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振興に関するuhyorinのブックマーク (2)

  • なごなぐ雑記: 沖縄・名護1999-2006(その1)

    12月19日に沖縄大学で、Japan Focusと沖縄大学地域研究所が「主催するフォーラム「沖縄は、どこへ向かうのか」があった(⇒公開講座・地域研究所)。朝10時から夕方5時まで、ポストCOP10、ポスト尖閣諸島、ポスト知事選の三つのセッション。沖縄・生物多様性市民ネットワークの吉川秀樹氏よりポスト尖閣諸島セッションへの参加を打診されたが、私には荷が重いでお断りした(⇒12.04地喰草子)。一週間ぐらいしてポスト知事選セッションをコーディネートしている佐藤学さんから、基地と振興策の問題について報告を依頼される。波状攻撃(笑)のようだったが、それなら経験に基づき報告できることはあるだろうと引き受けた。 当日、報告に使ったパワーポイントのデータを基に、あらためて現在考えていることをここに記しておく。 名護市への新基地建設の問題に関わって、1999年と2006年と二つの閣議決定がある。1999年

    uhyorin
    uhyorin 2010/12/21
    "振興策バブルの様相を呈した名護市"国道沿いの立派な施設やモールのことなんだろうな…ハコモノって表現があるだけに。それらが存在する前と後では何が変わったのだろう。
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―3)

    1997年の市民投票以来、新基地建設への反対と条件付賛成派に二分され、選挙のたびに名護市民は戦ってきた。「過去3度の市長選で民意は出た」と島袋ヨシカズ市長はいうが、基地を押し付ける政府ですらが見直しに入っている辺野古移設に固執するヨシカズ市長らの姿勢は基地の「誘致派」としかいえない。 これまでみてきた名護市の歴史を振り返りながら、現在・未来の名護市を展望して稿を終える。 1970年に一町四村が合併してできた名護市は、復帰そして海洋博という世替りと開発の荒波に対して「地域主義」を掲げ、自然保護と生活・生産基盤の確立、住民自治を原則にまちづくりをはじめた。70年代から80年代半ばまでは名護市の「基盤整備期」といえるだろう。その時期に名護市総合計画がもっていた「足元を掘る」精神は、ハードとしては市庁舎に表現され、ソフトとしては字史づくりなどの形で地域から学び地域に深く埋め込まれていった。 19

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/05
    id:nagonagu 更新お疲れ様でした。一人でも多くの名護市民に読んでいただけたら…と願わずにはいられません。
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