陸軍登戸研究所では、戦時中、紙を使った2種類の兵器の開発を行っていました。一つは和紙を使った風船爆弾(ふ号兵器)、もう一つは偽札です。 風船爆弾(爆弾・焼夷弾を吊るした直径10mの水素気球)は、1944年11月以降、約9300発が放たれ、1000発以上が目標の北米大陸に到達したとされています。この気球本体は、和紙をコンニャク糊で貼り合せたもので、全国の和紙産地と女子労働力を大動員して生産されました。本年は風船爆弾放球70年を迎えることに加え,風船爆弾用気球紙開発協力を要請された埼玉県小川町で作られている「細川紙」がユネスコの無形文化遺産登録の見通しとなり,注目が高まっています。 また、中国経済の攪乱を目的に1939年に参謀本部によって命じられた中国蒋介石政権の紙幣(法幣)の偽造には、当時の最高水準の紙漉き・透かし・印刷技術が用いられました。1942年以降、大量生産された偽造紙幣は当時の額面