北海道大学の国際集会で感じたことがある。いま、応用倫理関連の共通語は英語である。だから私もずっと英語の勉強は続けている。また英語が共通語になっているおかげで、学会に来ていた欧州や台湾やアフリカの人たちともコミュニケーションできるというのはすばらしいことである。 が、同時に、英語帝国主義の問題はやはり避けては通れないという思いも強い。まず、英語が会議の言語なので、まず米国らの英語ネイティブの人たちの話す英語があまりにもスピードが速く、非ネイティブには着いていくのがやっとである。その結果、どういうことになるかというと、議論の基本的な方向性が米国人を中心とする英語ネイティブの人々によって決定されてしまうのである。また、彼らの英語が分からないときに、彼らがそれを言い直すということは、こちらがあえて尋ねないかぎり起きない。そして私の経験上、米国から来ている学者の多くは、自分の英語にまわりが合わせて当