テレビで全国に放送されたゴムルカの演説(ユダヤ人歴史博物館にて) 演説ではこんな言葉を使った。「今回の事件にはユダヤ系ないしユダヤ人青年学生の一部が積極的に参加した。これらの学生の親たちの多くは、わが国で大なり小なり責任ある地位、時には高い地位についている」(工藤幸雄『ワルシャワの七年』新潮選書、1977年) ゴムルカはいわば「ユダヤ人特権」を喧伝し、ユダヤ人攻撃を始めた。ワルシャワ大学などで起こったレジスタンスは彼らの煽動によるものであり、今のポーランド社会の生活が苦しいのは、このユダヤ人たちのせいであるとしたのである。 ゴムルカはユダヤ系の国民を分断し、または懐柔するために、ポーランドに居住するユダヤ人を三つに分類した。一つめが、イスラエルが祖国だと唱えるユダヤナショナリストで、この人々からは市民権を取り上げて、亡命用のパスポートを供与した。すなわち国外への追い出しである。二つめはポー