秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見に臨み、長女眞子さんの結婚をめぐる影響などを振り返った。眞子さんの複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の原因ともされる誹謗(ひぼう)中傷の問題では、インターネット上の書き込みで自殺者も出ている状況に言及し「深く人を傷つける言葉は許容できるものではありません」と述べた。(阿部博行)

秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見に臨み、長女眞子さんの結婚をめぐる影響などを振り返った。眞子さんの複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の原因ともされる誹謗(ひぼう)中傷の問題では、インターネット上の書き込みで自殺者も出ている状況に言及し「深く人を傷つける言葉は許容できるものではありません」と述べた。(阿部博行)
【記者】 長女の眞子さんと小室圭さんの結婚は、皇室の儀式が行われず、一時金が支給されない極めて異例な形となりました。 殿下は感想で、「皇室としては類例を見ない結婚となりました」、「皇室への影響も少なからずありました」とつづられました。 「皇室への影響」とはどのようなことを指し、今回の結婚が今後の皇室にどのような影響があると思われますか。 皇族としての「公」と一個人としての「私」など皇室そのもののあるべき姿が議論されましたが、殿下はどのようにお考えでしょうか。 複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された眞子さんの体調に影響を与えたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについて、どのように受け止めておられますか。 【秋篠宮さま】 それでは最初に、私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。 いろいろあったと思いますけれども
「今回の結婚騒動で心に傷を負ったのは、『複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)』を公表された眞子さんだけではありません。秋篠宮家の長男で、高校進学を控えておられる悠仁さまのことがとても心配なのです……」 【写真】悠仁さま、小3で作った驚きの“実物大”信号機がコチラ ある宮内庁OBはそう憂色をただよわせる。 秋篠宮さまと変わらぬ身長に「眞子さんと小室圭さんの婚約が延期されたのは'18年2月。その翌年の'19年に悠仁さまは中学へ入学されました。 中学生という多感な時期に、ご家族が国民から注目の的となったり、家庭内の雰囲気が悪化したのですから、情緒が不安定になられるのも無理はありません」(宮内庁OB) 結婚問題が膠着状態だったころには、お住まいでの“異変”も見られたという。 「ご家族との食事の席で悠仁さまが召し上がったものをその場で戻してしまわれたことがあったと聞きました。おそらく、そうとうな
上皇さまは、29日、皇居にあるお住まいで一時意識を失って倒れ、30日午前、宮内庁病院で検査と診察を受けられましたが、原因となるような所見はみられなかったということです。宮内庁は、今後も引き続き注意深く様子をみていくとしています。 そばにいた上皇后さまの知らせで医師らが駆けつけると、上皇さまは、いびきのような息遣いをしていて、診察が始まるとほどなく意識が戻られたということです。 上皇さまは、寝室で必要な処置を受けたあとそのまま就寝し、30日午前、宮内庁病院で頭部のMRI検査や医師の診察を受けられました。検査の結果、症状の原因となるような所見は見られなかったということです。 上皇さまは、最近は、上皇后さまとともに、仮住まい先の高輪皇族邸への引っ越しの準備に専念していましたが、29日は、午後に外出し、お住まいに戻って1時間ほどたったあと倒れられたということです。 上皇さまは、去年7月には、一時的
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが通われるお茶の水女子大付属中学校(東京都文京区)で、悠仁さまの机の上に刃物が置かれた事件で、建造物侵入容疑で逮捕された住居・職業不詳の長谷川薫容疑者(56)が「(悠仁さまを)刺そうと思った」などと供述していることが7日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課は長谷川容疑者が悠仁さまに危害を加える目的で校舎内に侵入したとみて調べている。 捜査関係者によると、長谷川容疑者は調べに対し、悠仁さまの机の上に果物ナイフを置いたことを認め、「天皇制や、皇位継承のあり方に不満があった」という趣旨の供述をしているという。事件数日前から都内のホテルに滞在してナイフなどを購入しており、1日の代替わり直前のタイミングを狙って犯行を計画していたとみられる。 長谷川容疑者は4月26日午前10時50分ごろ、事前に購入したヘルメットなどで工事業者に変装し、大学の敷地内にある中学校の校
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。 ◆「そう思わん?」「わかるか?」 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社が
28年前、即位後のパレード用に約4千万円で購入したロールスロイス社製のオープンカーが古くなり、走行困難になっていることがわかった。2回しか使われていないが、整備用の部品が手に入らず、宮内庁の車庫に眠ったままという。今回のパレードで新天皇、新皇后を乗せる車をどうするか。経費節減が求められる中、政府関係者は頭を悩ませている。 1990(平成2)年11月12日午後、燕尾(えんび)服とローブデコルテに身を包んだ天皇、皇后両陛下はピカピカの黒いオープンカーに乗り、沿道の人たちに手を振った。昭和天皇の即位の時は馬車だったが、馬は不測の事態で制御困難になるリスクもある。警備上、より安全な車を使うことになり、当時の総理府が購入した。 車はその後、宮内庁の管理下に入り、93年の皇太子ご夫妻のご成婚パレードでも使われた。だがその後、行事などで用いられたことはない。来年の代替わりで久々の「晴れ舞台」かと思いきや
宮内庁は18日、天皇陛下が退位した後、東京都港区にある高輪皇族邸(旧高松宮邸)に仮住まいする予定であることを正式に発表した。時期は退位後の「できるだけ早く」、ただちに新天皇、皇后両陛下のお住まいとなる御所の改修工事を始める。その間、新天皇、皇后両陛下は現在の東宮御所(東京・元赤坂)から皇居に通う。 また、皇嗣となる秋篠宮さまとご家族は引き続き現在と同じ秋篠宮邸に住むが、老朽化などのため増築改修工事を行う。 高輪皇族邸は昭和天皇の弟、故・高松宮さまの宮邸だった。高松宮さまが1987年に逝去し、妻の喜久子さまが2004年12月に逝去した後は無人となっている。昭和天皇が皇太子時代に暮らしたこともある。
昭和天皇が戦争に関する出来事を回想した「昭和天皇独白録」について、側近が記録した原本とされる文書が、アメリカ・ニューヨークでオークションにかけられ、3000万円を超える価格で落札されました。 この記録の原本とされる文書が6日、ニューヨークでオークションにかけられ、手数料込みで27万5000ドル(日本円でおよそ3080万円)で落札されました。日本国内の各地で展開する美容クリニックの院長が落札したとみずからのツイッターに投稿しました。 文書は、昭和天皇が陸軍の謀略による昭和3年の張作霖爆殺事件から昭和20年のポツダム宣言受諾を経て、終戦の際の玉音放送収録に至るまでを語った合わせて173ページ分で、寺崎氏が鉛筆などで記録しています。寺崎氏は、昭和天皇とGHQ=連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官との会談の通訳を務めたことでも知られ、文書は戦後、アメリカに移った家族の家に保管されていたというこ
秋篠宮さまは30日、52歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち記者会見し、天皇陛下の退位が決まったことへの思いを語った。上皇と新天皇の併存による二重権威を危惧する声があることについて「(二重権威は)あり得ないとはっきりと言えます」と明言。「陛下はもともと、譲位をする時には、それまでされていた国事行為をはじめ、全ての公的な活動を次の天皇に譲るという気持ちを持っておられました」と述べた。 今年6月の、天皇陛下の退位を実現する特例法の成立後、秋篠宮さまの記者会見は初めて。秋篠宮さまは「昨年夏のお気持ちを表明されて以降、さまざまな意見がありました」としたうえで「法案が通って、公布され、私たち家族は一様に安堵(あんど)しております」と話した。
日本会議国会議員懇談会は23日、国会内で皇室制度プロジェクト(座長=衛藤晟一首相補佐官)の勉強会を開き、男系継承のあり方を議論した。自民党を中心に23人が参加し、民進党などが求める「女性宮家」の創設に反対論が相次いだ。 天皇陛下の退位をめぐり、衆参両院の正副議長が3月にまとめた「議論のとりまとめ」では、退位を実現する特例法案の付帯決議の中で「女性宮家の創設等」の検討を政府に求めることが盛り込まれた。これに対し、プロジェクト座長代行の柴山昌彦首相補佐官は23日の会合後、記者団に「こうした方策がまず最初に出てくるのはおかしいとの認識を共有した」と語った。 出席者によると、会合では「付帯決議に『女性宮家』を盛り込む動きを断固粉砕すべきだ」などの意見が出た。「旧11宮家が臣籍降下したのは占領政策の結果だ」として、戦後に廃止された旧宮家の復活による男系維持を求める声もあがったという。 日本会議国会議
皇太子さまは21日午前、デンマーク訪問を終え、帰国した。天皇陛下の退位を実現する特例法成立後、初めての外国訪問。次の天皇として手厚いもてなしを受けた。市民とのセルフィー(自分撮り)に気軽に応じるなど、新しい皇室の姿も垣間見えた。 滞在半ばの17日、皇太子さまは公式行事の合間を縫って、運河沿いを散策した。地元の人々に「ここにはよく来るんですか」と話しかけたり、握手を交わしたり。ハイネさんという男性から携帯電話のカメラでツーショットのセルフィーを頼まれると、気軽に応じ、そばにいた宮内庁関係者を驚かせた。 4月のマレーシア訪問でも、ナジブ首相とのセルフィーがネットに流れ「前例がない」と話題になった。 幼稚園児にしゃがみ込んで声をかけたり、予定時間を超えて対面者と接したり。より身近で、より時代に即した皇族像を求めているように感じた。 デンマーク王室のもてなしも印象的だった。到着時には、フレデリック
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
天皇陛下が退位した後の称号について、政府は古来用いられてきた「上皇」とする方向で最終調整に入った。敬称はいまと同じ「陛下」のままとし、一般の皇族に使う「殿下」は用いない。退位後の称号や敬称は、大型連休明けにも国会提出する退位を実現するための特例法案に明記する。 複数の政府関係者が明らかにした。特例法案の骨格は、第1条に陛下が退位に至る一連の経緯や事情を書き込み、第2条に陛下の退位と皇太子さまの即位を明記。退位後の称号や敬称といった関連規定は第3条以降に記し、全体では10条程度の構成とする方向だ。 上皇の称号は「太上(だいじょう)天皇」の略称とされ、専門家には太上天皇を支持する意見もある。だが、政府関係者は「天皇より上位にあるように受け取られてしまう」と指摘。新天皇との関係上も、上皇と呼ぶのが望ましいと判断した。上皇が、歴史教育などを通じて広く定着していることも考慮した。 皇后さまについては
安倍晋三首相 (かつて発言した「〈皇室の〉男系を維持するために希望する旧宮家の皇籍復帰もしくは養子〈の受け入れ〉」との考えは今でも持っているか、と問われ)これは総理大臣に就任する前の話であるが、一つの選択肢として、それはあり得るのではないかと考えていた。同時に制度として考えると、非常に個別具体的に考えていくことにもつながっていくわけで、それぞれ対象者の方々が、いわば宮家におられるわけです。そういう方々の未来が決まっていくことにもつながっていく。制度を作っても、全くの絵に描いた餅にならないようにしなければいけないわけで、その対象者が希望(するか)。すべてから拒否されることもありうる。 いずれにしても、安定的な皇位継承については、いま私の考え方を述べることは差し控えさせていただきたい。これも含めて今後議論してもらえればと、また検討していきたいと考えている。(衆院予算委員会の答弁で)
宮内記者会代表質問 問 今年は五輪・パラリンピックが開催され,天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災,熊本地震の被災地などを訪問される一方,三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり,8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。 この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。 今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が経(た)っていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思
来月1日に開かれる秋の園遊会に、レスリング女子でオリンピック4連覇を果たし、国民栄誉賞が授与された伊調馨選手など、およそ2200人が招待されることになりました。 ことしの秋の園遊会は来月1日に開かれ、各界の功労者など、およそ2200人が招待されることになりました。 今回は、リオデジャネイロオリンピックのレスリング女子でオリンピック4連覇となる金メダルを獲得し、20日に国民栄誉賞が授与された伊調馨選手や、バドミントンの女子ダブルスで金メダルを獲得した高橋礼華選手と松友美佐紀選手が招かれます。 また、ことし4月の地震や阿蘇山の噴火など自然災害が相次いだ熊本県の蒲島郁夫知事なども招待されます。 園遊会では、両陛下や皇族方が招待された人たちと親しく懇談されることになっています。
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