「iモードの開発に携わっている責任者をだれか紹介してくれないかと頼まれた。会ってもらえないか」。ある人物を介してパナソニックモバイルコミュニケーションズの企画部長だった石井圭介へ面会を申し込んできたのは米アップルのスティーブ・ジョブズだった。石井がジョブズと交流を深めたのは2004年から。iPhoneが発売される3年ほど前だった。「パソコンで築いてきたビジネスモデルがこのままだとiモードに崩さ
2011年10月8日。カリフォルニア州パロアルトのスティーブ・ジョブズ自宅前は、彼の死を悼む人々が手向けた花やリンゴであふれた。 San Jose Mercury News/TNS/ABACA via Reuters Connect 12年前の2011年10月5日、Apple創業者兼前CEOのスティーブ・ジョブズがこの世を去った。 Appleが音声アシスタント「Siri」を初めて搭載したiPhone 4Sを発表した、翌日のことだった。享年56歳。 天才、カリスマ、尊大、非情……。さまざまな形容詞で語られるジョブズは、自分が世界を変えられると本気で信じ、それを現実のものとした。 ジョブズは世界をどう変えたのか。その生きざまと功績を映像化した6作品を紹介する。
しかし、これは、 どう考えたって、変な組み合わせだ- 1984年1月24日。 スティーブ・ジョブズはステージの上にいた。 「これがあれば、なんでも思い通りに表現できる」 と、自信たっぷりに聴衆に訴えている。それは、アップル社が「マッキントッシュ」を世界にデビューさせた瞬間をうつした、過去の映像だった。 ただ、私の視線は、ジョブズではなく、マッキントッシュの画面に集中していた。そこに映っていたのは、1枚の絵。描かれていたのは、流れるような黒髪をくしでとかす妖艶な日本人女性だ。 「マッキントッシュ」に映し出された日本人女性の絵その絵は「新版画しんはんが」と呼ばれる日本の木版画だった。 ジョブズは、会社の命運を賭けた場に、なぜ、この絵を使ったのだろうか? このネタに私が出会ったのは、2015年のこと。以来8年間、ジョブズの知られざる素顔に迫ろうと、WEBの特集記事を書き続けた。日本語だけで7本。
「この人とビールでも飲みに行ったら楽しいかな?」 最近の報道によると、伝説のApple共同創業者スティーブ・ジョブズは、採用候補者を面接するとき、必ずこう自問していたそうです。 これは一般に「ビール戦術」と呼ばれ、どの候補者が自社に合っているかを、自分の直感やエモーショナルインテリジェンス(EI:心の知能指数)を頼りに判断する、優れたやり方なのです。 相手の「人となり」を知るのに最適な場とは?ジョブズが実際にビールにまつわる話をしたかどうかは、定かではありません。この「ビール戦術」について最初に報じたas.comの記事には、インタビューや情報源が記載されておらず、出版済みのジョブズのインタビューやウォルター・アイザックソンによるジョブスの伝記にもビール戦術の話は見当たらないからです。 ジョブズが、あの愛すべき発泡酒の例を出したかはともかく、このビール戦術のようなことをして多くの人材を採用し
アップルの共同創業者スティーブ・ジョブズはかつて、人生の不透明さと絶え間なく移り変わる道のりについて、次のように述べました。 物事が将来どう転ぶかは予測不可能だ。過去を振り返ってみて初めて物事がどのように関わりあっていたか見えるんだ。だから、経験はすべて最終的には良い方向へ導いてくれると信じるべきだ。 将来を見据えながら点と点をつなぐことはできない。後から振り返ったときに初めてできることなんだ。だから、点と点はいつかつながるものだと信じるしかない。何かを信じることだ。自分の直感でも、運命、人生、カルマ(業、宿命)でも。このやりかたで、うまくいかなかったことは一度もない。むしろ、私の人生を大きく変えてくれた。 ジョブスのこの鋭い洞察は、私たちの人生の旅路がいかに予測不能であるかという根本的な真実を思い起こさせてくれます。 人生の紆余曲折を歩むなかで、どちらに駒を進めればいいのかわからなかった
「スティーブ・ジョブズの日本での経験が彼の人生にとってどれだけ重要だったのか、よく理解しています」 アップル創業者のジョブズが製品に表現した日本との深い結びつきを解き明かす最高の“語り部”にインタビューする機会を得た。今回は、明治後半から戦後にかけて作られた木版画=「新版画」とジョブズとの関係について掘り下げる。(World News部 佐伯健太郎) 「スティーブの家を初めて訪れたときは、とても驚きました。部屋には家具がほとんどなかったのです。『こういうのが好きなのか。それとも、買い物をする時間がないだけなのか』と聞くと、彼は『こういうシンプルな生活が好きなんだ。必要なものさえあればいいんだ』と答えました」 こう話すのは、ジョン・スカリーさん(84)。アップルのCEOを10年間務め、創業者のジョブズと「ダイナミック・デュオ」と呼ばれる非常に親密な関係を築いた。 マーケティングの名手として知
我々は常に次の夢を追いかけているんだ <1981年〜1991年《挑戦》 主力商品の開発・発売に向けて> (初代Macintoshケースの金型にサインを刻んだ、47名のMacチームメンバーに対して) アーティストは、自分の作品にサインをするものだ。 ――Forklore.org 1982年2月 出荷するまで終わりじゃない。 ――Forklore.org 1983年1月 我々は自らのビジョンに賭けている。そのほうが、どこかの後追い製品をつくるよりいい。そういうのは他の会社に任せるよ。 我々は常に次の夢を追いかけているんだ。 ――アップル「初代Macintoshコンピュータ」発表イベント 1984年1月24日 個人の成果を促すのではなく、むしろ妨げるような職場環境では優秀な人たちを留めておくことはできない。実際にほとんどの会社では起きていることだ。優秀な人たちはいなくなり、平凡な会社になってしま
米Appleが次期iPhoneなどの新製品発表イベントを開催した9月7日(現地時間)、同社のティム・クックCEO、故スティーブ・ジョブズ氏の妻のローレン・パウエル・ジョブズ氏、AppleのCDO(最高デザイン責任者)を務めたジョニー・アイブ氏はCode Conferenseに登壇し、ジョブズ氏の業績を称えるアーカイブ「Steve Jobs Archive」を開設したと語った。 クック氏は「スティーブが遺したものは、Apple、そしてAppleが生み出す製品とサービスに生き続けている。このアーカイブは、あらゆる人々の可能性を刺激する場として作成された」とツイートした。 Webサイトのトップには現在、ジョブズ氏が2010年9月2日(既にがん告知を受けた後)に自分自身に宛てたメールが掲載されており、その下にはジョブズ氏の名言の数々が新しいものから順に掲載されている。クリックすると関連する動画を表
iPhoneやマッキントッシュなど、革命的な製品を次々と生み出したスティーブ・ジョブズの「美の原点」に、彼が10代の頃に親友の家で目にした日本の美術品「新版画」があったことは、去年7月のWEB特集で紹介した。 その後、ジョブズの日本での足跡をさらに取材すると、彼が焼き物に大変な興味を持ち、ギャラリーや窯元をよく訪れていたことが分かった。 ジョブズは、焼き物から何を感じ取っていたのか、どんな影響を受けていたのか。 (国際放送局WorldNews部 佐伯健太郎) 定休日の画廊のブラインドの隙間から、内部をうかがう4つの目…。 1996年4月10日、水曜日の昼下がり。 京都の昔ながらの静かなたたずまいが残る東山区の骨とう街。 たまたま2階の住まいから降りてきた店の人が外国人の男女に気付き、中に招き入れた。 すると、男性は入ってくるなり「コレとコレとアレ」と、いきなり3点の焼き物を指さした。 この
» スティーブ・ジョブズの「壮大な失敗」からAppleが22年かけて学んだこと Appleの創業者である「スティーブ・ジョブズ」はiPhoneやiPodなど数多くの革命的な製品を生み出した人物です。 しかしそんな彼でも、新製品やサービスで何度も失敗したことがあります。そんなジョブズの大きな5つの失敗を、Appleに詳しいYouTubeチャンネル「Apple Explained」が解説しています。 *Category:テクノロジー Technology|*Source:Apple Explained,Wikipedia(1),(2),(3) スティーブ・ジョブズの成功の裏にある失敗とは? スティーブ・ジョブズはすべてにおいて成功を収めたわけではありません。特に自信をもっていたにも関わらず失敗した製品として有名なのが「Power Mac G4 Cube」です。 ◇ 【1】ジョブズが「Power
茶道の起源は中国にあり、近代日本で茶道を世界に紹介した岡倉天心も、唐の陸羽を茶道の祖としています。 陸羽は、孤児の出自で、当時のハイカルチャーのソサイエティから見ればアウトサイダーながら、貧窮の後に顔真卿などの当代随一の知識人と交遊するようになりました。 陸羽は『茶経』を著して、茶道を禅宗と融合した文人の文化として根づかせました。陸羽が禅僧に拾われて育てられたこととも関係あるでしょうが、当時台頭しつつあった禅宗と、田園や草庵を好む唐中期の文化は見事にマッチし、茶道は以後中国文化の素養となりました。 中国で流行した茶道は、奈良時代には日本にも持ち込まれ、やがて鎌倉時代から室町時代の禅宗の興隆によって、定着していきました。 戦国時代になっても、茶道は京都の臨済宗、特に大徳寺などを通して普及するとともに、明との交流の多い堺の商人たちの間でも定着しました。堺商人を重用した織田、豊臣の政権は、この当
米国の感謝祭翌日の金曜日に世界で開催される一大セール「ブラックフライデー」に合わせて、持続可能な消費を啓発する「グリーンフライデー」が広まっています。日本でも大手アパレル2社が賛同しましたが、同時にブラックフライデーセールも実施しており、対応にばらつきが。
「彼はジーンズのポケットから取り出して言いました、これがiPhoneだよ、と」 2007年3月。発売前のスマートフォンを、アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏本人から見せてもらったという写真家がいます。ジョブズ氏が亡くなって10年。長年の友人だった彼女の写真や話から浮かび上がる、ジョブズ氏の素顔とは。(ロサンゼルス支局記者 山田奈々) 「仲間の写真家からは、スティーブは扱いにくい人物だと聞かされていました」 そう話すのは、アメリカの雑誌、TIMEの写真家として活動していたダイアナ・ウォーカーさん。 1982年の年末、TIMEが毎年発表している「ことしの人」に関連する取材で、スティーブ・ジョブズ氏の撮影を任されました。 Lisaと名付けた最新のコンピューターの発売を間近に控え、注目されていたジョブズ氏。 ウォーカーさんが最初に会ったのは、カリフォルニア州のスタンフォード大学で学生を前に
スティーブ・ジョブズのことば点と点のつながりは予測できません。 あとで振り返って、点のつながりに気付くのです。 今やっていることがどこかにつながると信じてください。(18ページより) アップル創業者のスティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学で行ったスピーチの一節。ちなみに有名な話ですが、リード大学を中退した彼は大学を卒業していません。 しかし、「大学を中退したのなら、カリキュラムに従うこともない。ならば好きな授業を受講しよう」と考えてカリグラフィー(西洋書道)の授業に潜り込み、その世界に没頭したのでした。 そしてその経験が、マッキントッシュのコンピュータを設計する際に役立つことになります。ご存知のとおりマックは、美しいフォントを持つ、当時としては唯一無二のコンピュータになったのです。 どこでなにが役に立つかわからないのだから、いまいる場所でしていることをしっかりと身につけたほうがいい。そ
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