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橘川幸夫に関するseuzoのブックマーク (4)

  • 新しい技術を使って儲けるために知っておくべきコツ (1/2)

    インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。 大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。 まず、文章にしても写真にしても、100%素人の投稿で成り立っている一般流通誌はほかになかったし、テーマやキーワード、地域で分けられた投稿、それらすべてにレスポンスが付く仕組み、読者主催のオフラインミーティングや、投稿者の中から岡崎京子やデーモン小暮のような有名人を輩出するなど、機能・現象の両面で現在のソーシャルメデ

    新しい技術を使って儲けるために知っておくべきコツ (1/2)
  • 「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話 (1/2)

    インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。 大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。 まず、文章にしても写真にしても、100%素人の投稿で成り立っている一般流通誌はほかになかったし、テーマやキーワード、地域で分けられた投稿、それらすべてにレスポンスが付く仕組み、読者主催のオフラインミーティングや、投稿者の中から岡崎京子やデーモン小暮のような有名人を輩出するなど、機能・現象の両面で現在のソーシャルメデ

    「締切は不愉快」 いま明かされるロッキング・オン創刊秘話 (1/2)
  • 深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ (1/2)

    インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。 大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。 まず、文章にしても写真にしても、100%素人の投稿で成り立っている一般流通誌はほかになかった。テーマやキーワード、地域で分けられた投稿、それらすべてにレスポンスが付く仕組み、読者主催のオフラインミーティングや、投稿者の中から岡崎京子やデーモン小暮のような有名人を輩出するなど、機能・現象の両面で現在のソーシャルメディ

    深夜放送はイノベーション、橘川幸夫が語る1960年代のラジオ (1/2)
  • 「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る (1/2)

    インターネットが普及するはるか前に、インターネットのようなものを作った男がいた。彼の名を橘川幸夫(きつかわゆきお)という。 大学在学時の1972年に渋谷陽一、松村雄策、岩谷宏らと「ロッキング・オン」を創刊。その後、完全投稿制による雑誌「ポンプ」を1978年に創刊というのが彼の主なプロフィール。彼が辞めて以降のロッキング・オンは当たり前の商業音楽誌になったが、ポンプは最初から現在のソーシャルメディアのプロトタイプのようなものとして設計されていた。早過ぎたインターネットだったのだ。 まず、文章にしても写真にしても、100%素人の投稿で成り立っている一般流通誌はほかになかった。テーマやキーワード、地域で分けられた投稿、それらすべてにレスポンスが付く仕組み、読者主催のオフラインミーティングや、投稿者の中から岡崎京子やデーモン小暮のような有名人を輩出するなど、機能・現象の両面で現在のソーシャルメディ

    「ロックはミニコミ」早過ぎるインターネット作った橘川幸夫が語る (1/2)
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