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LifeとHobbyに関するrAdioのブックマーク (4)

  • 【追記あり】趣味ってどうやったら続くの?

    自分の今までの趣味はこんな感じ ・映画鑑賞...7年くらい バイト先で知り合った友達とミニシアター系はしごしてたりした。 映画好きが高じてシナリオライターを目指すも、半年くらいかけて書いた作品がゴミのように捨てられるのを目の当たりにして挫折。 今でも映画は好きだけど、流石にはしごはしないかなあ。 ・カメラ...5年くらい シナリオライターに挫折した反動で、シャッターを押すだけで写真が撮れるなんていいなあと思って始めた。 街歩きしながら写真撮るのサイコー。現像にまで手を出してヨドバシの兄ちゃんに教えてもらいながら暗室機材一式揃えた。 写真のワークショップにも通い始めてあまりにも自分の才能の無さに気づいて挫折。 ・カラオケ...3年くらい テレビの採点番組見ているうちにどうしても挑戦したくなり、毎週末ヒトカラに通い詰めて歌いまくる。 ボイトレにも通い始めるも先生とウマが合わず、ちょうどコロナの

    【追記あり】趣味ってどうやったら続くの?
    rAdio
    rAdio 2021/05/20
    趣味との向き合い方や付き合い方というのは本当に難しい。歳をとるとつくづく実感する。趣味固有の技能やら何やらをどうこうするより、そういう基本姿勢みたいなものをまず身に付けておくべきだったと後悔している。
  • 「自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題

    かつてはいろいろなコンテンツを楽しめた 漫画やアニメもゲームも楽しめた 年を経るごとにそういった自分に刺さるコンテンツが少なくなっていく 漫画は読まないし、ソシャゲなんてやってるやつはアホだとしか思わないし アニメもたまにしか視聴に耐えるものが出てこない ゲームも特にやらない 2ちゃんもソリが合わなくなって数年前から見ていない Youtuberなんて何がが楽しいのかわからない 世の中から提示されるコンテンツが全く自分に響かない もっと楽しいものはないのか? 自分が何事においても蚊帳の外にいるのを感じる これから先どんどん外においていかれるのだろうか

    「自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題
    rAdio
    rAdio 2018/09/04
    「自分にぴったりの娯楽が得られる」というのは、本来的には富裕層の贅沢なのかも知れないとは思ってる。後はAIアシスト等の発展で自分専用の娯楽を自己生産できるようになればあるいは…という期待含みという感じ。
  • 今日、腐女子の友人たちに結婚することを伝えたら

    先に書いておきますが、これは腐女子友人への愚痴です。 私は腐女子だ。 腐女子友人はもちろん、学生時代やバイトで知り合った非オタク友人もいる。 そして、非オタク友人の紹介で非オタクの男性と付き合うことになった。 はじめはなかなか腐女子であることやオタク趣味があることを言い出せず、 共通の趣味である音楽の話題で主に盛り上がっていた。 ただ、創作活動の兼ね合いでイベントが開催される土日は会えない日もあり、 「ちょっと家庭の用事で…」と切り抜けたりと不誠実な対応をしてしまっていた。 交際も一年を過ぎたころ、「このままじゃだめだな」と感じ、 時間をもらって、説明したところ、「人の趣味嗜好に口出しはしないよ、変な無理せず好きにやんな」と あっさり理解を示してくれた。正直、そこそこ稀なパターンだろうなと今でも思う。 それからは少しずつ自分の深い部分の話もできるようになり、打ち明ける前よりも 距離

    rAdio
    rAdio 2016/06/26
    「意図的に演出した人生の一側面の繋がりでしかないものを、全面的なものだと勘違いするとしっぺ返しを食らう。」「人生に趣味を持ち込んでも良いが、決して趣味に人生を持ち込むな。」…趣味人生に破れた俺の学び。
  • 山本昌が語った野球人生、投球論、趣味「ラジコンとの出会いで50歳まで現役を続けられた」 - エキサイトニュース

    昨年、惜しまれつつも50歳で現役引退したレジェンド・山昌さん。32年にわたる現役生活、自身の投球、そして趣味など、さまざまなことをお聞きしてきました! 【島流し? 嫌だったアメリカ留学】 1983年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団した昌さんでしたが、入団当初は1軍に昇格できない日々が続きました。転機が訪れたのは5年目の1988年、アメリカへの野球留学でした。 「ちょうどドラ1で立浪(和義)くんが入団してきたのですが、当時は彼の半分の給料で野球をやっているような、吹けば飛ぶような存在。今年が最後だと意気込んでいる時に、3月から11月終わりまでアメリカに行けと伝えられました。今シーズンは一軍にいりませんと言われたような感じでしたね」 しかし昌さんは、故・アイク生原氏の熱心の指導もあり、アメリカで頭角を現します。このアメリカ留学では、スクリューボールもマスターしました。 そんな昌さんを球団も

    山本昌が語った野球人生、投球論、趣味「ラジコンとの出会いで50歳まで現役を続けられた」 - エキサイトニュース
    rAdio
    rAdio 2016/02/09
    『あの時、ラジコンをやっている少年たちを馬鹿にしないで、素直に凄いと思えて良かったです』
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