写真 | 19:20 | さあ、出そうよお尻を僕たちの夏は尻とともにある
街で綺麗な女性を見たときに胸の奥から沸いてくる或る思いは、人間が太陽系外へ飛ばした探査機を見つけた地球外生命体が抱くそれに近いのではないだろうか。少しでも想像力のある人なら、程度や頻度の差はあれど僕や地球外生命体と同様の思いをしたことがあるのではないだろうか。今、僕はJR藤沢駅南口のミスタードーナツの二階にいる。僕はそんな想いで身体中を鎖で縛られたような感覚のなかで読めない英字新聞をテーブルに広げ、ノートパソコンを叩いている。擬装だ。実際の僕は窓際に座る女子高生三人組を見つめている。慎重に、悟られないように、スナイプ。そして、或る想いに打ちのめされる。それは悲しみに近い。 僕が生まれた70年代にアメリカが打ち上げた惑星探査機の幾つかは太陽系の外へと飛び出していった。ボイジャー、パイオニア。なかでも交信が途絶え運用が終わったパイオニア10号、広大な宇宙空間を航行する彼の孤独を思わずにいられな
女は、尻だ。 もちろん、おっぱいも大切だ。そんなことはガッテン承知してる。しかし、おっぱいの谷底と、尻のあわいめ、どちらが見たい?と自ら質してみよう。結果は明白だ、おっぱいは尻の代替物なのだから。おっぱいの谷間から出てくるものは、色香や乳首にすぎない。いっぽう、お尻のあいだからは、糞尿だけでなく釈迦やキリスト、あなたやわたしも出てきたのだ。 そんなお尻好きへの逸品が、これ。 本書は、偏見と差別の仕打ちを受けてきたお尻とその穴について、医学的・歴史的観点から考察している。アヌスの機能にはじまり、浣腸やスパンキング、ソドミーの歴史が、豊富な図表とともに紹介されている。同時に、お尻やアヌスに魅せられた人びとの芸術的成果が、古今東西関係なく紹介されている。肉体の最も秘められた部位に関する知見をもとに、古代からある命題「アヌスは性器か排泄器か?」について、あらためて考えると興味深い。 まず「お通じ」
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