「虚無」を超えて 最近仏教に興味を持ち始めたという若い人に質問されました。 「仏教の無常とか無我とかいう教えを突き詰めると、確実な根拠を設定して発言することは錯覚にすぎない、ということになりませんか? すると、無常と無我という考え方自体も錯覚になりませんか? そうだとすれば、これはただのニヒリズムではありませんか?」 私の返答。 「無条件かつ絶対に確実な根拠に基づいて正しいと判断された物事や考え」、これを仮に「真理」とすれば、私が考える仏教の立場からすれば、その一切が完全に錯覚です。もし「無常」や「無我」も「真理」として主張されるなら、当然、錯覚にすぎません。「真理」の主張とは、実際には、発言者の依拠する立場と信念の正当性を、主張しているにすぎません。 ときどき、「仏教とは(宗教ではなく)科学である」というような、実に無意味な主張がされますが、仏教にも科学にも「真理」と考えられるべきいわれ