Record China
新潟県が筆頭株主の第3セクター、新潟国際海運(新潟市中央区)の子会社ナフジェイ・パナマは7日、フェリーの売買契約に関するトラブルをめぐり、韓国企業に約157万ドル(約1億5700万円)を支払うよう日本海運集会所(東京)から5日付で仲裁判断を受けたと発表した。昨年支払い済みの前金62万ドル(当時の為替レートで約7400万円)と合わせ、損失は2億3千万円を超す見込み。同社の支払い能力を超えており、県が対応を迫られる可能性もある。 トラブルは、新潟港とロシアを結ぶ県の日本海横断航路事業で使うフェリー「オハマナ号」が、想定していた性能よりも劣っていたことから起きた。 韓国企業との売買契約は昨年8月に成立。しかし10月に日本に回航した際、本来は18ノット必要な速度が11~12ノットしか出ないことが判明した。ナフジェイ・パナマは船の受け取りを拒否する一方、韓国側は代金の支払いなどを求めて海運関連の紛争
韓国が輸入する旅客船の63.2%が船齢(船の進水後の経過年数)15年以上の老朽船舶であることが明らかになった。セヌリ党の朱永順(チュ・ヨンスン)議員が国土交通部から提出を受けた資料でだ。 日本は船舶法に基づき、船齢15年以上の2000トン以上の旅客船に事実上の“死亡宣告”をする。安全問題のためだ。日本の“引退旅客船”は東南アジアなど船舶後進国に輸出されてきた。しかし最近は輸出国が船舶先進国を自負する韓国に変わった。韓国が2009年に旅客船の船齢制限を20年から30年に緩和したからだ。 当時、国土部は「韓国で使用した旅客船を船齢制限のため東南アジアの国に安値で売るしかない副作用がある」とし、船齢制限を30年に増やした。海運会社の経済的な負担を減らすためという。しかし国内の船舶会社はむしろ15年以上の古い旅客船を安値で購入し、修学旅行路線事業などに参入し始めた。 現在登録されている旅客船のうち
国家情報院、セウォル号実際の所有主か?...セウォル号介入証拠議論 セウォル号家族対策委「国家情報院がセウォル号の増改築・職員休暇と賃金に介入」 国家情報院(国情院)がセウォル号増改築の過程と職員の休暇や賃金にも介入した証拠が出てきて、 国家情報院がセウォル号の実際の所有主ではないかという疑惑が強まり、波乱が起きている。 セウォル号家族対策委は7月25日午後、光州地方裁判所木浦支援で記者会見を行って 「沈没したセウォル号から発見された業務用ノートパソコンを復元した結果、 『国家情報院指摘事項』というハングルファイルの文書が発見された」と明らかにした。 家族対策委は「文書は2013年2月26日に作成され、翌27日に最終修正されたもので、 『船内旅客区域作業予定』という題名で約100件の作業内容と作業者が記載されている」とし 「具体的に、天井の仕切りと塗布作業、自販機設置、分離回収する位置の選
新潟-ザルビノ・ウラジオ航路 船購入めぐり売り主の韓国企業と契約トラブル発生 当初計画暗礁にの続き。 暗礁に乗り上げる方がいい位に思うのですが、これまでウォッチングしてきたことでもあり、思っていた以上に悲惨な事態のようなので、とりあえずわかっていることだけも記しておくことにしました。 今回契約トラブルになっている貨客船「オハマナ号」は、セウォル号と「双子船」と言われていた船で、セウォル号と同様、最初の建造は日本で,韓国企業に買われた後「魔改造」が施されていたという、いわくつきの船なのです。 セウォル号の事故で所有者の清海鎮海海運が倒産後、競売にかけられたものの3度流れ、4度目にようやく査定額(105億1千244万ウォン)の27%で落札されたというシロモノ。落札企業はソドンマリタイムという中古船の売買を仲介している会社のようです。 オハマナ号は、セウォル号とよく似ているということで、セウォル
全羅南道(チョンラナムド)の珍島(チンド)海域で沈没したセウォル号の運営会社である(株)清海鎮(チョンヘジン)海運所属の別の旅客船が最近、漁船と衝突する事故があった。 先月28日午前11時半ごろ、仁川市甕津郡(インチョンシ・オンジングン)の善尾島(ソンミド)沖の海上で、清海鎮海運のデモクラシー号が操業中の漁船と衝突した。デモクラシー号はこの日午前10時45分ごろ、乗員142人を乗せて仁川港を出発し、白リョン島(ペクリョンド)に向かう途中だった。事故でデモクラシー号の右舷の一部が破損したが乗員に被害はなかった。 清海鎮海運側は沈没したセウォル号の乗船人員さえまともに把握できていなかった。清海鎮海運側は、事故直後に乗船人数を477人と発表し、後で462人に訂正した。これに対して清海鎮海運のキム・ヨンブン常務は「檀園(ダンウォン)高校の教員14人と旅行会社の職員1人ら15人を檀園高校の乗客と一般
フェリーあけぼのは、大島運輸(現在のマルエーフェリー)が運航していたフェリー。本項目では、1989年就航の初代を取り扱う。 概要[編集] あけぼの丸の代船として三菱重工業下関造船所で建造され、1989年に就航した。 琉球エキスプレスの就航により、ニューあかつきが改装を受けフェリーあかつきとして阪神航路から鹿児島航路に転配されたため、2003年2月に引退した。 その後、海外売船され、大韓民国の清海鎮海運でオハマナ(OHAMANA)として、元フェリーなみのうえのセウォル(SEWOL)とともに仁川 - 済州航路にしていたが、2014年4月16日に発生したセウォル号沈没事故により運航停止となり、清海鎮海運の事実上の倒産により、競売にかけられた。3回の入札は不調に終わり、2015年1月14日に行われた4回目の入札で落札者が決定した[3]。 その後、新潟県が新潟港とウラジオストク港・ザルビノ港を結ぶ日
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