オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。 一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。 友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。 友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。 その友人は震災というのを大きく受け取
不謹慎になるけれど、震災の話をしようと思う。 私は震災当時、仙台市内に一人暮らしする大学生だった。 震災の実際の規模感って、なかなか伝わらないものだと思うので、そこから話したい。 仙台市は5つの区が組み合わさった、横長な都市だ。(http://www.mapion.co.jp/map/admi04.html) 太平洋沿いの仙台港から、市のほぼ中心にあたる仙台駅まで平野を西に10数キロ。そこから、愛子と呼ばれるかなり山深い地域までの西に10数キロ、この半径10数キロ一円が仙台市だ。 最も海岸沿いの数キロ圏は、それこそテレビで報道されたような悲惨な状態だった。ここについては皆さんもよくご存知だと思う。一方で、仙台駅近郊から西にかけては、地がうねるほどの揺れによってそれなりの数の建造物が倒壊したり、危険な状態になってはいたものの、津波の影響を受けることもなく、比較的静穏な状態だったと言える。 震
通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日本の「ひきこもり 」界隈を取材。東日本大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書) 他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会本部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 「引きこもり」するオトナたち 「会社に行けない」「働けない」――家に引きこもる大人たちが増加し続けている。彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。理由とそ
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