陸上のマラソンは国立競技場発着で行われ、視覚障害T12の女子で前回大会2位の世界記録保持者、道下美里(三井住友海上)が金メダルを獲得した。前回リオデジャネイロ大会の表彰式、銀メダルを首に掛けた道下は悔し涙を流した。「5年前の忘れ物を取りにいこう」。そう決めて笑顔で国立競技場を飛び出した東京大会では、その笑顔のまま先頭で国立へと戻ってきた。【関連記事】レースは20キロ手前から道下とパウトワ(RP
![「リオの忘れ物」金メダルに万感 女子マラソン道下 - 日本経済新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bada9174344a46969b04297c2245666c842e453b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffanyv88.com%3A443%2Fhttps%2Farticle-image-ix.nikkei.com%2Fhttps%253A%252F%252Fimgix-proxy.n8s.jp%252FDSXZQO1012959005092021000000-1.jpg%3Fcrop%3Dfocalpoint%26fit%3Dcrop%26fp-x%3D0.35%26fp-y%3D0.2%26fp-z%3D1%26h%3D630%26w%3D1200%26s%3D12e01a1d2055c9ceb7b7f88a6bd7de37)
東京パラリンピックは最終日の5日、東京都心のコースで男女のマラソンが行われ、視覚障害のクラスで女子の道下美里選手が金メダル、男子の堀越信司選手と腕に障害のあるクラスの永田務選手が銅メダルと日本勢3人がメダルを獲得しました。 日本は金メダル1 銅メダル2 東京パラリンピックのマラソンは札幌に変更されたオリンピックとは異なり、5日午前6時半以降に国立競技場をスタートして浅草の雷門や銀座、皇居外苑など都心の名所を巡って国立競技場にフィニッシュする42.195キロのコースで行われました。 レースは雨が降りしきるなか、男女の車いすと視覚障害、それに男子の腕に障害のあるクラスで行われ、日本からは合わせて10人の選手が出場しました。 このうち女子の視覚障害のクラスでは世界記録を持つ44歳の道下選手が25キロすぎに先頭に立つと、30キロすぎにスパートして後ろについていた選手を引き離し、そのままフィニッシュ
自転車女子個人ロードレースで後続を大きく引き離し、今大会2個目の金メダルに輝いた杉浦佳子選手(50)は、周囲が「ぶれない」とたたえる努力家。親子ほど年齢が離れた世界のライバルと競う環境でも、諦めない姿勢で「女王」の座に上り詰めた。同級生にとっては大きな誇りだ。ゴール後の杉浦は声を弾ませ「コーチと綿密な計画を立てた。指導者に恵まれた」と感謝の言葉を繰り返した。静岡県掛川市出身で、中学時代はバス
今月9日に閉幕した東京オリンピックについて、JOC=日本オリンピック委員会の山下泰裕会長が総括会見を開き、新型コロナウイルスの感染拡大のなか、限られた環境で大会に臨み、過去最多のメダルを獲得するなど、大きな成果をあげた選手たちをたたえました。 JOCの山下会長は、18日午後、都内で会見を開き、先月23日から今月9日まで行われた東京オリンピックを総括しました。 この中で山下会長は、感染拡大が続く中で開かれた大会について「アスリートや関係者にとって制約は多かったが、その制約が安心な大会につながることや国民を守ることを理解し、受け入れてくれた。専門家の意見を集約し、現時点で考え得る現実的な対応ができた」と述べ、感染対策を講じながら開催した大会は成功したと評価しました。 また、27個の金メダルを含む過去最多の合わせて58個のメダルを獲得した日本選手団については「若い選手たちの活躍は、選手団の躍進の
東京五輪で卓球の混合ダブルス金メダルなど、出場3種目全てでメダルを獲得した女子のエース伊藤美誠(スターツ)が15日、東京都内で取材に応じ「卓球をやっていく上で最大の目標が東京五輪で金メダルだった。3つメダルが取れて1つは金メダル。だんだん実感が湧いてきた」と喜びを語った。女子シングルスでは同種目の日本勢で初のメダル
新型コロナウイルスの猛威で大半が無観客となるなか、1964年以来2度目の東京五輪が開催されました。祭典にかかわる人、もの、場所――。半世紀あまりを経て、その姿は変わりました。今昔の移ろいに焦点をあてたコラム「点描1964→2021」のまとめ読みです。今大会の公式記録映画を託されたのは河瀬直美監督です。「パンデミックという時代に人々はどんな選択をしたのか。50年、100年先の人類に伝えたい」。河
ぶれのない気迫の演武が世界を圧倒した。今大会、正式競技に採用された空手で初の金メダルに輝いたのは、男子形の喜友名諒選手(31)。沖縄出身の空手家が頂点に立ち、伝統武道の発祥地の意地を見せた。スペインの選手を下して勝利を決めた瞬間、わずかに安堵の表情を見せた。畳の上で目を閉じて座礼。ほぼ無人の客席にも何度も頭を下げた。終始、喜びを顔に出さなかったが、試合後のインタビューでは唇をかみ、こみ上げる
「国に帰れ!」 コロナ禍が続く中、日系アメリカ人の空手家が投げかけられたことばです。 悔しさを胸に臨んだ東京オリンピックで、すべての思いを演武に込めました。 日本人の両親のもと、ハワイで生まれたコクマイ・サクラ選手は7歳のとき、母親の勧めで空手を始めました。 もの静かで、自分のことを伝えるのが苦手でしたが、空手の道着を着て帯を締めると自信がみなぎり、強くなったような気持ちになれたと言います。 腕を磨くため、両親の故郷・岡山県の高校に編入し、日本で大学院まで進んだあと、アメリカのロサンゼルスに拠点を移し、空手が新競技として採用された東京オリンピック出場を目指してきました。 しかしアメリカでは新型コロナウイルスの感染拡大に伴ってアジア系住民への暴力事件などが相次ぎ、コクマイ選手もことし4月、公園で白人男性から「おまえは負け犬だ」、「国に帰れ!」などと暴言を浴びせられました。 事件のあと、コクマ
競泳女子個人メドレー2冠に輝いた大橋悠依(イトマン東進)が6日、共同通信などのインタビューにオンラインで応じ「あまり五輪ということを意識せず挑めた。久しぶりの国際大会が東京にやってきた、という感覚だった」と決戦を終えた心境を語った。既に選手村を離れ、リラックスした表情。レース映像は何度も見直しているそうで、大接戦を制した200メートル個人メドレーは終盤、再
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