第1形態の出現から最初の上陸に至る場面の、会議室映画あるいは管制室映画としての精密さは、文明批評を可能にするほど卓越している。これらの場面では想定外という言葉が頻用されるが、自然災害のアナロジーとして事態が把握されている限りでは想定内にとどまるものであって、だからこそ画面の情報量は膨大になる。自然災害に比し得るのなら既存の対応手順を参照することができる。現実に勝る情報量はない。 上陸した第1形態の全容は衝撃というほかはない。緻密な本編とそれを揶揄するかのように着ぐるみ然とした間抜けな造形の対比は、かかるマンガ怪獣相手に脂汗をかく大人たちの挙動を風刺する。大杉漣のあんまりな性格造形は、橋本行革以降の強い官邸や総理像からすると違和感を覚えるのだが、戯画化されることで主題は明確になっている。 組織過程を描画する情報量は事態を風刺に止めない。カオスを組織化するというまた別の文明批評が提示される。手