山中城は戦国時代末期の永禄年間(1558~69)に、小田原に本拠をおいた北条氏康が国境防備のため「箱根十城」といわれる城砦を箱根山に築いた一つで、後の東海道に沿う要地にあります。 はじめ番城であったが、のちに北条氏勝を城主にしました。 その後天正17年(1589)北条氏政は、豊臣秀吉の来功に備えて急遽堀や岱崎出丸などの整備、増築を行いました。しかし、増築が未完成のまま、翌天正18年(1590)3月29日、徳川家康を主将とする豊臣勢七万は松田康長・間宮康俊以下北条軍四千の兵が篭る城におしよせ、中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊、一柳直末らが岱崎砦を攻撃しました。 現在の東海道を見ると、岱崎砦と西櫓にちょうど挟まれる形になっていますが、旧東海道は岱崎砦の下を沿うように走っていました。つまり攻める側は砦を落としてから本城を攻める形になります。 寄手の将一柳直末は猛烈な銃火に討ち死にしましたが、
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