある。 かつて演歌は視聴率がとれないと敬遠され、歌番組は壊滅したのだが、今はバラエティやドラマを含めあらゆる番組の視聴率が下がって、むしろ古き良き演歌を聴かせる番組のほうがはるかに視聴率が良くなってしまったのだ。 鶴瓶の番組を見てしまうのは、当たり前の家族が普通に幸せそうにしているのを見るのが、単純に気持ちよいからである。こういう田舎

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/02/23
    記憶の再生のきっかけとしてのテレビ番組。|テレビというメディア自体が年老い||しかしいずれ誰もが老いる。高齢者という世代自体繰り返され、新しくなっていく。|
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