2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…
反論を許さない論者が取るべき唯一の方策は、反論の場を作らないことである。なぜなら、反論を許さないその理論は完璧であり、他に何もいらないからだ。完璧なるがゆえに、発信することがすなわち説得することであり、読んだものは皆納得することだろう。 賛同者を求めることも不要である。賛同者を求めることはすなわちその理論の正しさを他者によって証明することに他ならず、自らによって完璧と言い切れないことを示す。あるいは、補強する論を欲してもいけない。その理論がそれ自体では完璧でないことの証明であるから。 もし理論に100%の自信がなく、他者の意見を求めるのであれば、その理論への反論をも認めているということに気付くべきだ。そこでは罵倒すら反論であり、そこに表出された感情を差し引いたものを評価すべきである。場合によっては罵倒引く感情はNULLであるかもしれないが。
どちらも自分の専門について誠実な二つの議論。対象とアプローチが全く異なる。 一つはある種のでたらめを信じている人に対して物の考え方を基本として諭すやりかた。実は「信じている人」については諦めていて、「半信半疑」の人に対して嘘を嘘と見抜くための方法を提供している。このアプローチは自分の仕事の範疇をわきまえて、できる範囲で誠実に行っているから、その点について批判されるのはおかしい。信じている人たちの心を直接変えるためには逆洗脳しかありえないが、それはコストが見合わない。しかし自分が信じている世界があまりに周りとかけ離れていることに気付けるほど、周りが正反対のことを信じていれば何かのきっかけで洗脳が解けることがありうる。多分、そういうコスト意識もあるんだろう。 もう一つ。対象はレベルの大きな差はあれ、それなりの専門家である。と言っても、分かってやっているのではなく、中途半端な理解でそれを行ってい
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