小林のこんな発言にヒザを打ったことがある。「阪神に伝統はない。ただ古いだけ」チームの勝利か、個人記録か。目指すものが、ONと村山、江夏ではまったく違うんだという。この慧眼を生かせなかったのは球界の損失だ。 ハーフみたいな甘いマスクと体重60㎏そこそこのスタイリッシュなボディで女性ファンを、変則フォームからの強気の投球で虎キチ少年を熱狂させた「悲劇のエース」小林繁氏が急逝した。 死因は心不全。57歳の若すぎる死だった。同じサイドスローとして、小林氏に憧れ、近鉄入団時に小林氏と同じ「背番号19」を所望したという元オリックス二軍コーチ・佐々木修氏が偲ぶ。 「ビジュアル系プロ野球選手の第一人者。細身でスーツもユニフォームも何でも似合った。サイドスローは技巧派とみられますが、小林さんは力投派。細身の体を弓のようにしならせ、直球勝負していました」 鳥取県・由良育英高から社会人を経て、'72年にドラフト