中国西南地域では蒟蒻が良く食べられていますが、貴州省や雲南省では蒟蒻を、一般に魔芋と呼び、蒟蒻とは云わない様です。場所により魔芋豆腐と呼ぶ事もあるようです。 日本で書いていた以前のブログでも書いた事がありますが、司馬遼太郎が中国四川省で蒟蒻を食べたいと思いコンニャクを探したものの結局は見つからずに終わった経緯を、司馬遼太郎は「街道をゆく」〈20〉中国・蜀と雲南のみち (朝日文庫)の「コンニャク問答」の項で書いていたように記憶していますが、それは蒟蒻と言って探したので見つからなかったと思われます。最初から魔芋或いは魔芋豆腐といって探せば簡単に、四川では、コンニャクである魔芋が見つかり、彼は中国のコンニャクを食すことが出来ただろうにと思います。 その時、当然付いていただろうと思われる中国人の通訳も蒟蒻を、中国のある地域では魔芋と呼ぶことを知らなかったのかも知りません。四川省などでも蒟蒻という方
今まで七回に分けて千字文の読み方(音読み)と、読み下し文、そして意味についてご紹介してきました。今日は、度に全部見たい!という方のために、ここにまとめて掲載しようと思います。 1~18 天地玄黃(テンチゲンコウ)宇宙洪荒(ウチュウコウコウ) てんはくろくちはき、うちゅうはこうこうなり。 天は玄(くろ)く地は黄色。宇宙は果てしなく広い。 日月盈昃(ジツゲツエイショク)辰宿列張(シンシュクレッチョウ) じつげつはみちかたむき、ほしぼしはならびひろがる。 日はのぼり西に傾き月は満ち欠けする。星は星座に宿りが並び広がる。 寒來暑往(カンライショオウ)秋收冬藏(シュウシュウトウゾウ) さむさきたりあつさゆき、あきにおさめふゆにたくわう。 寒さが来れば暑さは去る。秋に穫り入れ冬に蓄える。 閏餘成歲(ジュンヨセイサイ)律呂調陽(リツリョチョウヨウ) じゅんよとしをなし、りつりょはようをととのう。 閏(う
楷書の「龍」という形は殷墟甲骨文に見られる文字を継承したもので、「竜」という形は早くとも漢代以降に作られたものだが、「竜」が「龍」より古くから存在するというトンデモが存在する。 「竜」が「龍」より古いというトンデモには全く根拠がないが、ほとんどの人は漢字の歴史について無知なのと、このトンデモが本当なら意外なので(逆に)、一定数の人が信じているようである。 実際には、「竜」が「龍」より古いなどということは無い。これは「最終的には「龍」も「竜」も同じ甲骨文字に由来するのだからどちらかが古いと言うことはできない」というような表現的問題ではなく(それも一理あるかもしれないが、ここではどちらかが古いという表現を受け入れよう)、「竜」が「龍」より古いというトンデモが描いている歴史が決定的に間違っているという意味である。 この記事で「竜」「龍」の歴史を再確認することで、トンデモの歯止めになれば幸いである
中国の中華意識は有名ですが、実は、中国北地の北方遊牧民族国家や中国周辺の国家の中にも、中華意識を持っていた国はいくつもあります。そうした国々と比較しつつ、倭国について検討したのが、 川本芳昭「《日本側》七世紀の東アジア国際秩序の創成」 (北岡伸一・歩 平編『「日中歴史共同研究」報告書 第1巻 古代・中近世史篇』、勉誠出版、2014年) です。日本・中国・韓国は、歴史観の違いによってこれまでいろいろな問題が起きてきましたが、この本は書名が示すように、日本と中国の学者が協議してそれぞれの視点を示し、ともに認めることができる事実を明らかにしようとした試みの一つです。川本氏は、外交面などに注意している東洋史学者です。 川本氏のこの論文の次には、王小甫「《中国側》七世紀の東アジアの国際秩序の創成」が掲載されています。このように、諸国の研究者がそれぞれの視点で意見を出し合い、協議していくことが大事です
ロックバンドのメンバーがツイッターで「漢文の授業ってまだあるの?」からはじまる漢文不要論を投稿し、賛否両論の反響が続々。すかさず反応したのが、国語・漢文関係の名門出版社「明治書院」。社長や編集者などにお話を聞いてきました。 国文学・漢文学の名門「明治書院」 老舗出版社と聞くと、書店街・古書店である神保町やお茶の水にあるのかなと思ったら、なぜか大久保。南に行けば歌舞伎町、北に行けば大久保コリアンタウンという、多様性のるつぼのような立地です。明治書院は1896年に神田錦町で創業し、今から15年前にこの地に移転してきたそうです。 私が明治書院に興味を持ったのは、中国古典のひとつである『易経(えききょう)』を学んでいるから。その延長で、ほ~んの少しだけ『論語』も読みます。学生時代は好きでも嫌いでもなかった漢文。あるきっかけで読みはじめ、「大人になって読む漢文はしみじみいいものだ」と感じています。だ
中国四千年は改竄史、真の歴史は日本にあり 嘘で固められた南京大虐殺、尖閣事件・・・(JBpress 日本ビジネスプレス) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4971 ……ツッコミがいのありすぎる記事ですね。「改竄」され「嘘で固められ」てるのはこの筆者さん(森清勇さん)の頭の中の「歴史」のほうだと思うのですが。あー、ちなみに「南京」とかには、僕はツッコまないですよ。そのへんはほかに適任者がいると思いますし。ただ中国の正史に関しては黙ってられないので、つっかえたら困るものを吐き出しておくことにします。 中国の王朝交代は「易姓革命」と呼ばれる。現実には新興する一族が、衰弱する王朝を武力で打倒して帝位に就くもので、権力の簒奪以外の何物でもない。新に帝位に就いた王朝の最初の仕事は、前王朝の歴史を書くことである。 「易姓革命」が実は武力による「簒奪」と言っている
(7)に戻る 芥川賞作に大連の想い《大連の五月は…こんなに素晴らしいものであったのかと、幼年時代や少年時代には意識しなかったその美しさに、彼はほとんど驚いていた》 前回、旧制旅順高のくだりで紹介した作家で詩人の清岡卓行(たかゆき=平成18年、83歳で死去)。芥川賞受賞作『アカシヤの大連』(昭和44年下期)には外国からの租借地を故郷とする矛盾に苦悩しつつも、大連への迸(ほとばし)る郷愁が綴(つづ)られている。 清岡は大正11(1922)年、日本統治時代の大連に生まれた。父親は満鉄技師。大連一中(旧制)から昭和15(1940)年に新設された旅順高(旧制・関東州)の1回生として入学するも、わずか3カ月で退学、フランス文学を本格的にやりたくて一高(同・東京)を受け直す。旧制高校でフランス語を第一外国語とする「文丙(ぶんぺい)」クラスがあった学校は一高など、わずかしかなかった。 一高から東京帝大仏文
2023年は卯年だそうです。そこで「卯」にまつわる文章を書くことにします。 「卯」という文字の字源は現在でも明らかではありません。本記事では明らかではない理由を軽く説明します。 1. 「卯」の古文字字形 「卯」という字の古い形は以下のようになっています。 「卯」字の商金文、師組甲骨文、賓組甲骨文、西周金文 ここであげた古文字は甲骨文や金文でも十二支の4番目に用いられており、現在の形(「卯」)に至る変化過程も明らかですので、これらの字が現在の「卯」字の古い形であることは間違いありません*1。 一般に甲骨文の字形は両側が「」と角ばってますが、これは効率化(甲骨に刀で刻む場合直線は書きやすく曲線は書きづらい)のために筆画が簡略化されたもので、初期の甲骨文(上掲の師組甲骨文参照)や金文の形は「」と丸まっています。 2. 『説文解字』の「卯」の説明と「表意文字の誤謬」 『説文解字』の「卯」字の項目に
ニーハオ!!新台湾文化学院の湯(タン)です。 新台湾文化学院に見学にくる方からも 「台湾で使われている言葉は?」 「台湾語と中国語の違いは?」 「台湾華語って何?」 と質問を頂く事も多くあります。 今回は以下3つについて台湾華語を軸に簡単に説明したいと思います。 ・台湾華語(國語):台湾の公用語 ・中国語(標準漢語、普通話):中国の公用語 ・台湾語(臺語):台湾南部を中心に利用されている言葉 まず台湾華語(台湾の公用語)です。 北京語をベースとしていて、公用語として1940年代以降から台湾で主に使用され始めました。 現在の台湾で最も使われていて、義務教育も台湾華語で実施されています。 そのため、台湾でコミュニケーションとるのであれば台湾華語が絶対オススメです。 次に中国語です。 北京語ベースなので、台湾人(台湾華語)と中国人(中国語)の会話はほぼ成立します。 (アメリカ英語とイギリス英
湯島聖堂 中国料理研究部のこと 2023.10.22 連載 : 湯島聖堂の料理帖~戦後の日本に伝わった“本当の中国料理”~ 現代日本の中国料理の礎を築いた湯島聖堂「中国料理研究部」。その貴重なレシピと歴史を紐解く連載です。第1回目は、なぜ聖堂で中国料理がつくられたのか、どう継承されたのか、時代背景から解説します。 「聖堂料理」とはどんな中国料理なのか 中国清代に書かれた美食の名著『随園食単』を傍らに、一途に中国料理を探求してきた名料理人がいる。2019年に惜しまれながら閉店した「知味 竹廬山房(ちみ ちくろさんぼう)」の主人、山本豊さんだ。山本さんは、中国料理の歴史と文化を踏まえ、新旧取り交ぜたコース料理を構築。乾物使いの名手として知られ、素材を生かした滋味あふれる料理で多くの食通を魅了した。 元「知味 竹廬山房」のオーナーシェフ、山本豊さん。同店出身者には経堂「彩雲瑞(さいうんすい)」の
六大茶を理解すれば中国茶もカンタン数千とある中国茶の種類 これを覚えるのは大変です、そこで淹れ方をシンプルに分類するための六大茶分類をわかりやすく解説いたします。 六大茶分類の作業工程 これらは六大茶分類の制作作業工程を表したものです。 茶摘:文字通り茶摘み萎凋:日にさらして自然の発酵を揺青:烏龍茶(青茶)だけの工程で茶葉に細かいキズを殺青・炒青:茶葉の発酵を止めるために高温で揉捻:茶葉の形を整える醗酵・悶黄・握推:紅茶・黄茶・黒茶だけの工程乾燥:茶葉を乾燥させるこれらは茶葉だけを使った作り方であり 六大茶分類とは茶葉の発酵時間や方法による茶葉の特徴の違いをまとめたものである ですから茶外之茶などは入っていません。 中国茶六大茶分類同じお茶の葉から、加工の仕方で豊かに変化 中国でお茶の飲用が始まったのは、紀元前 中国は広く、気候も風土も違う大陸ですから、お茶も千産地によって加工の方法が異な
出典:『史記』孔子世家(ウィキソース「史記/卷047」参照) 解釈:文に優れている者は、必ず武にも優れている。転じて、文武は一方に偏(かたよ)ってはならないということ。「文事」は、学問・文芸などに関する事柄。「武備」は、軍備。 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。 定公(ていこう)十(じゅう)年(ねん)春(はる)、斉(せい)と平(たい)らぐ。夏(なつ)、斉(せい)の大(たい)夫(ふ)黎鉏(れいしょ)、景公(けいこう)に言(い)いて曰(いわ)く、魯(ろ)、孔(こう)丘(きゅう)を用(もち)う。其(そ)の勢(いきお)い、斉(せい)を危(あや)うくせん、と。乃(すなわ)ち使(つか)いをして魯(ろ)に好会
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