タグ

自己責任に関するshibuyan730のブックマーク (7)

  • 自己の責任ではどうしようもない事に対する自己責任 - opeblo

    今回のアフリカ関連の話題でもいくつか見かけましたが、社会的に不幸な境遇の人達に対して「社会や他人のせいにするな、努力しろ」という意見を時々見かけます。 その不幸な境遇が自ら招いた場合であれば、まだ理解の余地はあるのですが、家庭の事情やら病気やら、自分の責任ではどうしようもない事柄についてもその意見が主張される場合があって、それが僕にはどうも納得できません。不幸な境遇から抜け出すには、他人に期待するより自分が行動する方が確かに現実的なのでしょうが、でも社会や他人のせいにするなというのはおかしいのではないかと思います。社会や他人が悪ければ悪いと言えばいい。 前にも少し書いたことがありますが、僕の家は母子家庭で経済的に余裕がなかったので、行っていた公立高校では学費を免除してもらっていましたし、また、地元の公立大学に育英会の奨学金で行っていました。その様な当時の僕が今にいたとして、例えば、学費免除

    自己の責任ではどうしようもない事に対する自己責任 - opeblo
    shibuyan730
    shibuyan730 2010/02/16
    誰のせいか、誰が加害者なのかも曖昧だもんな
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

  • 世の中は全て自己責任だよ - 遥か彼方の彼方から

    雑記運とか、周りの環境だとか、そういうものも全部が自分の責任だって言うのなら、だけど。 研究室ではよくモノポリーで遊んでいます。あのゲームで負けるのも、自己責任なんだろうか。上手な取引や、心理戦、思い切った賭け、理論に基づいた冷静さ、そういったものが要素としてはすごく大きいゲームです。でも、2つサイコロが出す目によっては、どうしようもないってことはある。ゲームの終盤、勝ち組と負け組が見えてきた段階になって「あのときこうすればよかった」というのは確かに出てくる。結果論でなら何でも言えるからです。レッドじゃなくてグリーンにホテルを建てれば勝てていた、とかね。セオリー通りにやっても、それがかえって裏目に出ることはたくさんあります。*1 「あの時に、あれをしなかったお前が悪い」というのは、いささか厳しい。箱の中身を見るまで、が死んでるか生きているかわからない。未来が訪れるまで、何をするべきだった

  • 失業は「自己責任」ではない - 池田信夫 blog

    派遣村をめぐる論争は、ますます過熱しているが、その争点が「失業は自己責任か」という点に集中しているのは困ったものだ。これは湯浅誠氏が強調する点だが、問題の的をはずしている。有効求人倍率0.76という状態では、どんなに努力しても4人に1人は職につけない。つまりマクロ的な経済現象としての失業は、労働の超過供給という市場のゆがみの結果であり、労働者の責任でも企業の責任でもない。 失業をもたらした最大の原因はもちろん不況だが、長期的な自然失業率を高めているのは正社員の過剰保護である。だから「ノンワーキング・リッチ」に責任があるのではなく、OECDも指摘するように、彼らを飼い殺しにするしかない労働法制と解雇を事実上禁止する判例に問題があるのだ。 民主党のように選挙めあてで派遣規制の強化を求める政治家の卑しさはいうまでもないが、もっと厄介なのは、派遣村の名誉村長、宇都宮健児氏のように善意で運動して

  • 『派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 坂哲志総務政務官(自民党衆院議員)の「年越し派遣村」批判発言や、みのもんたのTBS「朝ズバッ!」(5日放送)での派遣村の労働者は甘えているのではないかといった趣旨の発言、そして、このブログのエントリーにも同じようなコメントが寄せられています。 ブログなどネット上のコメント等は、以前のエントリー【「ネット右翼」はインターネット利用者の1%を下回る~近視眼的に過大評価されている「ネット右翼」】 の中でも指摘した「ネット右翼」と同じで、「近視眼的に過大評価」する必要はないと思っています。 でも、今回の“派遣村バッシング”の背景にある根強い「自己責任論」は、繰り返し批判が必要だと思っています。(実際、このブログでも「自己責任論」の批判は何度もエントリーしています) ちょうどいま

  • 昔の講義録:「自己責任」について(2):「自己選択」と「自己責任」 - 社会学者の研究メモ

    このような例は複雑に入り組んだ現代社会においては枚挙にいとまがないだろう.にもかかわらず,現代はよく「自己選択・自己責任」の時代だと言われる.自分のことは自分で選択でき(あるいはしなくてはならず),その選択の結果を自分の成果として享受することができる(あるいは結果の責任を負わなくてはならない)ということである. しかし上述のように,一見分かりやすいこの自己選択・自己責任の原理を,文字どおり納得してはならない.まず,厳密に言えば現代社会は,個々人が自分のあらゆる選択の帰結をすべて自分のものとして帰属するようにはなっていない.事態はもっと複雑である.ここではもう一つ別の例を出して,自己選択・自己責任の原則のおかしなところを説明してみよう. ある人が仕事の外回りの途中でたまたま立ち寄ったレストランで事をし,そこで中毒にあって入院してしまったとしよう.仕事どころではなく,ライバルに大きく水をあ

    昔の講義録:「自己責任」について(2):「自己選択」と「自己責任」 - 社会学者の研究メモ
  • 昔の講義録:「自己責任」について(1):行動とその帰結における責任の範囲 - 社会学者の研究メモ

    「個人と社会にとっての合理性が異なる」ということの帰結は,全体社会の側から見れば「資源配分の非効率性」と考えることができる.個人が全体社会のニーズに合わせて行動すれば,より無駄が少なくなり,社会に属する個人全体の効用は上昇する.逆にこの調整がうまく行かないと,個人は無駄な努力を積み重ね,社会にとっても資源の無駄遣いが生じることになる. しかし同じことを個人の視点からみるとどうなるだろうか. ここで話を分かりやすくするために,Aさんという個人に登場してもらおう.Aさんは金融に興味があったので,大学時代は金融を専攻し,大変な労力をつぎ込んで立派な卒業論文を書き上げ,その成果もあって世間一般で安定していると言われているF銀行の融資部に就職した.Aさんは就職してからも有能ぶりを発揮し,次々と大口融資を成功させ,将来の幹部候補としてみられるようになった.ところが入社して3年後,F銀行B頭取を筆頭とす

    昔の講義録:「自己責任」について(1):行動とその帰結における責任の範囲 - 社会学者の研究メモ
  • 1