稲田朋美防衛相が陸自「日報」問題で引責辞任したが、遅きに失した感がある。安倍晋三首相は「保守政治家のホープ」として稲田氏を行革担当相、自民党政調会長、防衛相と重用してきたが、ついに期待に応えることができなかった。過去に何度も更迭の機会がありながら、これを逸した首相の非も否めない。 「稲田氏から防衛省のトップとしてけじめをつけたいと強い申し出があった。その意思を尊重し、辞表を受理することとした」 首相は28日午前、首相官邸で記者団にこう語り、更迭を否定した。稲田氏の政治生命が絶たれるのを避けたいとの思いがにじむ。 首相は、野党時代に舌鋒(ぜっぽう)鋭く民主党政権を追い詰めた稲田氏の功績を高く評価し、平成24年の第2次安倍内閣で当選3回ながら行革担当相に抜擢(ばってき)した。 さしたる成果はなかったが、26年9月には政調会長に起用した。首相自らも当選3回で幹事長に抜擢された経験を持つ。自らの手
![【稲田朋美防衛相辞任】首相の情けが将来の芽も摘んだ 何度も更迭の機会ありながら逸した(1/3ページ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6fa1ad00975a0290f0ba989e22daf060ea6a2681/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffanyv88.com%3A443%2Fhttps%2Fwww.sankei.com%2Fresizer%2FQAtZa-OGDKVu_FW01YADXvetjqc%3D%2F1200x630%2Fsmart%2Ffilters%3Aquality%2850%29%2Fcloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com%2Fsankei%2F4F5ODENHMZL4RF7OW5J3IH75ZI.jpg)