清野 由美 ジャーナリスト 1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。2017年、慶應義塾大学SDM研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。 この著者の記事を見る
清野 由美 ジャーナリスト 1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。2017年、慶應義塾大学SDM研究科修士課程修了。英ケンブリッジ大学客員研究員。 この著者の記事を見る
東京・日本橋、随所で再開発が進む伝統の街で、ひときわ目を引く建築現場がある。建物のファサードを転写した外部足場シートで、建物の外周全体が囲われているのだ。なぜ、このようなことをしているのか、中でどんな工事をしているのだろうか。
経済学は本来、お金に関する学問ではなく、社会や人間行動に関する学問だ。確かに経済学ではお金の役割が強調されることも多いが、社会現象の分析を出発点とするところは、法学や政治学と同じだ。ただ、視点が異なるわけだ。その違いを次の例を手がかりに考えてほしい。その上で、市場主義と経済学の役割に立ち戻ろう。 景観の美しい地域に持ち上がった「高層マンション計画」 周囲には2階建の戸建て住宅がほとんどの東京都内のある市のある地域に、18階建ての高層マンションの建築が計画されたとしよう(実際にあった事件だ)。周辺の美しい街並みは全国的にも知られていて、東京都や国土交通省からも表彰を受けたりしている。街並みは整然としていて、駅前から4車線の大通りがまっすぐ南に伸び、イチョウとサクラの街路樹が立ち並ぶ。 大通りに沿って立ち並ぶ建物は街路樹の高さに合わせてせいぜい3階建て程度であり、大通りからは広い空を見上げるこ
シーズン中は33万人が訪れる日本三大桜の1本 昨年の開花時から落花までのシーズン中に訪れた花見客は33万7983人、駐車場収入(滝桜協力金)は2147万円だったという。 天保7(1836)年に編纂された『瀧佐久良記』(原本流失)には、歴代の三春藩主の、滝桜に寄せる思いが伝わっている。まず、桜木を御用木と位置づけて周囲の畑地を無税とし、竹の矢来で桜を囲み、養生に努めさせた。また、開花が近づけば早馬を出して状況を聞いたことが記されている。もちろん、見頃ともなれば供を引き連れて花見に臨んだ。「三春盆唄」にはこんな一節がある。 …滝の桜に手はとどけども 殿の桜で折られない 樹齢の1000年は推定であるが、今から364年前の古文書には、秋田氏が藩主となった正保2(1645)年ころ、滝桜はすでに大木であったと記されている。
日本建築学会の学会誌である「建築雑誌」,忙しくて1月号は放り投げていたけど,手に取ってみたら特集は「新景観」で,かなり面白かった.編集委員会委員長を務める建築批評家の五十嵐太郎さんは,以前こんなことを書いていたので,この特集は満を持してのものだったんだろう. しばしばイタリアの街は美しいと言われる。だが、ヴィーナスフォートなどの商業空間のように、西洋風の街並みを日本につくればいいわけではないだろう。ローマに住む建築家の知人が、イタリアではあれもこれもではなく、何かの目的があれば、あきらめることを厭わないという。日本には、それだけの覚悟があるのか。イタリアでは、50年以上が経過したあらゆる建物は、勝手に壊してはいけないという法律がある。現在、20世紀の半ばの近代建築(倉庫や工場も含む)も該当しており、開発や建て替えの障害にもなるだろう。これ程思いきった法律がよく成立したなと不思議に思ったのだ
漫画家の楳図かずおさん(72)が東京都武蔵野市に建てた、「まことちゃんハウス」と呼ばれる外壁が赤白のしま模様の自宅をめぐり、近隣住民2人が「景観を破壊する」として外壁部分の撤去などを求めた訴訟で、東京地裁は28日、住民の請求を棄却する判決を言い渡した。 畠山稔裁判長は、楳図さんの自宅の外壁は「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すものとまではいえない」と認定し、私生活の平穏を保つ権利が侵害されたとする住民側の主張を退けた。 楳図さんは赤白しま模様のネクタイを締めて出廷。勝訴判決を聞き、一礼した。判決後に「良い結果で、春を皆様よりちょっと先に感じることができた」と話し、報道陣にギャグのポーズ「グワシ」を決めて裁判所を去った。
19 宝石鑑定士(catv?)2008/08/26(火) 01:06:00.93 ID:s8tEExvV0 ?PLT(12002)
最近になって読み直した和辻哲郎の『風土』に影響されたかもしれないが、筆者のいう風土・風景とは、その土地に固有の歴史的自然環境を風土といい、風景とは個人の眼差しによって様々に了解される景観のことをいう。 もっといえば、その土地固有の風景が展開し、風土に旅人を癒す包容力が備っていること、ということになる。 松之山にはそれらが潜在している。撮影行は頻度を増し、出かけるたびに何がしかの感動を享け、それが作品づくりの原動力になっている。 見過ごされてきた風景が一大観光地になる 風景が売れる、という実感を、写真家はしばしば持つことがある。ただし、独自に発見した美が、いつまでも変わらず、そこに在ってほしいと願うために、公言をはばかり、場合によっては秘匿することになる。しかし、1枚の作品が、やがて数を増すにしたがって、世の中に知らしめたい、と願望や野心を持つようになるのも、写真家の性癖といえる。 写真家を
日本の山が哭(な)いている。世界の山も哭いている ―― 日本の山は「伐(き)ってくれ!」と叫び、世界の山は「伐らないで!」と呼ぶ。 日本は国土面積の67%が森林である。世界に冠たる森林王国。なのに、国内消費する木材の約80%を海外から輸入している。日本は世界の木材の3分の1を消費する世界一の消費国なのだ。人口はわずか2%なのに。なんと歪みきった木材の大量輸入と大量消費の実態。 森林には二通りある。栽培林と原生林だ。栽培林は人工林であり、植林→育樹→伐採→植林‥‥というサイクルで活用される。だから、栽培林は定期的な伐採が不可欠だ。これに対して原生林は、大自然の生態系をそのまま維持している。だから、一度、伐採すると復活が困難だ。とりわけアマゾンなど熱帯雨林は、表土(トップソイル)が薄く、伐採すると再生が極めて難しい。 日本の森林は大半が人工の栽培林だ。戦後の復興期に拡大造林の掛け声とともに、な
東京都の石原慎太郎知事は20日、都内で開かれた建築家らが集まったレセプションに来賓として出席し、「今日の東京の姿っていうのはこれはゲロですね。こんなに醜い街になっちゃうのはほんとうに情けない話」などと発言し、建築家の奮起を促した。 石原知事の“東京ゲロ”論が飛び出したのは、東京国際フォーラム(東京都千代田区)で開かれた“建築界の五輪”といわれる「UIA2011東京大会」(主催・国際建築家連合)のキックオフレセプションの席上。 UIA大会は世界各国から約1万人が参加するという3年に1度の建築の祭典。この日は、2011年に開催が決まった東京大会を成功させようと建築家、設計士、ゼネコン関係者ら約300人が集まって、親睦(しんぼく)を深めた。 冬柴鉄三国土交通相の後にあいさつに立った石原知事は、大手ゼネコンがかかわった建物のデザイン性の欠如を批判した上で「ゼネコンがやるとああいうことになるんでしょ
マンション予定地には幼稚園が建てられるはずだったが、今年に入り、幼稚園の建設計画は頓挫。マンション建設計画が持ち上がった。開発主体は中堅マンションデベロッパーの日本エスコンとさくら不動産。3414㎡の敷地に5階建て高さ15mの建物を建てる。この高さが住民の反発を買った。 マンション計画を知った桂坂の住民は「桂坂マンション対策会議」を発足、反対運動を始めた。 成人の住民の80%近くに当たる6000人の反対署名を集め、京都市に申し入れ書を提出したのは9月28日。10月19日には、朝5時にボーリング調査を強行しようとした業者側の動きを察知、約200人の住民が集結し、建設予定地で建設反対を訴えた。現在も、ホームページ上で予定地を監視している。 この街を開発したのは、2001年に特別清算された旧セゾングループの不動産開発会社、西洋環境開発である。分譲が始まった1985年以降、住民は厳しい建築協定を設
人口、世帯の数だけの住宅があり、あるいは人口、世帯数以上の住宅がある(住宅統計はあとで調べるとして)。そうした住宅を居住形式として社会的、階層的な構造が歴史的に展開した概念図を示したのが西山卯三であった。その俯瞰のもとには近代的な戸建住宅は、中産階級の増大に伴うものであり、大正、昭和初期の郊外住宅地開発は中産階級の居住形式に対応するものだったと考えられる。当時の生活改善運動、田園都市の構想の影響などがこれに反映し、住宅需要に即応して電鉄資本による住宅地開発が展開していった。郊外住宅地開発の過程はいくつかの著作を見出す。 こうした住宅に対する庭園はどのように考えられたのだろうか、以前より興味を持つところである。こうした社会的需要によって大都市の郊外発展と中産階級の住宅地が形成され、一定の居住形式とともに庭園の形態が形成されたと考えられる。そして、戦後に継続するともに拡大再生産される住宅地開発
人は生活するために住居が必要である。原初的に安全な住居は洞窟であった。閉鎖され、内部空間と外部へは入口だけであるような洞窟は確かに安全であったに違いない。しかし、自然環境の中で洞窟が存在するのは崖壁のある場所であるから、めったに存在するものではない。これはかって西山先生の講義を聞いた疑問だった。確かに人類は洞窟に代わる住居として建築を必要としたことは理解できる。 近代の工業文明で都市生活が展開し、市民の立場が確立してくると、自然環境、田園環境から隔絶した都市生活に庭園の自然の価値を認識するようになった。これに対応した造園家がラウドンであったことを中村先生が取り上げている。そして、市民階層の庭園デザインとして表現したのがジャキール女史であった。モリスのアーツ&クラフツ運動を端緒とする機能主義は、庭園における戸外室の考えに到達したが、日本には田村先生によって造園学の基礎として西洋庭園、近代庭園
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