1.夢の街創造委員会株式会社 中村 利江 さん > 2.ネットビレッジ株式会社 三浦 浩之 さん > 3.株式会社ガイアックス 上田 祐司 さん > 4.有限会社プラスカム 米澤 寿展 さん > 5.株式会社ネットプライス 佐藤 輝英 さん > 7.アウンコンサルティング株式会社 信太 明 さん > 8.株式会社ドリコム 内藤 裕紀 さん > 9.株式会社フジスタッフ 増山 律子 さん > 10.GMOホスティング&セキュリティ株式会社 青山 満さん > 11.株式会社ECナビ 宇佐美 進典 さん > 12.株式会社シーエー・モバイル 外川 穣 さん > 13.株式会社オールアバウト 江幡 哲也さん > 14.ロバート・ウォルターズ・ジャパン株式会社 ケビン・ギブソンさん > 15.株式会社サイバーマップ・ジャパン 村田 岳彦さん > 16.株式会社ファンコミュニケーションズ 柳澤 安
空中にペンで自由に書いてメモを共有、さらに人の位置を検出する『空気ペンとナビ下駄』がテレビや雑誌などで頻繁に登場したのは、今から10年ほど前のこと。ドラえもんの四次元ポケットのような面白い開発をしていると話題になった研究者は、その後も率いる研究室で着々とユニークなテーマを生み出してきた。それが、椎尾氏だ。料理に合った色の柄を皿に投影、一枚の皿をさまざまに彩る『いろどりん』、フックにかけるだけで洋服を撮影、管理できる『タグダンス』、家庭の様子をオルゴール調の音楽が奏でる『居るゴール』、そして遠隔地の恋人の状態をさりげなく知らせるために置かれた家具、日用品、調度品が同期する『遠距離恋愛システム』……。実世界指向インタフェースで日常生活に密着したユビキタスコンピューティングに挑む椎尾氏は、日本IBMの東京基礎研究所勤務を経て、大学に転じている。 ユビキタスというと、「どこでも使えるコンピュータ」
IT情報に関心のあるコアなネットユーザーの間で人気を誇る、「最萌え」の業界アイドルをご存じか? ネットニュースサイト「ITmedia」で活躍中の、“IT戦士ユカタン”の愛称を持つ岡田有花さん。硬軟さまざまなスタンスから数多くの個性的な記事を書き、ネット界の動向に通じた解説者として他メディアからも引っ張りだこの名物記者だ。 彼女のブレイクのきっかけは、入社当時の2003年の12月24日にアップした「彼氏のいないひとりのクリスマスイブの寂しさを、ITの力でどう紛らわすか」という趣向の自虐系のネタ記事。以来5年間、「ロンリークリスマス」の体当たり企画は年々エスカレートしていき、その特異な「非モテ女子」キャラが大きな反響を呼び起こしていく。 周到に顔を隠した記事写真も相まって「意外に可愛いのかも」「俺が傍にいてやんよ(笑)」といった読者の期待や妄想は膨らみ、ネット上には岡田記者の全記事リンク集や萌
質問の一つひとつに熟考して真摯に答えてくれる態度、深みと含蓄のある言葉、初対面の人間に対する優しい接し方……そして、返答に窮すると隣の奥さんに「どうだっけ?」と呼びかける夫婦仲のよさ。私はラリー・ウォールさんの大ファンになりました。もちろん、奥さんのグロリアさんのファンにも。
(株)ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)の「モバゲータウン」(以下、モバゲー)といえば、気軽に遊べるミニゲームを核に、コミュニティー(SNS)機能などを備えたケータイ向けポータルサイトだ。 2006年2月に開始してから中高生に大きく受け入れられ、2008年1月末には903万という、ケータイ業界で随一の登録ユーザー数を誇るサービスにまで成長した。ちなみに月間ページビューは151億9600万、直近の第3四半期(10~12月)におけるモバゲーの売上高は46億2800万円という。 なぜモバゲーは中高生を惹き付けてここまで成功できたのだろう。 その答えのひとつは、DeNAが目指した「居心地のいい雰囲気」にある。今回は、モバゲーのコミュニティー機能とゲームの基礎部分を1人で作ったDeNAの取締役、川崎修平氏にインタビューし、モバゲーで目指したことを聞いた(後編はこちら)。 DeNA取締役で、ポータル
中高生に絶大な人気を集めるケータイ向けポータルサイト「モバゲータウン」(以下、モバゲー)。前編では、そのメインの開発者である(株)ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)の取締役、川崎修平氏にモバゲーで目指したことを聞いた。 後編では、開発者としての川崎氏の魅力に迫ってみた。聞くところによれば川崎氏は、「自宅にこもって作業する」「開発中はある飲料しか口にしない」といったユニークなスタイルでモバゲーを作ったという。一体、どんな人となりなのか、根掘り葉掘り聞いてみた。 「オークファン」の開発者 ── DeNAの仕事にかかわるきっかけは、何だったんでしょうか? 川崎 個人でやっていたオークション比較サイトの「オークファン」をうちの経営陣が見つけて、「バイトをしませんか?」と声をかけてきたんですよ。 Yahoo!オークションなど、オークションサイトの平均落札価格を串刺し検索できるウェブサービス「オーク
大学院卒業を目前に控えたある日。携帯電話が鳴った。父からだ。「お前の実印、どこだ?」。何のことか分からないまま答えた。「机の2番目の引き出しにあるよ」 その実印で父は、1つの会社を登記した。「株式会社ワディット」。名字の「和田」と「IT」をひっつけた。父の和田正則さん(59)と息子の裕介さん(26)、2人だけのIT企業。所在地は神奈川県鎌倉市。自宅だ。 社長は裕介さん。「大学院を卒業したら、いきなり社長になっていた。特に会社でやりたいこととか、なかったんですが……」。2006年9月、24歳のころだった。 Webの「あちら側」「こちら側」という考え方がある。梅田望夫さんが「ウェブ進化論」(ちくま新書)で提唱して広まった。あちら側とはGoogleやAmazonなどがサービス展開するWebの世界。こちら側とは、企業内の情報システムなどローカル環境のことを指す。 「あちら側とこちら側をつなぐ試みは
第1回東京ゲームショウが開催されてから、今年でちょうど10周年。そこでこの10年、第一線で活躍されてきた各クリエイターに、「ゲーム業界の10年」をテーマにお話をお聞きしました。ぜひお楽しみ下さい。 二人目はセガのクリエイティブフェローを務め、プロペの社長でもある中裕司氏。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の作者として世界に知られる中さんが語る、テレビゲームの過去・現在・未来とは? ――今から10年前は何をされていましたか? 中裕司氏:セガサターンで「ナイツ」を発売した年で、年末には「クリスマスナイツ」も出しました。これらはメインプログラムを組みましたが、そこで僕のプログラマー人生は終了。ちょうどプロデューサーへ転向しつつある瞬間でした。 ――以降はプログラムは組んでいない? 中氏:メインプログラムはやってないですね。デバッグに付き合ったりする程度。会社的にプログラムを自分で組まずに面倒見てれば
学生時代からインタラクションやユーザーインターフェースの研究を推し進め、二次元の絵から簡単に三次元の絵を生成できる「三次元お絵かきソフトTeddy」の開発で世界の度肝を抜いた五十嵐健夫氏。その画期的技術は、既に製品に組み込まれ、世に送り出されている。 パソコン上で描いた絵が、あっという間に立体化され、3Dになってしまう。しかも、四方八方に自由自在に回転でき、絵はいつでも修正・加筆することができる……。「三次元お絵かきソフト(=手書きスケッチによる三次元モデリングシステム)Teddy」を五十嵐氏が初めて発表したのは、東京大学大学院博士課程に在籍しながら、カーネギーメロン大学に短期留学していたときだった。学会関係者を中心とした数百人の聴講者は、デモが始まってすぐに総立ちとなったという。革命的な技術が、世に出た瞬間だった。 この1999年に、アメリカのコンピュータ学会主催による世界最高峰のコンピ
研究テーマは実世界指向インタフェース。従来型のGUIやデスクトップ・メタファといった概念を超えた新しいインタラクション技術だ。利用者の置かれている状況を察知し、利用者が操作指令をしなくても、実世界での生活をコンピュータが自然に支援してくれる。そんな研究の成果のひとつが、2008年の日経BP賞を受賞した「PlaceEngine」。無線LANアクセス・ポイントのビーコン信号を利用する位置測定技術だ。 アイデア自体が斬新だが、WiFiのみで位置情報の取得が可能なこの技術の本質は、パーソナライズされた情報をコンピュータが蓄積できることにある。例えば、よく行く街などの行動の嗜好がわかることで、新しい店舗情報などの欲しい情報が欲しいときに入る世界の扉が開くのだ。驚くべきは、こんなアイデアを、ユビキタスなる言葉がまだ珍しかった10年も前から考えていた。それが暦本氏である。 今のコンピュータというのは、情
常識破り、型破りの発想で未来技術を切り拓くのは、クレイジーエンジニア。今回は、業界シェアトップを占める携帯電話用の動画変換サーバを世界に送り出す富田拓朗氏を紹介する。カリスマプログラマとして、CGアーティストとして世界的な評価を受ける最先端ネットワーク・テクノロジーの発想は、いかにして生まれたのか。 10年以上前に、既にWebシステムを請け負う会社を仲間と設立、インターネットシーンの最前線を走っていた。機械語を含む10以上のプログラミング言語を自在に操るプログラマ、ITコンサルタントとして活躍してきた。そんな富田氏のもうひとつの顔が、CGアーティストだ。手がけた作品はニューヨーク3Dアワードや日本賞外務大臣賞など多数の受賞歴を誇る。リクルート発行『TECH B-ing』で、1998年10月号から2003年3月号まで、表紙のCGを作成していたのが、実は富田氏だった。 小学1年でNEC TK8
根強いファンをもつLisp系プログラミング言語のScheme。その処理系である「Gauche」を開発した川合史朗さんは、10年ほど前からハワイにお住まいです。「いつか取材を」とメールでやりとりしていたら、何と現地で俳優をしていると発覚! そんな彼がイベント「Gauche Night」で来日しました。
今や世界に知られるオープンソースのプログラミング言語「Ruby」を開発した、まつもとゆきひろ氏。シンプルで利便性に優れたオブジェクト指向のスクリプト言語は、世界各国のプログラマたちに愛用されている。カリスマプログラマを生んだ背景とは? オープンソースソフトウェア技術者として最も成功した日本人は誰か?という質問をプログラマにしたとするならば、多くの人が、この人物の名前を口にするであろう、まつもとゆきひろ氏。オブジェクト指向スクリプト言語「Ruby」の開発者である。自ら作ったソフトウェアが、国内はもちろんのこと、今や海外でも広く使われている。こんなエンジニアは、おそらく日本では彼くらいではないだろうか。実際、海外では、Matzのニックネームで通っているのが、まつもと氏なのだ。「Ruby」の特色は、シンプルで利便性に富んでいること。世界中のプログラマの心をつかんだソフトを生んだことはもちろん驚き
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