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民俗学に関するono_matopeのブックマーク (11)

  • ゾンビ - Wikipedia

    「生ける死体」として知られており、ブードゥー教のルーツであるヴォドゥンを信仰するアフリカ人は霊魂の存在を信じている。こちらについては「目に見えないもの」として捉えている。 「ゾンビ」は、元はコンゴで信仰されている神「ンザンビ(Nzambi)」に由来する。「不思議な力を持つもの」はンザンビと呼ばれており、その対象は人や動物、物などにも及ぶ。これがコンゴ出身の奴隷たちによって西インド諸島のハイチに伝わる過程で「ゾンビ」へ変わった[1]。 ハイチのゾンビのイラスト この術はブードゥーの司祭の一つであるボコにより行われる。ボコの生業は依頼を受けて人をおとしめることである。ボコは死体が腐り始める前に墓から掘り出し、幾度も死体の名前を呼び続ける。やがて死体が墓から起き上がったところを、両手を縛り、使用人として農園に売り出す。死体の魂は壷の中に封じ込まれ、以後ゾンビは永久に奴隷として働き続ける。死人の家

    ゾンビ - Wikipedia
  • 「熊にあったら死んだフリ」はなぜ広まったのか - エキサイトニュース

    秋も深まってきたが、まだまだ熊出没の季節。 ところで、熊にあったときの対処法として、近年は「死んだフリは逆効果」というのが、常識として知られるようになっている。 理由は、「熊もビックリして襲う」とか、「死んだフリをしていると、確認のために熊が噛みついたりする」など言われており、予防法としては、「突然あわないように、ラジオなどをかけて歩く、笛、鈴などで自分の存在を知らせる」ということ。であってしまったら、「騒がない」「そっと下がる」「背中を見せて逃げない」「熊撃退スプレーを使う」などの方法が指摘されている。 では、ここでちょっと不思議に思うこと。なぜかつては「死んだフリをしろ」といわれていたのか。迷信が広まった理由とは? 「昔は死んだフリでもある程度良かったが、今は森林伐採などによって、熊が人里におりてきてしまっているから、通用しなくなった」という声もあるけど……。 NPO日ツキノワグマ研

    「熊にあったら死んだフリ」はなぜ広まったのか - エキサイトニュース
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    ono_matope 2008/11/16
    迷信の生まれる現場
  • 書き初め: 古いと思ってるけど実は案外新しい「伝統」 - michikaifu’s diary

    あけましておめでとうございます。中島さんのファンなので、呼びかけに応えてブログ書き初めします。 Life is beautiful: 「書き初め」でよくない? で、真面目なエントリーを用意していたのだけど、下記を見て面白いと思ったので、急遽変更。 初詣の歴史を皆知らない - mmpoloの日記 初詣というのは、実は鉄道会社が始めたマーケティング企画だった、というお話。ほんとかウソか知らないが、ありそうで面白い。ここに「ヴァレンタイン」も例にあがっていて、これはチョコレートの会社が始めた風習。 そうやって考えると、古い伝統と思われているものが、実は意外に新しかったり、商業主義な発祥だったりするものが他にもある。例えば・・・ サンタクロース: セント・ニクラウスの伝承はあったのかもしれないけれど、あの赤白装束の太ったおじいさんのキャラは、その昔コカコーラがポスターに使ったのが最初らしい。 つい

    書き初め: 古いと思ってるけど実は案外新しい「伝統」 - michikaifu’s diary
    ono_matope
    ono_matope 2008/01/04
    終身雇用は戦後の風習だとわかるけど、クリスマスの話しは面白い!>『クリスマスの「記号」といえば(中略)北の国のもの』
  • ガンバリ国連特使、スー・チー氏のトイレ覗けず─軍政が妨害 - bogusnews

    反軍事政権デモをめぐり緊張が続くミャンマーで、国連から派遣された特使のガンバリ特別顧問が30日、軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スーチーさんに面会しようとしたところ、軍事政権に妨害されていたことがわかった。 国連が明らかにしたところによると、ガンバリ氏は同日夜、ヤンゴン市内のスー・チーさん宅に忍び込み、トイレを覗いて 「がんばれー、がんばれー…」 とささやこうとしたという。しかし、これを発見した治安部隊員がすかさず、 「がんばり入道ほととぎす! がんばり入道ほととぎす!」 と叫んだため、ガンバリ氏は驚いて逃散。これにより、ミャンマー入りの最大の目的のひとつだったスー・チー女史との接触は果たせずに終わった。 ミャンマー軍政部は、国営放送を通じ「がんばり入道などというハレンチな妖怪を特使としてよこすとは、まこと許しがたい。国際社会がわが国を陰謀に陥れようとしていることのあらわれ」と、強く

    ガンバリ国連特使、スー・チー氏のトイレ覗けず─軍政が妨害 - bogusnews
  • 日本昔話(桃太郎や一寸法師など)で、よく鬼退治の話しが出てきます。…

    昔話(桃太郎や一寸法師など)で、よく鬼退治の話しが出てきます。あの鬼って一体なんだろうなぁと考えたんですが、古代日の土着民と渡来人との争いを描いた例え話しだと思いついたんですが、皆さんどう思いますか?ちょっと考え過ぎかしら?

  • http://www.asahi.com/culture/update/0415/TKY200704150138.html

    ono_matope
    ono_matope 2007/04/16
    素晴らしい研究。でも最後の一行はいらないw
  • Amazon.co.jp: 日本神話とアンパンマン (集英社新書): 山田永: 本

    Amazon.co.jp: 日本神話とアンパンマン (集英社新書): 山田永: 本
    ono_matope
    ono_matope 2007/02/06
    タイトルに惹かれた。
  • 桃太郎はなぜ鬼を退治しに行ったか

    もともと、鬼というのは両義的な存在です。 つまり、人にとって一方で恐怖すべき存在であると同時に、またある面では福徳や恩寵をもたらすこともある、という相反する存在として信じられていたのです。このように両義的であって、世俗的な感覚で単純に“白黒つけがたい”存在であることこそが、その力の源泉であったと言えます。 この鬼というのも、後代には世俗化してきます。鬼という概念がいわば消費されてしまって、「単純な悪者」としてのイメージが固定化してしまうにつれて、その力があまり信じられなくなってくるわけです。 鬼がカリカチュアライズされ、具体的な「悪者」になったことで、必ずしも恐ろしい存在ではなくなった、と言えるでしょう。結果、来は語義矛盾であるはずの「弱い鬼」、「人間に負けて退散する鬼」といったものがやがて人々の意識のなかで一般化するわけです。 しかし一方で、「福徳を授けてくれる」という鬼のもうひとつの

    桃太郎はなぜ鬼を退治しに行ったか
  • 化け物の文化誌展 国立科学博物館

    「昔の化け物は昔の人にはちゃんとした事実であったのである。」(寺田寅彦「化け物の進化」より) 河童、天狗、龍、麒麟、鵺(ヌエ)・・・。かつての日人にとって、「彼ら」は実際に存在する生き物でした。 しかし明治近代化の中で、「彼ら」は伝承の彼方に置かれました。 今再び、科学の目から化け物に光を当てます。

    ono_matope
    ono_matope 2006/10/13
    行かなきゃ!
  • ぬる風呂: そもそも見えないのだが。>心霊

    そもそも見えないのだが。>心霊 コラムニストの小田嶋さんが自身のブログで以下のようなコメントを記載していた。頷きまくりだったので、一部抜粋だが、引用したい。 「霊が見える」と言う人間は、パラノイアか嘘つきのいずれかだ。でなくても最低限、自己肥大人格ではあるわけで、「オレはあんたたち一般人とは違う」「私は感覚が鋭い」「ボクは選ばれた人間だ」という意味のことを主張しているヤバい人間だ。 こういう人間を甘やかしてはいけない。私見を述べるなら、私は、われわれオヤジ世代の人間が、自称霊能力者みたいなモノに対して及び腰でいるから、霊感商法にハマる若者が減らないのだと思っている。 昔のオヤジは違った。霊だのたたりだのと言う男に対しては正面から「ウソをつきやがれ」と言っていた。こうでなくてはいけない。 が、平成のオヤジは弱気だ。霊の存在を信じていない組の人間でさえ 「いやあ、私はいたって鈍感なタチ

    ono_matope
    ono_matope 2006/06/12
    民俗学が何のためにあるのか分かってなさそう。オカルトとかそういうものに対して、適切に距離をとれないのは駄目だ。全肯定するのも全否定するのも同じように脆弱だ。と言い切ってしまうのはシニシズムだろうか。
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