「慶尚」とはかつての中心都市であった慶州(新羅の古都)、尚州を組み合わせた合成地名であり、この周辺地域を慶尚道と呼ぶ。行政区画としては李氏朝鮮の時代に東西に分けられたりなど試行錯誤が行われ、1896年勅令第36号で朝鮮八道における慶尚道の北半分を慶尚北道と定めた。 かつて慶尚北道の一部であった大邱市は1981年に大邱直轄市(1995年より大邱広域市)として分離した。その後も道庁は大邱広域市に置かれていたが、2016年2月12日に安東市に移転した。 東は日本海に面し、北は江原特別自治道に、西は忠清北道・全北特別自治道に、南は慶尚南道に接しており、韓国で一番面積が広い道(国土面積の20%、日本の四国の面積とほぼ同じ)になっている。 韓国第三の都市・大邱市の後背地で、中京圏と同じ立ち位置である。 道の大部分が太白山脈、小白山脈に囲まれる盆地であるため、韓国でもっとも暑い地域であるといわれる。 農