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法哲学に関するnebokegaoのブックマーク (6)

  • 法実証主義の系譜がコンパクトにまとまっているオススメの本とかありませんか? | ask.fmhttps://ask.fm/tkira26

    .教科書的なものだと、中山竜一『二十世紀の法思想』(岩波書店、2000年)が代表的な論者の主張をコンパクトにまとめていていちばんいいと思います。あとは深田三徳先生の一連の著作はずっとそのあたりの論争史を追いかけていますので(『現代法理論論争』(ミネルヴァ書房、2004年)など)、さらにご関心があれば取り組まれるのがよいかと思います。ただこのあたりは議論状況がものすごく複雑になっていますので、追いかけるのはめっちゃたいへんです。

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  • 井上達夫さんの9条削除についてどう思われますか? | ask.fmhttps://ask.fm/tkira26

    .そのまま賛成しても芸がないのですが、リベラル・デモクラシーの憲法論としてとても筋の通った見解だと思います。憲法は国家に対し基的人権を保障するように国民が命令するものだとか、各権力を分立させ相互のチェック&バランスの仕組みを整えるものだとか、そうした「立憲主義」の主流的見解からすれば9条は端的にいって異物です。むしろ国防のような重大な問題について現在世代の自己決定権をあらかじめ奪うものである以上、立憲(民主)主義と厳しい緊張関係に立つものとさえいえます。安倍政権による(解釈)改憲に反対する人々はことあるごとに「立憲主義」を持ち出しますが、それは9条の護憲論とそんなにすんなりと調和するものではない、という問題への意識が希薄であるのが気になります。

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  • 『日本思想史講座』第4巻:近代(1)....たぶん、続く - 法哲学/研究教育余録

    思想史講座(4)近代 作者: 末木文美士,黒住真,佐藤弘夫,田尻祐一郎,苅部直出版社/メーカー: ぺりかん社発売日: 2013/06/24メディア: 単行この商品を含むブログを見る 同僚の河野有理先生より最近シリーズ刊行された『日思想史講座』第4巻を頂いたので、早速、読み始めてみた。 先ずは、苅部直先生の「総論 近代の思想」。劈頭、「思想家番付のこころみ」というお題で始まりワクワクしてたら、日近代思想史の「通説」を数値化するため、おもむろに『倫理用語集 改訂版』(山川出版社)での登場頻度数が参照され始め、思わず噴き出してしまう。あとは実際に読んでのお楽しみ、ということで。 次は、河野有理「「演説」と「翻訳」」。副題は「「演説合議の社」としての明六社構想」。とても面白く私自身の研究にも関わりがあるので、以下、メモも兼ねて少し詳しく紹介する。 これに関係すると思われる私の書いたものは

    『日本思想史講座』第4巻:近代(1)....たぶん、続く - 法哲学/研究教育余録
  • 本の記事 : 法哲学者ドウォーキン氏を悼む 長谷部恭男・東京大教授 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    14日、81歳で亡くなったロナルド・ドウォーキンは現代の法哲学・政治哲学界に屹立(きつりつ)する巨人である。革新的かつ論争的なスタイルで英米圏のリベラルな思潮を主導し、合衆国最高裁の動向にも大きな影響を与えた。 アイザイア・バーリンやジョン・ロールズ等のリベラリズムの主流は、価値の多元性を強調し、多様な世界観の公平な共存を提唱する。これに対してドウォーキンは、価値の世界は全体として整合していると言う。自由と平等、社会生活の道徳と個人的倫理とは衝突しない。何が責任ある態度か、何が正しい政策か、すばらしい人生とは何かは、すべて矛盾なく支え合っている。人が自分の生を意味あるものとして生きるには、すべての価値は統一された姿で捉えられなければならない。 1977年に出版された最初の論文集『権利論』は、支配的思想であった法実証主義と功利主義を根底的レベルで批判した。法実証主義によれば、法は社会的事実で

    本の記事 : 法哲学者ドウォーキン氏を悼む 長谷部恭男・東京大教授 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 武力と日常(2) - おおやにき

    前回・前々回に述べたような仕儀で郷和人先生の武力理解について私の意見を弁明すべき状況に立ち至ったので、ずっと前に書きかけてほおってあったエントリを発掘する。以下の二冊に対して言及したもの。 郷和人『武力による政治の誕生(選書日中世史1)』選書メチエ、講談社、2010。 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀(選書日中世史2)』選書メチエ、講談社、2010。(いただきもの。ありがとうございます。) 「郷派」と私が冗談で言っている(というのは3人が東大郷勤務でお二人が郷姓だからだが)方々によるシリーズの、冒頭2冊を読んだ時点での意見である。思い起こせばこのシリーズの前触れとなった特集が組まれたRATIOには私も(当然ながら別の特集だが)まぎれこんでいたのであった。ちょっと自慢。 まあそれは措いて、上掲2冊を読んで私が抱いた疑問を大きくまとめると、以下の2点になる。すなわち、 暴力

    nebokegao
    nebokegao 2013/02/04
    「問題は「暴力をいかに抑制するか」というより「暴力の均衡をいかに形成するか」」
  • 武力と日常(1) - おおやにき

    さて郷和人先生と武力の話。まず初手から恐縮だが、その後考え直したところ同書の内容について「やはり武力がわからないのか」というのは書きすぎであったかなと思う。説明の便宜やの性格から簡単に書いてしまっているが多少省略しすぎではないか、という程度の言い方が良かったろうか。 つまり同書の焦点は対立、特に武力対立であるところ、対立する両者の勝利条件というのは必ずしも綺麗に表裏になるわけではない。両者とも勝利条件を満たすとか、逆に両者とも失敗する事例も想定できるので、当事者Xが勝利条件を満たせなかった→反対当事者Yの勝利とは言えないでしょうと、そういうこと。これが「前者」とした「「対立」から中世史を読み解くという視覚から種々の戦争についても論じているが、攻めた側の戦略目標が実現されれば勝ち、そうでなければ負けと単純化している部分があり。攻めさせるということもあれば双方とも戦略目標実現に失敗というケ

    nebokegao
    nebokegao 2013/02/04
    「対立する両者の勝利条件というのは必ずしも綺麗に表裏になるわけではない」
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