No. 20 教育制度批判 その3 2008年4月 2日 社会 コメント: トラックバック (0) (これまでの 白田秀彰の「現実デバッグ」はこちら。) 戦前までは、天皇に象徴されていた「公」に奉仕する、戦争遂行能力──すなわち知力体力の総合力において可能な限り優れた国民を養成していれば良かった。ここで付言しておけば、「国家」が戦争遂行組織として編成され成長した面をもつという歴史的事実を背景に、国家の視点からみて戦争は悪ではなかった。第一次世界対戦以前において、戦争は、国家(国民)の総合能力を試す事業としてさえ見られていた。──それぞれの子供達の「思い」とか「個性」は、養成目標でもなければ評価項目でもなかった。「国家共同体に貢献するか否か」という観点からのみ義務教育は行われれば良かったのだ。目的が単純で評価軸がはっきりしていれば、教育の手法も明確になり、指導にもブレがなくなり、子供達も思い
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