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アジアに関するsizukanayoruのブックマーク (26)

  • 深セン訪問レポート 2018年秋 - Nothing ventured, nothing gained.

    番外編 中国高鉄の駅弁 ユースホステルのインターネット洗濯機 初日(香港〜深セン) Advanced Meal Delivery Service タクシー運転手のレーティング 2日目(深セン) KFC 地下鉄 QRコード デリバリーサービス Mobike 盒馬鮮生(フーマー・フレッシュ) カルフール(家乐福) 城中村 Didi(滴滴快车) 3日目(深セン) バッテリー貸出 屋 市民中心のLEDショー 4日目(深セン〜香港) 雑な感想 11/20〜23まで香港経由で深セン(深圳)に行ってきたので、その備忘録。これをもって、深センが凄いとか、いや日の方が優れているとか言うつもりは無い。 行きは香港経由。 番外編 いきなり番外編となるが、香港へ向かう機内で今回の深セン行きに同行してくれた秋吉理学氏*1 から次のような刺激的な話を聞く(注:いずれも深センの話ではない)。写真は氏撮影のものをお借

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  • 若者が消えたベトナムの村 出稼ぎ先で直面した残酷な現実 「実習生御殿」に日本への「愛憎」を見た(withnews) - Yahoo!ニュース

    【#となりの外国人】 「あこがれ」と「明るい未来」に突き動かされ、若者が消えてしまった村がベトナムにある。行き先は、海外。技能実習生などとして資金を稼ぎ、家族のため家を建てるのが目的だ。そんな「御殿」への思いを胸に、日に渡る人たちも少なくない。しかし中には、様々な事情から失意の内に帰国するケースも。彼らの希望をつなぐために何ができるのか。現地を歩き、住民たちが抱く日への「愛憎」に触れながら、考えてみた。(朝日新聞ハノイ支局長・鈴木暁子) 【画像】「24h営業」「3K職場」…日人が避け、外国人が続々請け負う仕事は?バーチャル体験できます 「ベトナムの普通の農村とは思えぬ光景がある」。そう人づてに聞き、私は平日の昼間にある村を訪ねた。 首都ハノイから車で2時間弱の場所にある、フートー省ビンライ村。木々の間に大きな家々が立ち並び、まるで別荘地のようだ。ぴかぴかの邸宅が、これでもかというほど

    若者が消えたベトナムの村 出稼ぎ先で直面した残酷な現実 「実習生御殿」に日本への「愛憎」を見た(withnews) - Yahoo!ニュース
  • インドを軽視する日本人が知らない大きな波

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    インドを軽視する日本人が知らない大きな波
  • 「腐敗警官」102人集め、「殺すぞ」と威嚇 比大統領

    ドゥテルテ大統領が重罪犯罪の疑惑をかけられた警察官に対し「殺害する」と脅した/Philippines Presidential Communications Office (CNN) フィリピンのドゥテルテ大統領は9日までに、重罪犯罪に加担した疑惑で捜査を受けている国家警察の警官102人を大統領府に呼び付け、「犯罪行為を続けるのなら、殺害する」と威嚇した。 国家警察と国軍の共同記者会見で述べた。地元のCNN系列局「CNNフィリピン」によると、「お前たちがやっているように、人間を殺すのは簡単。後をつけて背中に撃ち、静かに立ち去る」と語った。また、102人は「役立たずで社会への脅威」とも切り捨てた。 さらに、汚れた警官の処罰では「正当な手続き」の主張や人権上の配慮は無視させるとも主張。「このばか者どもが死んだとしても、人権や正当な手続きを叫びながら我々のもとに来ないでくれと警告しておく」とも述

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  • 【古代インド】ヒンドゥー教はどのように成立したか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    馴染みがあるようでないヒンドゥー教について学ぼう 我々に馴染みが深い仏教の教えは、その大部分が古代インドの思想がバックボーンにあります。 輪廻転生とか諸行無常とか縁起とか、すべてインド人の発明です。 しかし、いまインドの宗教のマジョリティであるヒンドゥー教は、シヴァ神とかパールヴァティとかガネーシャとか、我々とは全く異質の世界です。 今回は、古代インドの思想の発展とヒンドゥー教の成り立ちについて見ていきたいと思います。 1. ヴェーダの宗教の成立 紀元前1500年ごろ、北半球の寒冷化と大規模な乾燥化により、イラン北東部に住んでいたアーリア人がヒンズークシュ山脈を超えてインドに大移動しました。 インダス河流域には、衰退したものの健在のインダス文明が存在し、アーリア人はインダス文明の担い手であった先住民と戦って土地から追い出したり、支配に組み込んでいきます。 北インドの新たな支配者となったアー

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  • 世界の若者、移住先はアジア 人口移動に異変 細る欧米、高齢化に拍車 - 日本経済新聞

    成長が続くアジア・中東へ移住する動きが世界的に広がっている。かつて豊かな欧米を目指したアジアの若年層も同じアジア域内を移住先に選ぶケースが急増し、労働供給と経済発展を支える。欧米への移住者は細るだけでなく高齢化が進み、社会保障負担増などを通じ各国で新たな排斥の動きにつながりかねない。国連によると、2017年時点の世界全体の移住者は2億5800万人と、2000年から5割増えた。米国に住む移住者が

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  • やはりアイヌ人と琉球人の方が本土人よりも遺伝的に近かった - 東大など

    総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日列島人(アイヌ人、琉球人、土人)のゲノム解析により、現代日列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。 成果は、総合研究大 生命科学研究科 遺伝学専攻教授を兼任する国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門の斎藤成也教授、東大大学院 医学系研究科 人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東大大学院 理学系研究科・理学部の尾惠市名誉教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、11月1日付けで英国学術誌「Journal of Human Genetics」オンライン版に掲載された。 日列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類

    やはりアイヌ人と琉球人の方が本土人よりも遺伝的に近かった - 東大など
  • 北元の歴史 - 元王朝がモンゴル高原に撤退して以降 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Al Jazeera English 明朝成立後も約280年モンゴルで続いた元朝 1368年、元朝の順帝(トゴン・テムル)は明軍に追われて都の大都(北京)を脱出し、北方に逃れました。 これをもって華北は再び華人の天下となったのですが、北に逃れた元朝はその後も健在で、しばしば華北に攻め入り、明皇帝・正統帝を捕虜にする(土木の変)など、北方から明を脅かし続けました。 1636年、後金国のホンタイジが諸部族から「モンゴリアの支配者」の称号を推挙され、後金が清朝に変更したことで元朝は正式に消滅しました。 そのあいだの280年間の元朝の歴史を見ていきたいと思います。 1. モンゴル高原に撤退した元王朝 Image by Khiruge フビライ・ハーン家の王位断絶 北方に逃れたトゴン・テムルは2年後に死亡。 長男アユルシリダラと次男トクス・テムルは華北の回復を目指し、明と軍事対立を

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  • “フィリピンのダーティーハリー”は「民主主義」の練習問題 週刊プレイボーイ連載(259) – 橘玲 公式BLOG

    ラオスで開かれたASEAN首脳会議でフィリピンのドゥテルテ大統領が、オバマ大統領への「暴言」を理由に首脳会談を中止される異例の事態が起きました。報道によれば、「フィリピンのダーティハリー」とも称される大統領は、「(オバマ氏は)我々に敬意を払うべきだ」と記者団に述べたあと、タガログ語で「クソ野郎」と罵ったとされています。英訳では“son of a bitch(売春婦の息子)”とされていますからたしかに尋常ではありません。その後、ドゥテルテ氏は「後悔」を表明しますが、これではオバマ大統領としても会談の場に出るわけにはいかなかったのでしょう。 事件の背景には、ドゥテルテ大統領就任以来の国家警察による大規模な麻薬密売人の殺害があります。これまでフィリピンでは警官の発砲に厳しいルールが課せられていましたが、「容疑者が抵抗したら迷わず発砲する」との方針が出されたことで、すでに1000人以上が射殺された

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  • 「日本人に踊る習慣はない」とインド人に言ったら返ってきた反応

    Chemis @Chemis_twit そういえばインドで 私「日人に踊る習慣はない。」 インド人「えぇ!?じゃあ目的物質が得られたときどうするの!?NMR室で踊らないの!?えっ!?えっ!?」 って言われたのめっちゃ面白かった。 2016-07-11 21:20:39 Chemis @Chemis_twit そういえばもうひとつ… インドの研究所での昼飯時 インド人A「今の彼女には、もちろん踊りながら告ったよ。」 B「前、韓国の学生が『俺たちはただI love youと言う。なぜインド人は告るとき踊るんだ?』って聞いてきたんだけど…」 A「なんで他の国では踊らないの…」 2016-07-11 23:46:18

    「日本人に踊る習慣はない」とインド人に言ったら返ってきた反応
  • ジョヨボヨの予言とインドネシアの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Attribution:Tropenmuseum, part of the National Museum of World Cultures 預言者ジョヨボヨが語った「正義王ラト・アディル」伝説 インドネシアのジャワ島では、「ジョヨボヨの予言」というものが口承で長い間人々に受け継がれてきました。 ジョヨボヨとは、11世紀半ばのクディリ王朝の王ジョヨボヨのことで、彼がその後のジャワの未来を全て予言したという伝説。予言の中でジョヨボヨは、やがて乱れ狂った世が来るが、正義王ラト・アディルが現れて正義と繁栄の王国が現れると告げた、とされます。 以降、このジョヨボヨの正義王伝説に則って、それぞれの時代で自らを正義王と名乗る人物が現れて「世に正義を為すべく」行動を起こしていくことになります。 この思想は長い時間をかけてジャワ全域に、下層階級から王族まで幅広い階層の人が持つ共通文脈になっていきました。

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  • やる夫が大海皇子になるそうです 第十二話 「すくせ」 後編

     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この時期は色々なターニング・ポイントになっている。 半島西南の小国である新羅が強国になっていくのもこの時期である。 __________________________ ___                                 r'´ /    `ヽ                              _,.-''´ /       )                          _ノ _ノ       /          ∧_              `i r'´         ノ      _,,.-‐''"~  `'ー-、_          r' 丿    _,,-''´           `i         `ー-、 {_   /                  丿  高 句 麗    

    やる夫が大海皇子になるそうです 第十二話 「すくせ」 後編
  • 100年=不発弾処理にかかる年数 - Chikirinの日記

    古都ルアンパバーンには、「ラオス不発弾処理プロジェクト・ビジターズセンター」という施設があります。 ラオス全土に未だ多く残る不発弾の処理を進める組織の広報拠点で、オーストラリアの支援で運営されてるとのこと。 街ゴト世界遺産であるルアンパバーンには観光客が溢れてるのに、こんな物騒系の施設を訪れる人は少ないのか、この時の見学客は私だけでした。 <センターの入口に並ぶのは物の爆弾やミサイル> 前に「ラオスの歴史政治」で書いたとおり、ラオスはベトナム戦争の舞台として国土を使われ、アメリカ軍から大量のクラスター爆弾を落とされています。 クラスター爆弾とは、ひとつのミサイルの中にたくさんの小さな爆弾が入っていて、落ちると広範囲に爆弾が飛び散るもの。 これですね。てかクラスター爆弾の実物って、今回はじめて見ました。 ↓ 最近の中東の戦争では、アメリカ軍も世界世論を気にし、(誤爆も多々あるとはいえ公式

    100年=不発弾処理にかかる年数 - Chikirinの日記
  • 子供からおみやげを買わないという教育支援 - Chikirinの日記

    ラオスは ASEAN のメンバーではあるものの、いまだアジアで最も貧しい国のひとつです。 このため日中国、そして国際機関から NPO まで様々な人や組織が支援を行っています。 今日はそれらのうち、「商品企画&デザインの支援」と「観光客にもできる教育支援」のふたつについて書いておきます。 <メコン河を望むレストランにて> ラオスの名産品のひとつが、少数民族を含むラオスの人達が昔から手作りしてきた伝統的な織物です。 シルクが多いですがコットンもあります。民族により織機で複雑な模様を作る場合と、刺繍して作る場合があります。 もともと自分達の祭りや風習、日常生活のために作っていた布なので、昔はそれらが商品として、広く販売されたりはしていませんでした。 しかしある時点で先進国の人達がそのすばらしさに気づき、ラオスで買ってきた布を自国で売り始めます。 しかし、そこにはふたつの問題がありました。 ひ

    子供からおみやげを買わないという教育支援 - Chikirinの日記
  • ルアンパバーンの托鉢に見る伝統と変化 - Chikirinの日記

    敬虔な仏教国であるラオスでは、黄色い袈裟に身を包んだお坊さんが一列になって歩き、沿道に並ぶ人々から一握りのご飯を受け取る托鉢(たくはつ)というセレモニーが毎日行われています。 ガイドの Tさんによれば、「托鉢において、お寺は郵便局のような役割です。人々が祖先に届けたいお供え物をお坊さんに託せば、自分の代わりに祖先に届けてくれます」とのこと。 日だと仏壇に供えるご飯を、ラオスではお坊さんに託す、ということですね。 時にはタイや日から来たお坊さんも(ラオスのお坊さんにべ物を渡す側として)参加するため、お坊さんがお坊さんにお供え物を渡すという不思議な絵も見られます。 ↓ 托鉢はラオス全土で行われてますが、もっとも観光客向けにアレンジされているのが、古都であり世界遺産でもあるルアンパバーンという街の托鉢です。 まず、ここの托鉢は開始時間が違います。 他都市では通常、朝 5時半頃に行われますが

    ルアンパバーンの托鉢に見る伝統と変化 - Chikirinの日記
  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

    フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS
  • 写真で学ぶラオス事情 - Chikirinの日記

    シリーズでお送りしているラオス旅行記の続き。 今日は写真を見ながら、ガイドの Tさんから聞いた話をあれこれご紹介。 ↑ こちらはラオスの刑務所。 Tさん 「刑務所は街から離れたメコン河沿いの森の中や、中州の島にあります。 刑務所に入るのは、喧嘩(傷害)、事故、詐欺、泥棒などで捕まった人が多いです。殺人などの凶悪犯罪はまだ少なく、麻薬で捕まるのも国境付近の人だけです。 女性は売春や窃盗、三角関係による喧嘩などで入る人が多いと聞いています。 ラオスには死刑はありません。 終身刑がありますが、服役態度が良く、差し入れの一部を看守に渡すなど“行いが良い”と早く出られるので問題視されています。 刑務所では、農作業の他、カゴやセーターの編み方を教えるなど職業訓練も行いますが、長く刑務所に入っていて元の村や家に戻れなくなった人は、出所後、刑務所の周辺に住んで魚を釣ったり農業をして、刑務所に納める仕事につ

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  • お坊さんと王様@ラオス - Chikirinの日記

    シリーズでお送りしているラオス旅行記の続き。 ラオスは敬虔な仏教国。今日はお坊さん関係の話と、その昔、王国であったラオスの王様関係の話です。 ちきりん 「お坊さんになる人って、小さいころから仏教が好きで、それでお坊さんになると決めるの?」 Tさん 「出家には 3種類あります。ひとつが習慣出家。男子はみな 3ヶ月は習慣として出家します。 もうひとつは厄払い出家。自分や家族に悪いことが続いたとき、厄払いとして 3日とか 1週間だけ出家します」 ちきりん 「へー!」 Tさん 「最後が、教育を受けるための出家です。ラオスでは義務教育は無料とされていますが、実際には教科書代や課外活動のためお金がかかります。 でも 10歳でお坊さんになると、一般の学校ではなくお坊さんの学校に通えます。こちらはべ物も托鉢などでまかなえ、生活費を含めてすべて無料です。 だから、田舎の貧しい家に生まれたけど勉強したい子は

    お坊さんと王様@ラオス - Chikirinの日記
  • ラオス旅行記 日常生活編 - Chikirinの日記

    先々日、先日に引き続き、ラオス旅行のガイド、Tさんとの会話です。 昨日は政治歴史の話でちょっと重かったので、今日は経済や文化の話。 <フランスの植民地だったインドシナはどこも、フランスパン+アジア具材のサンドイッチがメチャ旨> ちきりん 「自動車のナンバープレートの色が違うけど・・・」 Tさん 「黄色は個人の車、白は企業の車、青が外交官や政治家で、赤が警察や軍の関係車です」 ちきりん 「黄色いプレートも多いですね。みんなどうやって車を買うお金を手に入れるの?」 Tさん 「ラオス人は土地持ちだから、土地を売って車や家電を買い、生活費として使います。 たとえば、ビエンチャンの川沿いの土地なら一平米 1000ドル以上、街中でも 300ドルくらいするけれど、田舎の土地は、一平米 1ドルくらいで買えるんです。 ところがそういう田舎の土地でも、日からの援助で近くに道路が作られるとすぐに一平米 20

    ラオス旅行記 日常生活編 - Chikirinの日記
  • ラオスの歴史と政治について - Chikirinの日記

    先日に引き続き、ラオス旅行のガイド、Tさんとの会話です。 今日は国立博物館でラオスの歴史について説明を受けたので、それに関連する話から。 ラオスの歴史、知らない人も多いと思うので簡単にまとめておくと↓こんな感じ。 1353年 ラーンサーン王国が成立 1713年頃 ラーンサーン王国が3つの王国に分裂 1893年 フランスが植民地化 1945年 日軍が一時期だけ傀儡化しようとするが、日の敗戦後すぐフランスが再植民地化 1953年 ラオス王国としてフランスから独立するも、ベトナム戦争が始まるとラオス王国はアメリカの傀儡政権と化し、少数民族も含めベトコン(ベトナム共産軍)との戦いにかり出された上、全土に米軍のクラスター爆弾が投下されるなど焦土化。 1975年 ラオス王国を倒し、社会主義国のラオス人民民主共和国が成立 1986年 政治体制は社会主義のまま、資主義経済を採用するラオス式社会主義へ

    ラオスの歴史と政治について - Chikirinの日記