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茂木健一郎に関するmasato611のブックマーク (14)

  • リヴァイアサンに斬鉄剣 | quipped

    NO科学者の茂木健一郎さんが、日教育システム、特にペーパーテスト偏重の入試のシステムを批判している記事を読んだ。有名人の嘯くデタラメなど黙ってやり過ごすべきなんだろうが、いくつか僕の心に近いところで支離滅裂なことを言われて腹が立ったので、なるだけ冷静に説明したい。 ちなみにこのエッセーのタイトルだが、彼が引き合いに出しているリヴァイアサンが、Thomas Hobbesのものだとは考えられないので(だって説明が無茶苦茶なんだもん)、多分ファイナルファンタジーの召喚獣の方だと空気を読んだからだ。グングニルで刺してもいいけれど。 まず、茂木さんは、まつもとゆきひろさんに謝るべきだと思う。ご人も仰っているように、まつもとさんは、入学試験を受け、一定の点数を取り、筑波大学情報学群へと進学されたはずだ。それがモギイズムにかかると、こう曲解される。 ここで茂木氏は、オブジェクト指向スクリプト言語「

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    masato611 2012/10/15
    理由は簡単で、生きていくうえで、高いコミュニケーション能力は、何にも勝る武器であり、幅広い知識と考え方を身につけることで、より多くの人たちとコミュニケーションが取れるようになるからだ。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 星くずのごとく地上にばらまかれた

    思うに、人間は「普遍」のみでは 満足することができないのではないか。 そのような一般的志向性の 一つの表れが、たとえば 「ナショナリズム」という「特殊」 への拘泥に現象的に結実している。 満天の空の星を見れば、地上の些事 にかかわずらっていることは いかにも「小さな」 ことではあるが、 しかし、その「小さな」ことが、 私たちの胸を打ち震えさせるのだ。 この世はまさに多様で、 地上にはめくるめくさまざまな 「主観性」がある。 池の上を飛ぶトンボにも、 自らの生命をそのか細い身体に 託して微睡み、迷っている、 固有の主観性があると考えざるを 得ぬ。 蟻にも、ミミズにも、 アメンボにも、カエルにも、 それぞれの自律的能動性を支える 限りにおいての主観性が 宿っている。 俯瞰的に見れば、 この「私」の主観性もまた、 星くずのごとく地上にばらまかれた 数多のものたちの一つに 過ぎないのだ。 亀山郁夫

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    masato611 2007/09/25
    合理主義、理性の上に打ち立てられた社会主義は、人間の本性と相容れない。「二二が四は死のはじまり」である
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 自由意志というもの

    朝起きて、仕事をしていて、 家を出る頃になると、 どうにも身体がだるく、喉が ひりひりして、 今日は休んだら楽だな と思った。 休むといっても、うとうと するかもしれないが、仕事はするのである。 しかし、 葛藤はあったが、どう考えても、 休んでしまうと影響が大きすぎる。 先方に御迷惑をかけるし、 後々のスケジューリングが 苦しくなる。 まあ、仕方がないか、 とだるい身体を引きずった。 駅のホームで、どうもヘンだぞ と思った。 ある意味では、調子が悪くて 身体が悲鳴を上げている時の 方が、生きている実感が ありそうだ。 それで思いだした。 何日か前、 地下鉄に 乗っている時、 突如として、 そうだ、何かを考えたり、 感じたりするのではなく、 この時間の流れ、 瞬間瞬間決してとどまる ことなく、一度過ぎ去れば 二度と戻ってこない、 この時間の流れにこそ 注意を向けてみよう。 そう思って、 ガラ

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    masato611 2007/09/22
    私たちは、事態の精密を本当の意味ではつかむことなく、ただ薄ぼんやりと生きることの印象批評をしているだけなのではないかしら。人間は、自分の未来を選ぶことができるのだろうか。
  • [書評]フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎): 極東ブログ

    読みやすかったが、キーワードにひっかかりを持ってしまったせいで私には難しいでもあった。対談なので、当初は、前著「ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる(梅田望夫)」(参照)の解説的な話の展開か、あるいは同じく対談「ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)のように、対談者のホームグランドを生かすような展開――今回は脳科学――となるか、という二つの予断をもっていた。そのどちらとも言えないように思えた。 もちろん対談という特性はよく活かされている。両者が互いに相手を理解しつつ配慮しているようすも伺えるし、もともと共通の理解が成立しそうな対話者同士でもあるから、対話の流れがつかえることもなく表面的には読みやすい。個々の挿話も納得しやすい。書名になったフューチャリスト、つまり、マリネッティのそれではなく、インターネットの未来を肯定する人、という点からこの対談を要約するのもそう難しくな

  • シリコンバレーからの手紙 - 科学者に衝撃を与えた「ロマンティックでない」グーグル

    私の場合、九時間以上の国際線フライトに年に二十回くらい乗る。その機内での時間の使い方に、最近、私なりの小さなブレークスルーが生まれた。ふとしたことがきっかけで発見したのだが、機内は、講演を聞くのにじつに適した場所なのである。座席はあたかも講演会場のように窮屈だし、適度に暗い。途中で離席する自由がないからこそ逆にゆっくり話が聞ける。集中しても読書映画鑑賞と違い目が疲れない。気がつくと一時間半とか二時間が経過し、退屈な機内の残り時間がどんどん減っていくのは快感でもある。 この発見以来、「小林秀雄講演」全六巻、「司馬遼太郎が語る」全八集、「三島由紀夫 学生との対話」(いずれも新潮社)を買って「iPod」に収め、ここ数回の日米往復ですべて聞いてしまった。日出張を控え、さて次は何を聞こうかと思い、脳科学者・茂木健一郎がそのブログ「クオリア日記」に講演や対談の音声ファイルをこまめにアップしている

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    masato611 2007/04/21
    グーグルの達成は、科学者が「知性の研究」に対してどういう態度を取るべきかについてシリアスな問題提起をしている
  • 茂木健一郎 クオリア日記: あすへの話題 モーツァルト問題

    あすへの話題 モーツァルト問題 脳科学者 茂木健一郎 モーツァルトと言えば、数々の名作を残した天才作曲家である。その音楽は天上の美しさを秘めているが、作曲した当人は、冗談好きの、至って落ち着かない人間だったようである。 「何故こんな下品な男があれほど美しい音楽を書けるのか」と、同時代の人がショックを受け、それが証言として残っている。映画『アマデウス』でも、作曲家サリエリがモーツァルトの人物と作品の差に思い悩む様子が描かれた。 天才的な人物は、往々にして作品と人の間にギャップがある。これを、「モーツァルト問題」と呼ぼう。脳が新しいものを生み出す仕組みの秘密が、そのギャップの中にありそうである。 人物と作品の乖離は、モーツァルトに限ったことではない。静謐な作品を書く作家が、実際に会うと豪快な人物なのでびっくりしたことがある。かえってそのくらいの方が信用できることが多いようだ。 なぜ、人物と作

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    masato611 2007/01/27
    天才的な人物は、往々にして作品と本人の間にギャップがある。これを、「モーツァルト問題」と呼ぼう。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 思い切りgeekで、space cadetでいいんだけど

    時が経つにつれて考えることは いろいろ変わっていくけれども、 今、「人生の目的は何ですか?」 と聞かれたら、 「学習すること」 と答えるかもしれない。 open-endedな人間の認知過程には 終わりがない。 「気付き」のメタ認知を通して、 人間はどんどん変わっていく。 学習という視点から見ると、どんな経験も 楽しめる。 一生、完成型などない。 創造的と言われる活動分野においても、 99%は学習である。 残りの1%に独自性のインスピレーションが 宿る。 BBCのサイトで、A brief history of infinityという podcastを見つけた。 オーストラリアの物理学者Paul Daviesなどが 無限について語っている。 イギリスのこの手の番組の質は高い。 聞いていて齟齬がなく、気持ちが良い。 Part Iで、「宇宙はビッグ・バンによって 始まりました」 と言った後、 ぶっ

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    masato611 2007/01/27
    幸せの条件がいかに複雑なものかということを、文学者は良く知っている。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 思い切った小乗的世界観で

    わが青春。 紅顔の高校生だった頃。 生きているとはどういうことか、 努力して、何かを達成したからといって、 死んでしまえば意味がないじゃないか。 人並みに、そんなことを考えていた。 それで、ニーチェにはまった。 『悲劇の誕生』の中の、「世界は美的過程として のみ是認される」という言葉が あの頃のわがモットーとなった。 『ツァラトゥストラ』の 中にある「舞踏」(tanzen「タンツェン」)という 概念をわが守護神とした。 問うな。ただ踊れ。 自分のうちなるリズムを宇宙に向かって 開いていけ。 そのような生命哲学が 高校の時の私の気分にぴったりきた。 大学生の頃、「モーツァルト・モード」 というのを発明した。 ある晴れ上がったような気分を表す。 平明さの中に、迅速に全てがなされていく。 様々なことが生起していく。 一種のフロー状態。 思えば、あれは個人思想系列的に言えば、 ニーチェの「タンツェ

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    masato611 2007/01/27
    モーツァルトは、全ての曲を、自分に聴かせるために書いていたのだと断言できる。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 知り得ない知り得ないもの

    オレのやるのは白魔術(white magic) だという確信がますます強まりつつある 朝。 世の中には、なにかいやなグルーヴが 漂っているが、 そんなものにまともに付き合っていると 自分自身が黒魔術に巻き込まれてしまう。 藤原定家がその日記「明月記」に記した 世上の乱逆・追討、耳に満つといえどもこれを注せず。 紅旗征戎わが事にあらず。 の矜恃。 「紅旗征戎わが事にあらず」 というのは軟弱なのではなくて、むしろ よほどの決意がなければ書けない言葉だ。 五反田の研究所のすぐ近くで ロレアル主催のシンポジウム。 色覚の研究で大きな成果を挙げた ロンドン大学のセミール・ゼキ教授を 中心に、 生理学研究所の小松英彦さん、定藤規弘さん の二人の色覚の大家、 それにオーガナイズをされてきた 永山国昭さんと小林康夫さんが 集って、 とても面白い会になった。 会場には、佐藤雅彦さん、 港千尋さんのお二人の姿

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    masato611 2007/01/27
    カントは、unknown unknownについて思考し、 「知り得ない知り得ないもの」の端的な例として「神」の存在を措定し、それを信じる、という決断をした。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 歴史を忘れる者は

    羽生善治さんと対談する。 途中、柳川透が来た。 アメリカ行きの飛行機のチケットを 研究所に取りに立ち寄る時間がなくなって しまったので、 柳川に持ってきてもらったのである。 羽生さんの話が聞けるという「ボーナス」 付きである。 記憶の話が中心になった。 「羽生さんは、やはり谷川さんが最大のライバル という感じですか?」 「そうですね、何となく感性が合うというか、 他の人との間では起こらないようなことが 起こる、という感覚はあります」 「今までに、どれくらい指しているんですか?」 「そうですねえ、160局くらいでしょうか?」 「どんな感じで対局されているんですか?」 「今までにあったパターンは、二度と起こらないように 気をつけて打っているんだと思います」 「谷川さんと指した対局は、全て覚えて いるんですか?」 「それは、当然です。それで、前と同じパターン でやっているのでは、谷川さんと指して

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    masato611 2007/01/27
    Those who forget history are doomed to repeat it.
  • 茂木健一郎 クオリア日記: インテリジェンス

    インターネットが出現した 後の世界で最も大切なものの一つは、 「偶有性」である。 半ば予想できるが、半ば偶然で 予期できないもの。 「大数の法則」で押さえ込まれる べきノイズではなく、 むしろ創造的に人生を 送るために不可欠の糧として利用すること。 明治神宮の森を抜けて早足で 歩いた。 雨上がりの空から降ってくる 太陽が、木々の切れ目から地に落ちて、 神々しい回廊をつくっている。 光の粒を浴びながら思う。 「私」そのものが偶有的な存在である。 偶有的な存在でなければならない。 そうでなければ、この世をいきいきと 生きることはできない。 居宣長や小林秀雄の言う 「もののあはれ」は、つまりは 内なる偶有性に自分を託すという ことでろう。 もちろん、その過程では、 精神の激動があり、 感情の荒波があり、 浮き沈みがある。 そのような内なる偶有性の海に うまく航海して行くことができるということが

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    masato611 2007/01/27
    人間には一種の認知的な免疫系があって、異質なものを拒絶したり、排除したりすることによって自分を保とうとする。認識の中で偶有性を帯び、柔軟かつダイナミックに存在し続けること
  • アイ・ワーク - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記

    『プロフェッショナル』の仕事を通して 学んだことは沢山ある。 そのうちのある部分は、自分自身の身体を どのように動かすかということに かかわることであって、 テレビの現場で必要とされる様々な テクニックが、突きつめればいかに 「超絶技巧」に属するものであるか ということを学んでいく過程であった。 私はもともと即興で話すのは得意である。 いきなりどこかに連れていかれ、 演台に立たされて、 「これからこのテーマで 一時間喋ってください」と 言われても、問題なく話すことが できると思う。 英語で言う「sound bite」 (短い時間で端的に何かを言うこと)も まあ得意である。 10秒ならそれなりに、 1分だったらその範囲内で、 なんとかまとめることができると思う。 ところが、自分が喋っている時にどこを 注視しているかということは、 何しろ話の内容に関係のないことであるし、 どちらかと言えば無意

    アイ・ワーク - 茂木健一郎 プロフェッショナル日記
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    masato611 2007/01/27
    自分の目が、どこをどれくらい見るか。Jonny Deppの強さは、彼のeye-workとspeechにある
  • 茂木健一郎 クオリア日記: お前だけはオレの話がわかっていると思っていたのに!

    昨日の話の補足だけれども、 ぼくは、これからの時代に、「ハイ・テーブル」 のような知の集積を実現し、その中で 生きる上で、 どこかの組織に所属したり、 何らかの肩書きを持っていなければならない とは思わない。 ボクが学部学生だった頃は、 物理学の専門的論文を読もうと思ったら、 物理学科の図書館に行かなければならなかった。 今では、超ひも理論でも、重力理論でも、 最先端の論文が、インターネット上に (多くの場合タダで)掲載されている。 大学に入試があるのは、キャンパスや 指導教官などの資源が物理的に制約されて いるからであろう。 そのような制約のないインターネット上の 勉学の場に、「入試」などない。 来、知は、大学などの組織が 独占しているべきものではない。 グーグルのやっていることの背後には、 かなり一貫した、深い思想が感じられる。 知は、万人に知られることを 求める。 先日の梅田望夫さ

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    masato611 2007/01/27
    知は万人に知られることを求める。英語で「無料」と「自由」は同じfreeだ。学術論文のOpen Access化を熱心に進める。学問の本質は自由だ。あぐらをかいていると大学は 「もったいぶるのが仕事の人たち」となりかねない
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 今は明治。

    はてな」で梅田望夫さんと お目にかかる。 表札に「?」と描いてあり、 それだけ。 そのあたりから予感がしていたが、 中に入るとおもちゃ箱がひっくりかえった 大学院生部屋のようだった。 「これは何ですか?」 「お菓子の棚です。」 「これは何ですか?」 「サーバーですよ。」 「えええ! これがですか。」 素っ頓狂な声を上げてしまった。 ごろんと床の上に置かれている。 「こう見えててもなかなか スルドイ技術的な工夫がしてあって ですねえ。この冷却のためのファンが 回転すると、空気が下から上にちゃんと 流れるようになっているのです。」 普通の「オフィス」の感覚から すると、色が溢れていて、関係の ないものがあふれている。 「ふふふ、最近、畳のスペースを 導入したので、仮眠しやすくなったのですよ」 あれれ。 空間が、遊び心のつぶつぶに満たされている。 最初はとっても 驚いたが、「はてなはやっぱりそ

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