小島威彦『百年目にあけた玉手箱』は、人名索引があればもっと活用されるだろう。さりげない記述の中にびっくらちょの人物が隠れていた。2巻(創樹社、平成7年1月)140頁の次の一節。 僕は弟の重正の来春に迫った受験が気になって、たまたま高等師範の秀才で共産党シンパ事件で停学になった東北人の芳賀という青年が、国民精神文化研究所の委託学生に入ってきたのを、僕は見るなり気に入って弟の家庭教師に依頼した。山形の農家出身で生一本な勉強家だ。彼は僕の懇望に応じてくれ、重正もよろこんで勉学を誓った。 「重正」は深尾重正で、小島の妻淑子の弟である。これは、昭和7年の出来事とされているので、『国民精神文化研究所々報』第1号(国民精神文化研究所、昭和8年6月)を見ると、小島は昭和7年8月23日に同研究所助手となり、また同年11月19日「芳賀幸四郎本所事業部研究生指導科研究生トシテ入所ヲ許可セラル」ともあった。芳賀幸