第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 2007年8月16日 ITメディア コメント: トラックバック (1) ■12-1. 「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 前回・前々回を通じて、セカンドライフとニコニコ動画の比較分析を行ってきました。その分析結果とは、ひとことでいえば、セカンドライフは真性同期型アーキテクチャゆえに「閑散としている」ように見えやすい傾向にあり、その一方で、ニコニコ動画は擬似同期型アーキテクチャゆえに「活況を呈している」ように見えやすい、というものでした。おそらく2007年前半の(日本における)ソーシャルメディアの光景は、「セカンドライフは閑散としている一方で、ニコニコ動画は活況を呈している」と記憶されることと思われますが、それは単に「セカンドライフはつまらない/ニコニコ動画は面白い(つまらないものを面白くでき
以前、ジャーナリスト森健さんとお話させていただいた際、「コンテンツは技術に規定される」というような言葉を教えてもらって、おお!と思った。 連続した技術変化に身を置いていると、なかなか気付かない。でも、文字を持たず口語伝承だった大昔から、象形文字を岩壁に刻んでいた時代、紙とペンが使用され始め、グーデンベルグが活版印刷を発明して、タイプライター、ワープロときていまパソコン、ケータイといった文脈(コンテキスト)でみると、なるほど口語伝承、象形文字で作成されるコンテンツと、タイプやワープロで作成されるそれ、ネットとつながったパソコンやケータイで作成されるそれというのはまるで違う。 12日の朝日新聞に「ケータイが変える 変わる-選択の時 メール感覚 小説『発信』 公開100万作品 続々書籍に」という記事があった。 ケータイ小説が花盛りで、大学ではレポートをケータイで作成する例もあるという。ええ!
第1回 10年前の俺らは (ほぼ日刊イトイ新聞 - 上がりたかったんだ。E.YAZAWAの就職論)糸井 たとえば10年前、 矢沢永吉はどんなふうに考えてたの? いろんなものの価値観が がらっと変わりそうだなっていうときに。 矢沢 ひとつだけわかったことはね、 この激動の時代の中でね、 ダウンロードできないものを 作らないといけないと思ったの。 糸井 ははぁー。 矢沢 ダウンロードできないものしか 残れないってわかったの。 だってものすごい勢いでさ、 すべてがダウンロードできる時代じゃない。 糸井 つまり、デジタルコピーのことですよね。 矢沢 そういうことです。 ダウンロード、デジタルコピー。 時代がそういうふうに動いていくときに、 どっちかだろうと思ったのよ。 ダウンロードできないものか、 逆に、とことんダウンロードできるものか、 どっちかだと思った。 真ん中じゃもうダメだと思ったね。最初
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