自殺は、悪いことなのでしょうか? ※社会的に損害を与える自殺は除きます。
自殺は、悪いことなのでしょうか? ※社会的に損害を与える自殺は除きます。
あの子が死んで二年目の春を迎える。 花粉が飛散していたある日、 「結婚して」と言われてしまった。 もう人生を前に進むためのカードを 使い果たしてしまった。 オレん家で主婦として働くことしかできないという。 ちなみに、プロポーズの言葉は 「小学生好きなんでしょう。私はAカップ」。 今までロリ好きと公言・ネタにしてきたことを 非常に後悔した。 その発言が意味することの全てが分かって、 とにかくクールに対応しようと務め、相談相手になって、 なにか可能性を一緒に見つけようとして、 しかし、「結婚」という言葉はゴマカシ続けた。 でも、オレが所用で町を離れていた日、 自らを消滅させる手段を選んでしまった。 最後に携帯で話したのは「桜が見たい」だった。 その会話をしたとき、 僕は別な町の公園で満開の桜の下にいた。 それから1年、血反吐を吐くような思いをして過ごした。 飲めない酒を飲んだ。睡眠薬もがぶ飲み
別に自殺したいってわけじゃないんだけど、生きる理由がよくわからないのでなんとなく。 最初は人生に対する愚痴しかでてこなかった。 自分は大学時代今で言うリア充だったんだけど 大学でて就職したら友達も少なくなって 家族も離散しちゃって孤独で。 もうね、こんな状態で生きててもしょうがないじゃんて。 でもひとしきり愚痴書いた後に、親に 産んでくれてありがとう とか 先に死んじゃってごめんなさい とか書いてんの。 友達も減ってはいるけど今でも友達やってる人たちはいい人たちでさ 落ち込んでるときに飲みに誘ってくれたり 面白いネタがあるとメールしてきてくれたりして ありがとうって書いた。 親も友達もきっと、俺が自殺したら自分を責めるだろうけど 俺が勝手にしたことだから自分を責めないでほしいって書いた。 書きながら大いに泣いた。 まだまだ捨てたもんじゃないなって思った。
パンがないなら、死ねばいいのに 後編の続き。 (14)生きづらさ・インターネット・自殺 ①生きづらさ 社会、学校・会社、での友人関係のトラブル、いじめ、同調圧力(とそれへの馴染めなさ)、リストラ、借金。家庭でのアルコール依存症の親、性虐待、暴行、ネグレクト、過剰な期待、大人であることの期待、居場所のなさ、過剰同調、バランス役。 むなしさ、無気力、疲労、いらだち、絶望。 欝、摂食障害、自律神経失調症、強迫神経症、人格障害。 売春、家出、リストカット、オーバードーズ、自殺。 明らかな悲惨によるものから外観上恵まれた環境における苦しみまで、現代日本社会で生きること、普通に生活すること、ができずに彷徨い、試行錯誤にある人々。 ②インターネット パソコンの95年のOSウィンドーズ95、携帯での2000年のiモードの登場によってインターネットが社会で広く利用されれるようになり、ネットは日常に浸透するよ
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
他人の迷惑について考えたり、自分が死んだ後の事を考えたり、死ぬとき痛いだろうなとか苦しいよねとか、きれいに死にたい(笑)とか考えているうちは、自殺を実行することは当分ないんだよねぇ。 自殺についての認識を誤っていたりとか、「自殺」という言葉の響きに心のよりどころを求めていたりとか、理由はさまざまだけど。まだこの世とお別れするステージに到達してないのだよ。たぶん。 うつ病を自殺の原因とする説は有力だけど、うつ病の原因を自助努力なしには取り除けない限り、うつ病は単に自殺に至るステージのひとつとして存在し続けるのだろうね。たとえるのならば、ある種の生物が変態に至る「さなぎ」の状態かな。病気とかじゃなくて。あげ足取られる前に書いとくけど、「さなぎは生き物が生きるための…」はわかってますって。ただぼくの中で「生きる」「死ぬ」はイコールなのね。電灯のスイッチのON・OFFとか、エレベーターの「上へ参り
自分の命/自殺という過酷な自由を考えるためにの続き (10)所有と決定 (8)②で紹介した小松美彦さんの議論でも述べたように、自己決定権はパターナリズムへの異議や弱者の権利奪還としてここ数十年に現れた話であり、自己決定権の(暗黙・無意識化されるほどに当然視される)基礎である自己所有権の発想が正面に押し出されるようになったのは(7)②で述べたようなミルら啓蒙思想家の出現によってである。 (8)①で述べたように(自己所有を含む)所有の概念は通歴史的であるとしても、近代の自己所有概念はそれ以前のものと比較して、外部からの侵略への抵抗意識であると同時に新しい社会の非関与を通じた介入戦略の道具でもある点で特徴的な変化があったと考えられる。 つまり、「私のもとにあるもの・作ったものは私のものだ」という所有概念は、封建的権力からの恣意的侵略への抵抗を強く正当化すると同時に、新しい経済・社会では、個人の所
“フィル、アンリ、ジョルジュの三人が遭難して山小屋にたどり着く。食べ物はなにひとつとしてない。空腹感が募ってくる。 フィルの片脚は凍傷にかかっていた感覚がない。初めにその計画を思いついたのはアンリだった。ジョルジュは一応反対はしたけれど背に腹は替えられない。 「三人で食べるんだからいいじゃないか」 中略。その片脚が尽きてしまうと、なまじ肉を食べたあとだけにさらに空腹感は激しくなる。フィルのもう一本の脚も感覚をなくしているんじゃあるまいか。 中略。ある日、ついにアンリとジョルジュは決心する。またしてもフィルが眠っているときに、ナイフを取り片脚にかかった毛布をめくって…だが…。 「糞ッ」 二人の口からくやしそうな叫び声が漏れた。 なんと、二本目の足はほとんどなくなっていた。フィルが一人で食べてしまったのだ。” 『恐怖コレクション』阿刀田高著(新潮文庫)より “あなたの価値は、「葬儀費用+慰謝料
“一体死を望んでいる者を、脅かして思いとどまらせるに足るような刑罰などありうるであろうか。” 『自殺について』(岩波書店)ショウペンハウエル著 斉藤信治訳 *********************** 話を進める前に、自殺という過酷な自由を考えるために/自殺の定義 続編の(3)で述べたE・S・シュナイドマンによる自殺の定義は以下の(4)~(5)③では適用できません。 シュナイドマンの定義を繰り返しますと “今日の西洋社会において、自殺は、自ら手を下した意識的行為によってもたらされた死とされる。その行為は、死ぬことが最良の解決法と認識された出来事に直面し、窮地を脱することを願った人物の、多くの次元をもった苦痛によってもたらされる、と考えるともっとも理解しやすい”です。 したがって、歴史的な問題を扱う以下の文章(4)②~(5)③までは、この定義を用いることができません。 そこで、社会的視点か
自殺という過酷な自由を考えるために/自殺の定義編の続き ⑥病気としての自殺というアプローチ(※12) “自ら意思で死を選ぶというよりも、心の病によっておのずから命を絶つ意外にないところまで追い込まれてしまうのだ、と考えられるようになりました。したがって、私たちは、自分の意思で命を絶つという考えに基づく「自殺」という言葉ではなく、本人は生きたかったのだけれど、病魔に犯されたがために、やむをえず、つまり、おのずから死なざるを得なかったおおくの人々を思い、「自死」という言葉を使うことにしました。” ⑦本能としての自殺 “本能とは生命ある有機体に内在する衝動であって、以前のある状態を回復しようとするものであろう。” “生物が、かつて捨て去った状態であり、しかも発展のあらゆる迂路を経てそれに復帰しようと努めるふるい出発点の状態であるに相違ない。もし例外なしの経験として、あらゆる生物は内的な理由から死
〔注意〕 以下の文章は自殺に関するものです。具体的な描写や事例についての記述があります。ご自身の体調・状態等を考慮のうえで、お読みください。 ************************* “これでやっとわかった。もう“デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。ちょっと“異界”や“外部”にさわったくらいじゃ満足しない。もっと大きな刺激がほしかったら、本当に世界を終わらせたかったら、あとはもう“あのこと”をやってしまうしかないんだ。” 『完全自殺マニュアル』(太田出版)鶴見済著 “私たちは自殺する自由を持っているが、その自由は過酷である。” 『自由死刑』(集英社文庫)島田雅彦著 “「増池さんは考えたこと無いんですか?」 名前を読んでもらえたのが増池は嬉しかった。 「僕は、死ぬのが怖い。だから自殺なんて考
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