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哲学に関するsetofuumiのブックマーク (2)

  • S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学

    以下、わたしが小学生のときに編み出した哲学。その後の人生の思考の中で、実は核になっている要素が高いもの。思考していたときの情景から察するに、高学年の年齢以前。つまり「10代」前。 世界は続く 自分を取り巻くこの世界というもの。これは実在しているものなのか。実は昨日までの記憶というものは、「お話」によくくっついているストーリー設定で、それが記憶として埋め込まれているだけなのではないか。昨日と今日。世界は当に続いているのか。 実験。夜、いくつかのものを居間のテーブルにセットする。翌日、「自分の記憶」と「現実の状態」を比較する。 違う。おかしい、と思う。世界は続かず、ストーリー設定の範疇に誤差が生まれているのではないか、と思う。(真相→母親が片づけているだけ) 何度か実験。誤差が生まれるときと生まれないときがある。実証できる実験ではない。 膝小僧をすりむいたときに、はたと思いつく。すりむいたケ

    S:今日の一言 - 小学生が編み出した哲学
  • 他者・命令・所有権 - heuristic ways

    ■他者の中にある命令 アルフォンソ・リンギス氏は、『何も共有していない者たちの共同体』*1(原著1994年)の中で、われわれが「どのように他者と出会うのか」ということについて、実に興味深い見方を示している。 リンギス氏は、メルロ=ポンティやレヴィナスの英訳もしている哲学教授で、「世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている」とのことで、氏においては、現象学的な他者認識と移住先や旅先で遭遇した他者体験とが相互に浸透しあって、異色の考察を形成している。そこでは、たんに旅の経験の分析に現象学が適用されるのではなく、むしろ現象学を生み出した西洋の合理的意志が世界のさまざまな場面でそれ自身の可能性と限界を試されているという印象を受ける。 リンギス氏は、「侵入者」というエッセイの冒頭で、カントの実践哲学を次のように(大胆且つ単純明快に)パラフレー

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