日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家、田中正造(1841〜1913年)が亡くなって来年でちょうど100年。鉱毒事件と東京電力福島第1原発事故の類似性に着目し、正造の思想や生き方から東日本大震災後の日本社会の在り方を探ろうと改めて注目が集まっている。【足立旬子】 物質上、人工人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。デンキ開けて世間暗夜となれり。 亡くなる約1カ月半前に正造が日記に書いた言葉だ。 菅井益郎・国学院大教授(日本経済史)は「鉱毒事件を通して正造は、近代とは何か、技術とは何かを徹底的に考え抜いた。技術の進歩にのみ頼っている社会は人間を滅ぼす。技術をコントロールするモラルや哲学が必要と警鐘を鳴らした」と解説する。 電気が普及し始め、誰もが豊かになると期待した時代に、正造はなぜ現代文明を痛烈に批判したのか。 近代技術の粋を集めたはずの足尾銅山から流出した鉱毒は、渡良