人気テレビ番組「笑点」で半世紀にわたりレギュラーを務めた林家木久扇さん(86)が2024年3月、卒業する。落語で間の抜けたキャラクターを指す「与太郎」の役割で、老若男女を笑わせ続けてきた木久扇師匠。いまの心境や人に愛される極意を聞いた。――人と接するときに心がけていることを教えて下さい。「弟子を叱るときは何か食べさせてから叱ります。おなかが空いている人に叱りつけても効きません。人の言葉は体が
一之輔と好楽の『ぽかぽか』出演 落語家の春風亭一之輔と三遊亭好楽が8月16日の『ぽかぽか』に出ていた。 おもしろい取り合わせだ。 一之輔は今年2023年になって『笑点』に入った新メンバー、好楽は1979年から出ている古参メンバーである。 一之輔は古くから続く「落語協会」のメンバーであり、好楽はそこからの分派に失敗した一門の末裔で、いわば独立リーグ選手のような所属である。 落語界での接点は薄い。 その2人が出てきた。 仲が良さそうで、でも芯のところは微妙という雰囲気がそのまま映し出されて、やはりテレビの生放送はおもしろい。 「落語うまいんだから『笑点』なんか出ちゃダメだ」 冒頭近く、春風亭一之輔のプロフィールを紹介した流れで、好楽がこう言った。 「この人さ、落語がうまいんだから、『笑点』なんか出ちゃだめなんだ」 それを聞いて一之輔はただ笑っている。 「落語がダメだからみんな『笑点』に来るんだ
インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆ ◆ ◆ 今回お話を伺ったのは、落語家の柳亭小痴楽さん。幼少期を代官山で過ごし、小学4年生で杉並区の井草へ。その後も巣鴨や広尾、祐天寺など、東京都内を転々と移り住んできました。 さまざまな街で暮らしてきた小痴楽さんですが、その経験をふまえて最も心地よいと感じるのは「人と人の距離感が近く、温かさを感じられる街」。そんな街で触れ合う
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)をはじめとする数々のバラエティ番組で人気を博し、「山崎邦正」としての立ち位置を確立していたが、40歳を目前に落語に出会い、新たな道を歩み始めた月亭方正。13年が経ち、落語家として大阪を活動拠点としていた彼が、再び東京に進出しようとしている。 20歳でお笑い芸人として東京に進出してきた彼が、53歳で再び落語家としてなぜ東京に進出するのか。前編では落語家転身当時の思いや、テレビに対する考えを語る。 ずっと落語をあえて遠ざけていた 月亭方正(つきてい・ほうせい)落語家。1968年2月15日生まれ、兵庫県西宮市出身。本名・山崎邦正(やまざき・ほうせい)。2013年1月より芸名を本名・山崎邦正から、高座名「月亭方正」に改名。上方落語協会会員 ——方正さんが最初に落語の魅力に気づいたのはいつごろですか? 方正 落語を初めてちゃんと聴いたのは39歳
倫理観が終わってるから訃報を見てすぐ伊集院光さんのツイッターを見に行ってしまった。 三遊亭円楽さん。 あのタイミングで脳梗塞で倒れたのは本当に最後の最後で運がなかったというか、何もなければ師匠の先代圓楽とその世代の噺家たちの負の遺産である四団体並列の解消……というか円楽一門会と立川流の落語協会復帰を成し遂げて、将来的な落協と芸協の統一にもめどをつけられたのに、と思うと無念だろうなと思いますね。 元々、円楽一門の協会離脱は、当時の落協会長の小さんがおこなった理事会制度の整備などの改革や真打昇進人事を巡って、前会長だった圓生が自分に話を通してない、メンツを潰されたとブチ切れていたのを利用して、かねてから新団体の設立を目論み野心満々の若手幹部だった圓楽と談志が大物の圓生を焚きつけて離反させたってのが内幕で、その圓生が離脱1年後の79年にあっさり心筋梗塞で死んじゃったのと、圓楽と談志が新団体での地
川合 晶 Sho Kawai @0311__sho 反田さん上手くスルーしたなぁ、あのポルカどう考えても3拍子にはならないのに、、三平さんも緊張してたんかな笑
小説に書かれていることが事実であるかどうかを問うのはきわめて不粋なことと承知しつつも、「もしほんとであったらしんどいな」という部類の小説をいくつか読んだことがあります。その筆頭が立川談四楼師匠の「談志が死んだ」(立川談四楼・新潮社・2012)です。晩年の談志師匠の周囲を談四楼師匠の目線から描いたもので、少しだけネタバレをお許しいただきたいのですけど弟弟子の著書である「赤めだか」(立川談春・扶桑社・2008)を書評で誉めたことによって怒鳴られ、突然破門宣告されます。その謎ときを含め是非詳細は物語を読んでいただきたいところですが、フィクションと頭では理解しつつも「これ、当事者であったらキツイな」と読んでいて思いました。それくらい緻密に描かれた力作です。 話はいつものように横に素っ飛びます。 上記の本の中で三遊亭小円遊という落語家が出てきます。談志師匠が関係した笑点の大喜利のメンバーで、元々は古
どの落語家も、なんだかんだと講釈たれやがるけど、芝浜、短命、死神、駱駝てな鉄板はやるし 誰のを聞いても話の筋は変わる訳じゃねぇんで、どれか一回聞けば十分てなもんで、似たようなのを何回も聞いたって面白くも何ともねぇ しかも落語のメインキャストといやぁ、タイトルしか記事を読まないはてなブックマーカーもびっくりの阿呆ばかりと来た日には まともな人間は、こっぱずかしくて聞いちゃいらんねぇんだよ 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは この百人一首の意味が分からねぇと言う阿呆に、更に輪をかけた阿呆の爺さんが 千早って花魁が、力士龍田川を振った。妹の神代も振ったけど、そのご神代も落ちぶれた。 龍田川が開業した唐揚げ屋にやってきた神代が、唐揚げ恵んでくれと頼んだけれど 龍田川はふざけんじゃねぇと追い返したところ、川に入って自殺してしまった と説明するってバカな話が、ちはやふるって演
歌舞伎役者さんとか落語家さんとか、ときどき名前が変わるでしょ? 我が家はそれについていけないんだ。悲しいことに。 だからいつまで経っても我が家の中では松たか子さんのお父さんは松本幸四郎さんのままだし、新婚さんいらっしゃいの司会者は桂三枝さんのままなのである。 桂文枝さん、と言おうものなら「は?」って顔をされる。桂三枝さん、と言い直すと「あぁ!」みたいな。
寿限無(じゅげむ)、寿限無(じゅげむ)、 五劫(ごこう)のすりきれ、 海砂利(かいじゃり)水魚(すいぎょ)の、 水行末(すいぎょうまつ)・雲来末(うんらいまつ)・風来末(ふうらいまつ)、 食う寝るところに住むところ、 やぶらこうじのぶらこうじ、 パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、 シューリンガンのグーリンダイ、 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、 長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ) — NHK教育テレビ おはなしのくにクラシック[F 1] 話の中での架空の意味説明: 寿限無 寿命が限り無いの意[F 1]。 五劫の擦り切れ 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩がなくなってしまうまでが一劫。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと[F 1]。劫(kalpa)はヒンズー哲学で、宇宙の誕生から消滅までの時間を意
ある年の暮れ。浅草阿部川町(あるいは浅草三間町、日本橋竃河岸、日本橋按針町とも)の長屋に住む幇間の久蔵は、酒の上での失敗で江戸じゅうの顧客をしくじり、仕事を失ってしまっている。そんな中、大家(あるいは友人)が一枚の富くじの札を持ってやって来る。 「一番富(=1等)に当たれば千両、二番富でも五百両になる」とそそのかされ、その気になった久蔵は、なけなしの一分でその「松の百十番(鶴の千五百番など、演者によって異なる)」の札を買い、神棚に供えた。 「大神宮様、大神宮様。二番富で結構ですから、どうか私めに福を……。もし当たったら堅気になって、売りに出ている小間物屋の店を買い、日ごろから岡惚れしているお松さんを嫁にもらって、店の主になンだ」 その日の夜、日本橋横山町(あるいは日本橋石町=日本橋本石町、芝の金杉、芝の久保町=桜田久保町とも)あたりから火事が出て、半鐘の音が町に鳴り響く。長屋の住人は「たし
『M-1グランプリ2018』を見ました。第一回大会からずっと見続けて来て、初めてリアルタイムで見ることが出来ませんでした。というのも、シソンヌのライブ『モノクロ』を見に行っていたからです。だから、よく聞く情報を遮断するという行為自体が初めてでしたが、無事に何も情報を得ないまま帰宅して、録画を再生することが出来ました。危なかったのは、会場で、絶対にネタバレをペラペラ喋る奴がいるなと思っていたので、開演の前後ギリギリまでラジオ聞いていたんだけど、同行した奥さんが言うには、僕の隣でやっぱり「ミキが敗者復活で言ったらしいよ」とネタバレを話している人がいたらしいのですが、それを始めとして避することが出来ました。冨樫漫画を読んでいて良かったです。 大会としては、芸風がバラけていて、いわゆる多牌ってやつで、誰が優勝してもおかしくない空気がビンビンで、それこそ、初期の大会のようでした。加えて審査員も、いろ
月亭方正 「可朝」を襲名か…一門筆頭で可朝さんの弟子の八方が本気で検討と八光 拡大 落語家の月亭八光(41)が23日、カンテレ「お笑いワイドショー マルコポロリ!」に出演し、弟弟子の方正(50)が、3月に亡くなった月亭可朝さんの後を継いで「可朝」の名を襲名する可能性があることを明かした。八光の父親で月亭一門の筆頭である八方(70)が本気で検討しているとしている。 番組には方正も出演し、タレントから落語家に転身したことについて、「運命の出合い」と訴えた。方正にとって兄弟子である八光は「うちのおやじは最後に方正さんに襲名してほしいと」と話題を切り出した。方正は身をひねって喜びを表した。MCの東野幸治が、八方を襲名するのかを問うと、八光は「違います。可朝襲名を」と明かし、出演者が一斉に「可朝!」と驚いた。 可朝さんはコミックソング「嘆きのボイン」を1969年に発売し80万枚の大ヒット。以降も参院
人気演芸番組「笑点」で長く親しまれた落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸(かつら・うたまる、本名・椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、死去した。81歳。 1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。 66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー。三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した。
保険ショップマンモス 古典落語の傑作ですが、元ネタはイタリアやドイツにあるそうで。 借金で首が回らなくなった男、 金策に駆け回るが、 誰も貸してくれない。 かみさんにも、 金ができないうちは家には入れない と追い出され、 ほとほと生きるのがイヤになった。 一思いに首をくくろうとすると、 後ろから気味の悪い声で呼び止める者がある。 驚いて振り返ると、 木陰からスッと現れたのが、 年の頃はもう八十以上、 痩せこけて汚い竹の杖を突いた爺さん。 「な、なんだ、おめえは」 「死神だよ」 逃げようとすると、 死神は手招きして、 「恐がらなくてもいい。おまえに相談がある」 と言う。 「おまえはまだ寿命があるんだから、 死のうとしても死ねねえ。 それより儲かる商売をやってみねえな。 医者をやらないか」 もとより脈の取り方すら知らないが、 死神が教えるには 「長わずらいをしている患者には 必ず、足元か枕元に
実家は東京の仕出し屋。少年時代は柔道に明け暮れていたという。手のつけられない不良で、警察の世話に度々なったこともある。ある日留置所に放り込まれたが、その時に出された弁当が不味いと文句を言ったら「お前の店のだ」と逆に叱られ、家に帰って「俺が警察に捕まったらもっといい弁当を持って来い」と竹刀を振りまわして暴れたという。 1921年6月に六代目金原亭馬生に入門し「金原亭馬治」と名乗る。 その後、三代目古今亭今輔一門に移り「古今亭今之助」と名乗った。1924年3月の師匠・今輔死去に伴い、前の師匠である馬生一門に復帰して「全亭武生」と改名する。 1926年に師匠・志ん生が死去したため、四代目蝶花楼馬楽門下に移籍。1927年9月、真打に昇進して「四代目鈴々舎馬風」を襲名。 晩年の1960年9月、愛用したヒロポンが原因で、中風で倒れる。右半身不随となるも高座への執着心を見せ、リハビリの末1963年5月に
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