日本の東京府東京市にて福井県出身の父親と福島県出身の母親の間に生まれた。2歳のとき、関東大震災に遭遇し、父の実家のある福井県福井市に転居した。旧制福井中学(現福井県立藤島高等学校)卒業。父の南部吉郎は立命館中学校の卒業生で、福井県内の高校で英語教師を務めていた。吉郎は昭和23年、福井県立丸岡高等学校で勤務中に福井震災を経験している[7]。第一高等学校に補欠合格し[8]、同校3年のとき湯川秀樹の評判に刺激されて理論物理学の研究を志し、東京帝国大学に進学した。1943年に課程を短縮されて2年半で卒業(繰り上げ卒業)した後、陸軍の召集を受けて宝塚市のレーダー研究所に配属された(階級は陸軍技術中尉)[9][10]。 朝日新聞社『朝日ジャーナル』第7巻第41号(1965)より 1945年終戦後に東京帝国大学の理学部物理学教室(物理学科)に嘱託で復帰し、同室の木庭二郎らと共に、朝永振一郎の研究グループ
