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科学に関するsuVeneのブックマーク (21)

  • 科学者は、神頼みしちゃ、いけないの? - novtan別館

    神はいない、世の中の出来事は全て科学で証明可能だ、というのは一つの見識ではありますが、それが真実になるのは万物理論が見つかってからだから今言ってもしょうがないよね、と思う今日この頃です。 宗教に否定的な態度をとる科学者もそれなりに多くおられるのでなんともかんともですが、 おそらく多くのニセ科学批判者も、次のような行為をしていることと思う。 初詣に行く。 葬式に行く。 科学の実験に際し「うまくいきますように」と祈る。 ダイエット中なのにお菓子をべてしまう。 2009-01-24 まあ、ネタですよねこれ。僕はどっちかというとニセ科学批判側の人ですが、ダイエットをしているときはおかしべなかったYO!でも初詣には行くし葬式にも行くし、バグがありませんように、と祈ります。 まことに失礼な話ではありますが、多くの日人にとって、神に祈るのはきわめてカジュアルな行為でありますね。心から神を信じて頼る

    科学者は、神頼みしちゃ、いけないの? - novtan別館
    suVene
    suVene 2009/01/26
    ネタでしょう。
  • 人間外部試験場:雑でゴメ。 - livedoor Blog(ブログ)

    あの時の議論を整理してみたよ 科学の排他的なとこが気にわない ↓ 科学者が受入れない考え方は科学と偽る疑似科学だ。科学は非科学を否定したりしない。 ↓ じゃあ非科学と疑似科学って何が違うの?or科学のそういうところって何処かキリスト教とイスラム教の関係に似て無くない?(最近思いついた) ↓ 非科学と疑似科学の違いは、というより疑似科学の問題は嘘をついてることです。and科学は批判的に物事を考えるが疑似科学はそうでない。 ↓ えーでも科学を偽らなくても信じる人は信じるし、科学ってレッテルはあんま関係ないじゃん。ただの飾り。 ↑ ↓ 疑似科学を意図的に広めようとしてる人は科学というレッテルを利用して人の心の隙に付入っている。 ↓ むしろ疑似科学を信じてる人間の方が科学を盲目的に信じてる ↓ いやそうじゃなくて、ぼくが問題にしたかったのは科学の排他性なわけで… ↓ 以後忘れた。 http://

    suVene
    suVene 2007/08/01
  • 人間外部試験場:科学vs疑似科学の話だが - livedoor Blog(ブログ)

    suVene
    suVene 2007/07/31
  • みんな分かってないよ - hasenkaの漂流記

    みんなって誰、失礼、一部の自分の記事をはてブした人達。なら宗教ってなに? 宗教と科学が別な物とハッキリ区別できるなら19世紀に神は死んだなんて誰も叫ばなかったろう。そういう考えは共通一次以降の問題が初めに在りきで答えは○か×を答えればいいという考えが習慣化しているからだ。宗教とはこの世界はどうして始まってどうなっていてどう生きればいいのかに応えてくれるものなのだ。この宇宙がどうやって始まったのか。神が開始したのか、ビッグバンで全てが始まったのか。さぁどちらを取るのだ、とした時殆どの人はやっぱりビッグバンを取るのでなかろうか。その採用理由は自分で考えたわけではなかろう。科学界が概ねその意見を採用しているからという理由にすぎない。そこでも様々な考えは分かれてビックバンはなぜ始まったの。そこに神の介在があるのではと考える人もいるかもしれない。だとしたら科学が解けない部分で神を介在させて科学の上位

    みんな分かってないよ - hasenkaの漂流記
    suVene
    suVene 2007/07/31
    別に科学が宗教でも(定義によるから)よいのだけど、俺が気になるのは排他する一神教として定義していたところ。(排他的に科学信仰する人がいないとは言わないが)
  • 科学という一神教 - hasenkaの漂流記

    科学は科学以外の考えを排除しようとする力が働く。水伝批判も学校の授業で使われているからという危機感あっての反応もあったろうが基は非科学的な事を信じないようにという布教活動であった。血液型性格判断を激しく攻撃する傾向もある。先日の運転免許更新講習で血液型による事故率の記事も現実に実害が発生する危険を予感しての反応があったようだ。マイナスイオンも一部の人が激しく攻撃する。もちろん勝手に信じる人は信じるがいいさという賢い人間もその姿は見えづらいが存在するだろう。 しかしそういう人々も含めて科学は科学でないものを排斥しようとする。勝手に信じればいいさと思っている人も心の中ではそういう人々を軽蔑するだろう。どうして共存できないのか。もしかして科学の信望者は無意識のうちに科学を信じていないのではないかと思ってしまう。自分たちの科学が崩壊する事を恐れているから必死に守ろうとする力が働く。だって絶対的信

    科学という一神教 - hasenkaの漂流記
    suVene
    suVene 2007/07/30
    『科学は科学以外の考えを排除しようとする力が働く』 それはない。
  • 検証する価値のある与太話

    1. 星座と性格(2006-12-19) 先日の記事に寄せられた意見の中で、気になるものがありました。 ニセ科学は正面から相手せぬ方が(id:DocSeri さん) あらきけいすけの業務日誌2006.12.21(あらきけいすけさん) 性格と客観性(id:ROYGB さん) 血液型性格診断程度には、検証する価値のあるデータだと思うが、いかがか? これにはまったく同感です。ただし、血液型性格診断と同じように検証する価値が全く無いという意味でですが。 菊池誠さんも度々説明されていることですが、血液型と性格は、現代では無関係とみなすに十分な材料が揃っていますが、昔はそうではありませんでした。血液型が性格に影響を及ぼす可能性はいろいろ考えられたからこそ、「血液型と性格の相関」が検証されたのです。 いまだに血液型と性格に深いつながりがあると主張するようでは、不勉強な人か、現代の科学が基盤としている信頼

    suVene
    suVene 2007/02/28
    安易にばっさり切るのが楽だからって、全部をばっさり切るのもダメだよって話。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…

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    suVene
    suVene 2007/02/22
    『倫理的・宗教的問題を語るのに「科学」を根拠にするときは気をつけたほうがいいよマジで』 ひっくり返った結果を受け入れる覚悟があるかどうかという指摘
  • The Black Crowes-擬似科学の行方を追跡するブログ- 科学の衣をまとった宗教:啓蒙説法師の系譜

    【科学の濫用】 高校では文系と理系に分かれることが当たり前のように行われる。そして、ときとして成績の悪い方が文系に回されることも多い。文系に理系コンプレックスがあることはしばし言及されることだ。さらに、大学に進むと、彼らが英語の論文を書くことは非常にまれなことであり、そのような国際的な土俵に立てない現実から西欧コンプレックスにもしばし陥り、西欧からの借り物の言葉で武装を始める。西欧に追いつけ追い越せの自然科学とは真逆であり卑屈な態度ともいえる。 「進歩的文化人」の中には「人文科学」や「社会科学」と名づけられた学問を学んでいるものも多い。それらの学問は自然科学とは異なり、証明が曖昧だったり不可能なものだ。それらに敢えて「科学」の名を僭称することで、逆に自然科学に対する劣等感が露呈ないし増幅される結果になっている。そこから、口先だけで生きている「人種」を生み出すことにもなる。 マルクス主義も自

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    suVene 2007/02/01
    理系文系に対する話/人文科学、社会科学に対する批判/ジェンダー・フリーへの批判
  • 科学が不完全だから疑似科学を信じるという不思議さ - NullPointer's

    世の中は、科学で全てが証明出来る程、簡単には出来ていないと思うのですけれど、どうなのでしょう。疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070112/1168588977 よく見かける意見だが、こういう意見を口にする彼らは科学が不完全だから疑似科学を信じているのだろうか? 「科学で解明できないことがある。科学で全てが証明出来るというわけではない」ならば「疑似科学を信じても良い」のだろうか。逆に「疑似科学がうさんくさい」ならば「科学が完全である」といえるだろうか。 そんなバカな話はない。なぜなら、両者はまったく関係ない事象だからだ。疑似科学は科学に偽装し、科学の権威を利用して証明できないことを真実のように言いふらし利益を誘導しているだけである。 科学が完全だろうが不完全だろうが、そ

    科学が不完全だから疑似科学を信じるという不思議さ - NullPointer's
    suVene
    suVene 2007/01/18
    まぁ、そうっすね。
  • 科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書

    19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ文化をみるとき、無視しようとしてもどうしても無視できないのが、スピリチュアリズムのブームである。交霊会があちこちで催され、霊媒師を通して霊魂との交流が行われた。ソローやエマソンの作品もこういう時代の雰囲気を知っていないと、当には理解できないんだろう。特に、スゥエーデンボルグの霊界探訪の記述は、この時代の文学者にベッタリと影響を与えていて、確かエマソンの母親はスゥエーデンボルグの信者だったはずである。 実はこういう心霊主義のようなものは、アメリカには植民地時代からわりと多くて、それは定期的に起こる信仰復興運動とは、また別の位相のものとしてずっと存在してきた。理由はよく分からないが、一つ考えられるのは、アメリカにはヨーロッパにおけるような確立した教会組織があまりなくて、こうしたキリスト教的には異端的ものが比較的存在しやすかったというのはあるだろう。魔女裁

    科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書
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    suVene 2007/01/17
  • 宗教とニセ科学は峻別できる。 - 不動産屋のラノベ読み

    So-net blog:Chromeplated Rat:科学と宗教(試論) http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-01-07-2 もちろん自然科学のスコープにおいては実在を証明することはできないけれど、だったらすなわち「ない」ことだ、としてしまうのは、別の意味での思考停止に他ならない。 宗教については一家言があります。 私の言いたい事は以下の3点です。 反証可能な事は科学の領域。宗教はそこに立ち入ってはいけない。 宗教の教義は、反証不能(=証明不能)なことでなければならない。故に、根拠がなく、信じるか信じないかの選択にならざるを得ない。 ニセ科学は、科学的手法を用いず反証可能な事を主張する。故に宗教ではない。 まず、1について。 これは、議論の余地がないところであると思います。「祈れば病気が治る」とか「空飛ぶスパゲッティモンスターが人類を創造

    宗教とニセ科学は峻別できる。 - 不動産屋のラノベ読み
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    suVene 2007/01/15
  • 神の存在/不在と「科学の範囲」 - *minx* [macska dot org in exile]

    最近、ドーキンスの『The God Delusion』とかマイケル・シャーマーの『なぜ人はニセ科学を信じるのか』とか(原文だけど)を読んだりデネットのロングインタビューをテレビで観たりした影響もあって(ほとんどドーキンスの影響だけどーーあのは良いよ)、id:NATROM さんの『進化論と創造論』サイトの「掲示板3」で神の存在/不在と科学の範囲についての議論をやっています。 というか、ほとんど一対多の論争になってしまっているのだけれど、いまのところそれほどボコボコにやられていないと思う(笑) 以下は、わたしが顰蹙を買っているさまざまな主張の例。 「神がいるかどうかは科学の範囲外」と一概に言うのはおかしい! 「奇跡」は科学の検証の対象となり得る!(そして宗教者はそれを認めている!) いわゆる「科学と宗教の住み分け」は不可能! てゆーか、科学と宗教は対等じゃねーんだよ!(暴言) 科学に分からな

    神の存在/不在と「科学の範囲」 - *minx* [macska dot org in exile]
    suVene
    suVene 2007/01/12
  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

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    suVene
    suVene 2007/01/10
    「一神教」という括りでも大きすぎると思うが、「宗教」よりマシか。
  • 23mmはてな日記-「科学」と「宗教」ですか…

    「流行り」のタグで合ってるのかどうか分かりませんが。 前に一度書いていますが、僕にとって、宗教は信仰の対象ではなく、興味の対象です。つまり、好奇心の対象です。儀礼的に宗教行事に参加するときは、敬虔な気持ちよりも、興味位な気持ちが勝っていることが多いですね。 どうも、僕は、宗教が(好き嫌いで言うと)好き、らしい。 でも、信仰しているわけでもない。そこは一線を引いておきたいと思っている、みたいです。 で、『good2ndの日記 - 穏健な宗教』という記事に対して、はてなの論客たちがいろいろお書きになっていらっしゃるわけですが、まぁ、宗教と科学を対立概念として捉えるのではなくて、補完関係になっていると考えた方が、それこそ「穏健」なのではないか、と僕なども愚考するわけでして。 『NC-15 - 宗教と科学って共存というより、全然別物のものだと思うが?』や、『大学生ニートblog - 科学はいつも

    23mmはてな日記-「科学」と「宗教」ですか…
    suVene
    suVene 2007/01/10
    「信仰」に対する見解が興味深い。/ シュワッキマセリ(意味なし
  • 科学はいつも宗教と共にある - ニート☆ポップ教NEO

    good2ndの日記 - 穏健な宗教 宗教と科学が「共存できるか?」なんて考えるのは日人だけなんじゃないだろうか。 欧米では科学者にも信仰を告白している人は多い印象があるし、特に数学者は定理の美しさなんかを「神」と結びつけて語りたがる*1。あとアインシュタインは「スピノザの神」を信じていたことで有名だよね。まぁ「スピノザの神」は一般に言われてる「神」とはニュアンスが違うけど。 水は言葉を理解したりしない、ということは「ほぼ断言していい」のに、神や霊魂は実在しない、ということは「ほぼ断言」できないんでしょうか。してもよさそうなもんだけどなぁ。この間にそんな大きな違いがあるんでしょうかね?うーむ。 「ほぼ断言」できない理由を簡単に説明しよう! 科学はこの世界がいかにあるか、どのようにしてあるかを理論的に筋道立ててきれいに説明してくれるね。 けど科学は「この世界がなぜその『理論』で説明できるの

    科学はいつも宗教と共にある - ニート☆ポップ教NEO
    suVene
    suVene 2007/01/10
    最近のブログでみた「科学と宗教」の中で一番しっくりくる。/ 「宗教」の定義にもよるが、宗教観の比較分析はとても面白い。
  • 神の存在について - rna fragments

    さらに 2 番目のほうはもっとよくわからない。というかまず、なんだかごまかしのように見える。水は言葉を理解したりしない、ということは「ほぼ断言していい」のに、神や霊魂は実在しない、ということは「ほぼ断言」できないんでしょうか。してもよさそうなもんだけどなぁ。この間にそんな大きな違いがあるんでしょうかね?うーむ。 穏健な宗教 (good2ndの日記) 霊魂にしても神にしても定義として超自然的な存在は、自然科学で存在を実証したり否定したりはできないのだと思います。とりあえず神について。 神と言っても色々ですが、意志を持ち全知全能であるそれを仮定すると、一定の条件下で観測するとその存在を示す観測結果が必ず得られる、ということは期待できません。相手は意志を持っていて自由に観測結果を操作できるのですから。*1 そんなの定義そのものが反則という気がしないでもないですが、そういうものを想像できてしまうの

    神の存在について - rna fragments
    suVene
    suVene 2007/01/08
    神を信じる人は合理主義者では無い という話。
  • 科学と宗教(試論):Chromeplated Rat

    ニセ科学に関連して、宗教に言及すべきだとは以前から考えている。でも、ぼくの思考能力の限界の低さもあってさっぱり簡潔にまとめることができない。テーマがでかすぎるのだ。でも、good2ndさんの「穏健な宗教」と云うエントリを読んで少し感じたことがあったので書いてみる。自分の中でしばらく出そうにない結論に向かっての、途中のステップとして。 以前にも書いたけれど、ぼくは科学も宗教も「世界を理解し、その中に自分自身を含む人間と云うものを位置づけるためのメソッドとツールのセット」であると考えている。その意味では、「信じること」から始めるのは宗教の質ではない。科学も宗教も、来は「疑うこと」から始まっている、はずだ。 ひとが生きていく、その過程の中で、神や霊魂の実在を感じることは実際に発生する。それが科学的事実かどうかはともかくとしても、感じることはあるのだ。神とか霊魂とか云う云い方がまずいなら、シン

    suVene
    suVene 2007/01/07
  • 「で、みちアキはどうするの?」 - 20070107 comment -

    ちょっと面白いエントリを見かけたので言及させていただきます。 good2ndの日記 : 穏健な宗教 なんというか、科学を信用していながら神や霊魂の実在をナンセンスと思わない、って一体どういう状態なのかうまく想像できないんですよね。 ぼくも思う。なんというか、神や霊魂の実在をナンセンスと思いながら初詣や葬式に行く、って一体どういう状態なのかうまく想像できないんですよね。 たとえばさ、ぼくが公園で空き缶を拾ってくるよ? で、あなたに「今からコレがお前の神様だ。毎日20分ほんとうに心からコレにお祈りしなさい。サボると死ぬ」って言っても、んなワケあるかーッ!!でしょう? でも、ぼくの思う「信じていないナンセンス」ってのは、つまりそういうレベルのこと。まったきゼロってこと。イチもニもなく、薄紙一枚差し込む隙すらもなく、「そんなこと絶対ありえない」。故に行動に至れない。でもさー、初詣や葬式に行くときの

    「で、みちアキはどうするの?」 - 20070107 comment -
    suVene
    suVene 2007/01/07
    “宗教”と一括りに科学と対比している記事に、伝統と行事を混ぜた記事。
  • 穏健な宗教 - good2nd

    ちょっと前の話題ですが、ニセ科学がらみで「穏健な宗教と科学は共存できる」というような言い方がされてました。でその、「科学と共存できる穏健な宗教」ってどんなんだろう、というのがどうもよくわからない。「穏健」というのが、単に狂信的でないとか暴力的でないとか反社会的でない、というのであれば、まあ日にある大抵の宗教は穏健ということになるんでしょうが、「科学と共存」というのがどうも。科学者の人とか信者の人とかは結構はっきりした考えがあったりするんでしょうかね。よくわからないので、科学も宗教もろくに知らないなりに考えてみました。 まず、自分にとっての宗教っていうと、法事には一応出席する、仏壇の前や墓参りの時はなんとなく心のなかで死者に語りかける、各種お祭りはわりと好き、神社仏閣に行けばお参りする、くらいのものでしょうか。僕は基的に科学を信用していて、神とか霊魂とかはある種のファンタジーだと思ってま

    穏健な宗教 - good2nd
    suVene
    suVene 2007/01/07
    まず「宗教」として対比している時点で理解するにはあまりに遠い。/日本では確かに1が多そう。/世界で考えると、科学を専攻・研究している人かつファンダメンタリストというのは沢山いる。
  • 過去を扱う学問 - 妄想科學倶樂部

    科学が『ニセ科学』を糾弾できない当の理由 「今では否定される部分の多い*1仮説」と「最初から正しくない仮説」を同列に語られても、といった話は既に何人も指摘しているだろうから別の話を。 古生物学分野というのは限られた情報のみを元に、類推を加えて全体像を補うことで成立している。従ってなかなか「定説」が成立せず、頻繁に「現在のトレンド学説」が変わってしまう。なにしろどの説も、「物」を見ることが不可能であるために証明しようがないからだ。 こうした事情は過去の事象を扱う考古学や歴史学でも同様で、文字記録の有無など情報量に差こそあるものの、質的に「見て確かめる」わけにいかないという事情では一致している。 確認不可能である以上、すべての説は「仮説」の域を出ない。確定した証拠からの推論により否定されたり補強されたりはしても、それ以上の「定理」のようなものになることはない。「確度の高い仮説」と「低い仮

    過去を扱う学問 - 妄想科學倶樂部
    suVene
    suVene 2006/12/28
    日本人の宗教観で考えてるなぁ。神仏などの表現が既に。