80年代の「5強」がプレミア発足を画策、有料衛星放送スカイで飛躍的な発展へ 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生②】
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ
先週21日に「アサド政権は自国の反政府勢力に対して化学兵器を使用した」というニュースが報じられたのを受けて「シリアへの介入論」が高まっています。今日(8月29日)から翌30日にかけて、アメリカが攻撃を開始するという説も相当に濃厚になっているようです。 アメリカは、アフガンとイラクの戦争で大苦戦を強いられると共に、国が大きく傾くほどの経済的なダメージを受けました。これを受けて、国民の間には強い厭戦気分があります。また、9・11以降続いていた、自国の安全のためには手段を選ばずという本能的な心理も消えています。 何よりも現在のアメリカは2008年9月の「リーマン・ショック」以来の不況をようやく脱しつつある中で、「軍事費を聖域とはせず」という方針で国家財政の健全化に取り組んでいる最中でもあります。 そうした時代の流れの中で、アメリカの世論は今回の「シリア攻撃」を支持はしていません。一部の調査によれ
なんとも、奇妙な判断が下されたようだ。既に多くの方がご存知かもしれないが、松江市教委が全市立小中学校(49校)に対して「はだしのゲン」を「閉架」として扱うよう要請したことが話題になっている。 市教委によると、昨年度で39校が図書室に所蔵。作品には、旧日本軍が人の首をはねたり、女性に乱暴したりする場面があることから、市民から撤去を求める声が上がり、市教委が昨年12月、全校に要請した。 出典:読売新聞:はだしのゲン「描写過激」…小中に閲覧制限要請「はだしのゲン」は作者の中沢啓治氏、自らが体験した原爆の被爆体験を元に描かれた漫画。原爆が投下され皮膚がはがれおち、水を求めてさまよい歩く被爆者の描写などは、教科書を読んでいるだけでは伝わらない「戦争の悲惨さ」をありありと見せてくれる。それ以外も当時の差別的な価値観や、戦時中という異常な状況下での暴力性も生々しく表現されている。 戦争を体験していない世
スティーブ・マハリッジは良き父親であろうと努力を重ねていた。しかし彼の心の中には常に二人の男が存在した。良き父になろうとする平凡ではあるが愛情深い男と、心の奥に潜む野獣のように凶暴な男。父が見せる怒りの発作に著者の家族はたびたび苦しめられた。家庭の中には常に張りつめた空気が存在した。戦争に行く前の彼はこうではなかったとスティーブの姉は語る。戦争が彼を変えてしまったのだと。著者は父が戦場で何を目撃し経験したのかを探る旅に出る。 アメリカでは第二次世界大戦を「良い戦争」と表現することがある。しかし、本書で戦場経験を語る海兵隊第六師団L中隊(ラブ中隊)の旧兵士たちの話はそのような幻想を吹き飛ばす。 太平洋戦争を通して、日本軍の捕虜は驚くほど少ない。日本兵は戦陣訓の教えを叩き込まれ、玉砕か自決を選んだように言われているが、どうもそれだけではないようだ。多くの元兵士の証言を読んでいくと、アメリカ軍が
橋下発言が圧倒的なので、比較的目立たないが、忘れてはならない問題な発言がある。 安倍首相は4月23日の参院予算委員会で「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁したそうだ。 これには驚いた。国連等において、侵略の定義は明らかに決まっていて、日本もその決定過程に参加し、賛成してきたからだ。 まず、1974年の国連総会では、日本も参加・賛成して侵略の定義に関する国連総会決議が採択され、侵略が明確に規定されている。 決議3314という有名な決議だ。和訳については外務省定訳がないようであるが、ウィキペディアは以下のように訳している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1
(2013年2月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 第1次世界大戦で男たちが「塹壕から攻撃」に出る姿を映したチラチラする白黒映画は、あり得ないほど遠い昔のように思える。 だが、今の大国はもう2度と、1914年の大国のように戦争に巻き込まれることはないという考えは、あまりに慢心が過ぎる。中国と日本、米国の間で高まる緊張には、ほぼ1世紀前に勃発した恐ろしい衝突に似た響きがある。 火付け役になりかねない最も明白な問題は、中国では釣魚島、日本では尖閣諸島として知られる島嶼を巡る日中間の未解決の領有権争いだ。ここ数カ月、日中両国の航空機と船が島の近くでシャドーボクシングを繰り広げている。 事態を懸念した米国は10月下旬、米国の外交政策機関の大物4人から成るトップレベルの派遣団を日中に送り込んだ。ジョージ・ブッシュ前大統領の下で国家安全保障会議(NSC)を率いたスティーブン・ハドリー氏や、ヒラリー
生まれて初めて本当に戦争になるんじゃないかと思っている。 たぶん次の戦争は国民を総動員するような全面戦争にはならないだろう。国民全員の精神や身体を管理しなくても、一部の「戦争装置」によって、一般の市民にリアリティが伝わらない方法でひっそりとおこなわれるにちがいない。 それはたぶんはじめに「被害者面した絶対的な正しさ」を押し付けてくる。いま領土を守らなかったらこの国がやられる。いま先手を打って攻めていかないと平和が守れない。おそらくそんなふうに、反論しにくいようなロジックで、感情に訴えかけるやりかたで。 いますぐではないかもしれないが、数年のうちには憲法も改悪されてしまうだろう。人権に関する条文は大幅に後退し、かわりに国家があらゆる権力を掌握してしまうだろう。 だが、国民の精神や身体をまるごと抱え込んで統制するのではなく、国民を分断することによって、よりスムーズに戦争は遂行されていくだろう。
慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃 出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年 慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。 それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。 以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。 最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。
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日本は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と
死者 649 負傷者 1,657 捕虜 11,313 被撃沈 軽巡洋艦1隻 潜水艦1隻(擱座) 哨戒艇2隻 航空機100機 フォークランド諸島の位置。アルゼンチン沖、南米大陸南端から500km沖に位置する。フォークランド諸島は、東西の主要2島と多数の小島からなる。 フォークランド紛争(フォークランドふんそう、英語: Falklands War、スペイン語: Guerra de las Malvinas)は、南大西洋のイギリス領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)[注 1]の領有を巡って1982年に発生したイギリスとアルゼンチンの間の紛争である。 同年3月、アルゼンチン軍はフォークランド諸島・サウスジョージア侵攻を成功させたものの、これに対してイギリス軍は航空母艦や原子力潜水艦などを含む機動部隊を派遣して反攻に転じ、欧州共同体(EC)の協力も得て6月に勝利した。敗れたアルゼン
両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります
30年以上隠されてきた映像 / アメリカ軍によって撮影された広島・長崎の原爆被害者を映した映像が公開される 2012年8月8日 日本に永遠に消えない傷跡を残した、第2次世界大戦中のアメリカによる広島・長崎への原爆投下。今もなお、多くの人の心に深い悲しみの影を落とすこの原爆投下は、人類が決して忘れてはいけない惨劇として世界中に知れ渡っている。 そしてこの度、1946年にアメリカ陸軍航空隊によって撮影されたと思われる、原爆被害者の体を映し出す映像が公開され、海外で大きな話題となっている。 「Suppressed U.S. Military Film on the Medical Effects of the U.S. Bombing of Hiroshima and Nagasaki」というタイトルでYouTubeにアップされたこの映像は、次のような文章で始まりを告げる。 「1946年、陸軍航
オサマ・ビンラディンが首謀したといわれる、2001年9月11日の同時多発テロから10年の歳月が過ぎた。この10年はアメリカがテロとの戦争を続けた時でもある。このテロとの戦争は何だったのか、簡単に振り返ってみたい。そこには現在の日本にとって大切な教訓があるからである。 米ニューヨーク・タイムズの記事によると、この世界同時多発テロにより破壊されたワールド・トレードセンターや建物内の備品、その他、地下鉄や電話線や送電線の損失は合計で260億ドル(2兆円)である。このテロでテロリスト19人を含む2,993人が犠牲になった。そしてこの破壊された2兆円のインフラストラクチャーと約3000人の犠牲者に対する復讐として、アメリカはテロとの戦争を開始したのである。 市民レベルでも飛行機に対する恐怖が広がり、多くのアメリカ人が飛行機を避け、国内を車で移動した。ダン・ガードナーの「リスクにあなたは騙される―「恐
「明るい気持ちになんてなれない」 東京大空襲をからくも生き延びた並木路子さん。彼女は遠い親戚の家に身を寄せ、その日から行方不明の母を捜し続けます。行けども行けどもだだっぴろい焼け野原。 そして三日目、警察から母らしき遺体が見つかったと連絡があります。 増上寺にずらりと並べられたお棺。こんなにもたくさんの人が亡くなったのかーー。お棺の中の母は大きな傷もなく、生きていたころの姿のままで横たわっていました。 母は水中に飛び込んだ瞬間に心臓麻痺を起こして亡くなったと知らされました。母がただひとつ身につけていたのは、腹巻きの中に入れていた並木さんの給料袋三通。それを知らされたとき、涙がわぁっと出てきて止まらなくなります。 「やっぱりお母さんだなあ、私から渡したお金を大事に持っていてくれて。これを持っていなかったら、私はいつまでもお母さんがどうなったかわからず、お母さんもそのまま骨になっていたかもしれ
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