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親子と津波に関するraimon49のブックマーク (2)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

    raimon49
    raimon49 2012/08/15
    >福島県で『復興』っていうと、やっぱり放射能に関してのことでね。津波被害に対しての『復興』っていうふうには、やっぱり、言ってないからね。
  • 陸前高田市の高校3年生なおみさんが語るあの日

    naomi fukuda @naoming830 フジテレビで「わ・す・れ・な・い」という震災の特別番組を見て、今まであまり詳しく書かなかった、11日の私自身のことをちょっと長々とつぶやいてみようと思います。 naomi fukuda @naoming830 私はあの日午前授業でした。放課後は国道45号線沿いにあるショッピングセンター(リプル)へ友達(以降S)と行きその後ファミリーマート、ドラックストア(ツルハ)という順に回る予定でした。 友達が校則違反をしたペナルティーである校内清掃をしなければならないとのことで友達が終わるまで naomi fukuda @naoming830 2時間ほど職員室で時間つぶしがてら数学を教わったり、進路の話をしたり、なぜかチェルノブイリ原発事故についての話をしたりしていました。そういえばあの日の朝、友達たちに私は「サバイバル的なことがしたい!!こう…地震き

    陸前高田市の高校3年生なおみさんが語るあの日
    raimon49
    raimon49 2011/08/14
    強い。すごい。
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