【読売新聞】 雑誌の製作に携わるライターやカメラマンに支払う原稿料などを著しく低く抑えたとして、公正取引委員会が近く、東証プライム上場の出版大手「KADOKAWA」(東京都千代田区)と子会社の下請法違反(買いたたき)を認定し、再発防
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第171回芥川賞 受賞作「サンショウウオの四十九日」 杏と瞬は双子。でも、周りからは一人の人間に見える。部分的に結合している他の結合双生児とは違い、ひとつの体を二人で完全に共有している。そのとき、心は、意識は、生命は、どちらのものになるのか――。杏は/瞬は、二人で暮らし、一人一人で考え続ける。 論文を書いているときに「降ってきた」 それ自体、純文学のような話だった。 「34歳か35歳、胃腸の医学論文を書いているときに、パッと場面が浮かんできたんです。偉いお坊さんが山中で木こりと出会い、あまりにも見事に木を切るので思わず見とれてしまう、というものでした。その場面が頭から離れず、文字にしてみると、どんどん物語が進んでいく。進んでいくから書くしかない。400枚くらいになってピタッと止まった。その前後にまた別の物語が浮かんできて、書き出す。それを繰り返すうちに、とうとう目の前に死にそうな患者さんが
ライターという職業の景気はずっと下がり調子だったが、去年と今年でがくんとさらに落ちて、もう職業として維持できるものじゃなくなった気がする。 雑誌も週刊誌もどんどん休刊していて、単純に「食える案件」がほとんどない。 わずかに残ったそれは大御所が必死に死守していて、中堅や若手には手が出せない状態になっている。 出版不況と言うけれど、雑誌のレギュラーライターになればまぁ食えるという状態はまだ維持されていた。 雑誌の案件は手離れが早く、そのうえ安定的な収益が見込めたのでまだ魅力的だった。 だから、多くのライターは書籍の仕事を減らして、雑誌に力を入れるというのをやっていた。 だが、この10年で雑誌が壊滅的になくなっていき、そのポストはどんどん減っていっている。 まともにライターを食わせられている雑誌は、もう両手で数えるほどしかないんじゃないか。 雑誌のレギュラーライターというポストはもう100人も残
業界話をするのはあまり好きではないんだけど、ずっと抱えていたモヤモヤが一つの言葉によって解消されることがたまにある。今回もそうだ。その言葉とは、「ライターの“読モ”化」である。 「ライター」を名乗り、それを生業にしている筆者は、ライターを取り巻く現状について考えることが多い。といっても、現在では「ライター」の定義自体が揺らいでいて、同業者と話していても共通認識が得られず、議論が空転することもしばしばだ。しかしそこに、ネットやSNSの出現によって、ライターの仕事が「読モ」みたいなものに近づいているのだと補助線を引くと、現状がクリアになる気する。なにを言っているのかわからないかもしれないので、順を追って説明させてもらいたい。 まず、「読モ」としてのライターには、なによりもタレント性が求められる。顔出しはもちろんのこと、プライベートな情報も重要な「商品」になる。 さらに、「読モ」としてのライター
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