大河ドラマ『光る君へ』では、主人公・まひろ(後の紫式部)の生家が貧しく描かれていましたね。 「まひろの父・藤原為時は無官であり、一家の暮らしは窮乏していた…」 事実、この描写はかなり正しいと思われます。奈良時代の例ですが、官位の最下位の「初少位下」と最上位である「正一位太政大臣」では、なんと! 8000倍もの所得の差があったと言われています。衝撃の格差社会ですね。その様相は平安時代になってからも、大きくは変わっていません。 平安貴族たちは、三位以上の「公卿」が頂点に君臨。次いで五位以上の「殿上人(ここから貴族と言われる)」がいて、六位以下の「地下官人(ぢげかんじん)」と分かれています。 ここでは平安時代の『拾芥抄』などの歴史資料や論文を参考に、平安時代の貴族たちがどれほどの給料や収入を得ていたのかを追っていきます。大河ドラマの藤原道長や紫式部についても触れていくので、気になる部分だけでも見