韓国で「アカ」はどう作られたのか 『ル・モンド・ディプロマティーク韓国版』 [10号]2009年07月03日(金)11:46:44 キム・ドクジュン|国史編纂委員会韓国現代史 韓国社会で「左翼」の烙印を押されることは、政治的・社会的な死刑宣告と同じだ。この用語が使われたその瞬間から主張の正当性は一挙に剥奪され、対象者は沈黙に押し込められる。 2002年、新千年民主党の大統領選挙予備選。李仁済(イ・インジェ)候補が盧武鉉候補の義父(岳父)のパルチザン活動を攻撃した。政治の世界で常に使われてきた「色攻勢」であり、このような攻撃は常に相手側を守勢に追いやった。これに対して盧武鉉候補は「ならば愛する私の妻を捨てろということか」、「そうなれば候補を辞退する」と反撃した。この発言で戦局は逆転し、李仁済候補は結局、大統領になるという夢をあきらめなければならなかった。 麗水・順天事件で子供を亡くし、嗚咽す