反対語・対義語を調べられるサイトってありませんか?
同じように怒りの表現であっても、自分が怒っていることを伝える表現とは別のジャンルに属するものとして、人の怒りを客観的に描写するものがあります。先に、「『怒っているぞ』と言うための英語のあれこれ」(8月6日)という記事で取りあげた言い回しは、自分のほうから怒りを相手にぶつけるタイプのものですが、今回は、人ごととして形容するタイプの言い回しです。 なお、日頃英語の表現に触れるに当たっては、これは相手に向かって直接言えるものだろうか、それとも客観的な描写としてのみ使えるものかを意識しておく必要があるのに、上級レベルの学習者でもこういったことを見落としているようです。実際に英語が使われている環境にいる方はその場でニュアンスがわかるからいいとして、そういう環境にない方は努めてこの点を意識しておかないと、いざ使おうという段になって迷いが生じ、せっかく言い回しをおぼえたのに使えずに終わってしまいます。
金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩) 「テイめられたシャ」------集団語とは何か 96年冬に亡くなった父親は時々、僕らの知らない単語を会話に出した。「オスタップ」といわれて何かよく分からなかったし、「レッコ」とか「ウェス」というのも分からなかった。 父の母校の商船高専に勤めるようになってから、ある程度、謎が解けてきた。 「オスタップ」というのはwash tubで「洗い桶」のことだった。「レッコ」というのはlet goということで「捨てる」という意味だった。「ウェス」というのはwasteのことでボロ雑巾などを指していた。 商船高専の学寮で使われている言葉もいくつかが分からなかった。ブッカンジョーというのは漢字で書けばすぐに分かるように「物干場」のことだった。ジョークのことはカタ振り、ジョークをいうことは「カタを振る」という。ベッドのことを「ボンク」というが、これは英語のb
「もちいる」の旧かな(正かな)づかいについて。 たとえば、『新式 國語假名遣便覽』(寶文館)という本(明治四十一年刊)を見てみると、 もちゐる 用(もちひるトモ書ク)(p.3) となっている。 しかし、最近の府川充男・小池和夫『旧字旧かな入門』(柏書房)は「もちゐる」のみ正用とし、青木逸平『旧字力、旧仮名力』(NHK生活人新書)にも、 ワ行上一段活用の動詞は、この「居(ゐ)る」「用ゐる」の二語と、「率ゐる」がおもなもの。「ゐる」は「…してゐる」のかたちで常時使われるし、「ゐてもたつてもゐられない」「ゐずまひを正す」などさまざまなかたちで言葉にはいりこんでくるので、つねに気くばりが必要。(p.149) とあり、「もちゐる」のみ正用とする。ではなぜ、かつては「もちゐる」「もちひる」のいずれも可、ということになっていたのであろうか。 これについては、大槻文彦『復軒雑纂』が示唆を与えてくれる(私が
と、思う。 古い人間は古い記憶ともに順々に消えていけばいい。 それが歴史となって、新しい人の知恵=鏡になれば、もっといいだろうが、それを見つめる人というのは社会のごく一部だ。大衆は歴史を乗せていくがそれを自覚的に意識はしない。 美しい言葉があるのではなく、人と人の関わりの場面の美しさが言葉のなかにsettleする。だが、新しい人間の関わりはどうしても古い言葉をつきやぶっていく。そういうものだ。 もうちょっと言う。 美しい言葉より、快活な言葉だ。 私たちを快活に笑わせる新しい言葉をもって、新しく笑うことができるだろうか。そしてその笑いのなかに連帯の思いを込めることができるだろうか。 そうしたチャレンジを無意識に若い魂が新しい言葉で実現していくのだ。
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