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荻原魚雷と三重県に関するshigak19のブックマーク (6)

  • 鈴鹿の文学

    高井有一著『塵の都に』(講談社、一九八八年刊)は、明治の文士・齋藤緑雨について書いた“現代小説”である。「私」は新聞社勤めで三重の津支局長をしていたころ、緑雨の生誕地の鈴鹿に住む人物と知り合い……。「私」の経歴は、作家人と近いのだが、微妙にちがう。 昨年あたりから郷土文学のを立て続けに読み、鈴鹿や津が舞台の小説として『塵の都に』を知った。二十代半ばから三十代半ばにかけて、わたしは高井有一さんに何度かお会いしている。ほぼ酒の席だったが、昔の同人誌や文学者の集まりのことを聞くと、いつも穏やかな笑顔で答えてくれた。そのとき『塵の都に』の話ができなかったのが悔やまれる。 この小説の後記に「近鉄鈴鹿市駅を降りて歩き出すのとほぼ同時に雨が落ちて来て、みるみる激しくなつた。私は商店街の傘屋に入つて、折畳みの傘を一買ひ、ついでに『龍光寺はどつちになりますか』と訊ねた」とある。 龍光寺は、三重にいたこ

  • 三重と京都

    二日(火)、新幹線で名古屋。近鉄に乗りかえ、四日市駅。四日市あすなろう鉄道(内部線)で内部駅に。わたしが乗った車両は座席が前向に一列(そうでない車両もある)でバスみたい。 あすなろう鉄道は、軌幅が762mmのナローゲージの鉄道で五月一日が開業762日目で記念列車を運行中だった(五月七日まで)。 昨年、あすなろう鉄道の終点の内部(うつべ)駅から平田町駅までのバスがあることを知り、いちど四日市駅〜内部駅〜平田町駅というルートで帰省してみたいとおもっていた。 内部駅からのバスは一時間に一。三十分待ち。十五分遅れでバスが到着する。バス停でひとり。心細かった。 バスの乗客は三人くらい。終点に着くころには、わたしひとりになっていた。三交バス、大丈夫なのか。 鈴鹿ハンターの1Fにあるゑびすやで天もりうどんをう。二階の衣服店で下を買う。 とりあえず、郷里の家に顔を出し荷物を置いて、夕方、港屋珈琲で一

  • 新年

    年末年始、三重に帰省する。父が亡くなってから、はじめての正月。 元旦は午前中、コメダで珈琲。昼から久しぶりにイオンモール鈴鹿(ベルシティ)に行ったのだが、人が多すぎてすぐ出る。その隣のイオンタウン鈴鹿へ。ラーメンべて、ニトリと地元農産物直売わくわく広場などに行く。 二日、墓参りのあと、神戸城(神戸公園)に行く。いつの間にか、郷里の家の近くから神戸城付近まで遊歩道が整備されていた。鈴鹿に滞在中、一日平均二万歩くらい歩く。今年の正月は暖かかった。 昨年の暮れ、岩明均の『寄生獣』、年明け、東京に帰ってきてから荒川弘の『鋼の錬金術師』を読む。 どちらもラストの記憶がぼんやりしてきたので、あらためて通読した。ときどき読み返さないと忘れてしまう。 録画していた年末のプロ野球の戦力外通告の番組を観る。 加齢、ケガ。スポーツの世界は厳しい。フリーランスの生活も楽ではない。いつまで「現役」を続けられるの

  • 三重と京都

    八月九日、吉祥寺SCARABで「夕涼み『オグラ三弦楽団』リサイタル」を観る。オグラさん、ピアノが原めぐみさん、コントラバスは新井健太さん(東京ローカルホンク)という「オグラ文化祭」でおなじみのメンバー構成。いいライブだったですよ。音楽の中にオグラさんが考えたこと——変わらない部分も変わった部分がつまっている。いろいろな音楽がまざりあい、「円熟」や「洗練」もされているのだけど、それ以上に「変」や「不思議」に磨きがかかっている。 十日、三重に帰省。凍結されていた父の銀行口座の問題がようやく解決する。 鈴鹿ハンターのゑびすやで天ぷらうどんをい、二階のステップで衣類を買う。ハンターの近くにぎゅーとらというスーパーもできていて、大黒屋光太夫あられ(北野米菓)も買った。 母に鈴鹿ハンターができる前は、どこで買い物をしていたのか訊く。ハンターはわたしが幼稚園のときにできた。それ以前の記憶がない。 「ハ

  • 三重と京都

    日曜日、三重に帰郷する。鈴鹿に滞在中、二日で三回、港屋珈琲に行く。 朝七時すぎに起き、午前八時にモーニング(コーヒー+トースト+ゆでたまごのセットが三百九十円)。家の近所を散歩し、市役所や銀行などをまわったのだが、まだ午前中だ。一日が長い。 ひさしぶり——三十年ぶりくらいに椿大神社にも行った(最近、パワースポットとしても有名らしい)。椿会館で天ぷら定べ、土産にとりめしを買った。 鈴鹿に帰ったら、椿会館のとりめしとゑびすやのうどんはいたいとおもう。ゑびすやはかやくうどんを復活させてほしい。 わたしが上京した年に、両親は隣の駅に引っ越した。近所を散歩していても、「こんなところがあったんだ」という発見がいろいろある。今回、自分が通っていた小学校がけっこう近いことを知った。徒歩圏内に喫茶店やコンビニができたのもありがたい。 三重に帰る前にメリーゴーランド京都の店長の鈴木潤さんの『絵といっ

  • 近くて遠いから、うれしくてさびしい。 - バンビのあくび

    最近、といってもけっこう前からになるのだけれど、荻原魚雷さんのブログを度々読んでいる。なぜ、荻原魚雷さんのブログを読むのかと問われたなら、当たり前のように過ぎる日常を書いているからであるし、それともうひとつは荻原魚雷さんの故郷が三重県鈴鹿市だからである。 私は長く、埼玉県で暮らしていたが、その頃は地元に住んでいる作家等を意識することはまったくなかった。県単位で考えて見ると、埼玉県出身の作家や芸能人が多数いらっしゃるため、とくに誰かを意識することがなかったのだ。それが、三重県に住んでからはテレビを見るたびに「三重県出身」をなんとなく意識してしまうようになった。ああ、この人は三重県出身なのかと思うたびに、親近感さえわいてしまう。磯野貴理子も小倉久寛も椎名桔平も足立梨花も。最近、ぱいぱいでか美も三重県出身と知りなんだか気になり始めてしまった。 いま、私が暮らしている町とあの人達が見ていた風景がど

    近くて遠いから、うれしくてさびしい。 - バンビのあくび
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