三重苦のヘレン・ケラーが塙保己一を顕彰する社団法人温故学会に来会したのは、昭和12年4月26日のことであった。 定刻の午後4時すこし前、2台の自動車が玄関に横づけされ、トムソン嬢に介添えされたケラーは静かに敷石の上に降り立った。 温故女学院の生徒や関係者一同が歓迎するなか、理事長斎藤茂三郎が先導し、通訳森岡正陽、関西大学教授岩橋武夫夫妻らと共に、版木倉庫から講堂へと進んだ。 講堂に入ると、「塙保己一像」や「塙保己一愛用の机」に触れ、トムソン嬢とケラーの指とがしきりに動いて会話している。満員の参加者は何事も見逃すまいとこの光景を眺めていた。 かくして、心ゆくまで保己一の偉業に接したケラーはトムソン嬢から森岡通訳を経て、次のように感想を述べた。 「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされた育ちました。今日、先生の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なことと