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読み物に関するm_insolenceのブックマーク (61)

  • 【特集】:プロレス・レジェンド再探訪:ライフ:読売新聞

    病気の鶴田さんが「プロレスしたいよ」…渕正信<5>(2016年01月29日) <ジャイアント馬場と同様、プロレスラー渕正信を語る際に欠かせないジャンボ鶴田が亡くなったのは、平成12年(2000年)5月13日、馬場が亡くなってから1年4か月後のことだった> [全文へ] 猪木さんが馬場さんに漏らした一言…渕正信<4>(2016年01月28日) 馬場さんのチョップが胸にばち~ん…渕正信<3>(2016年01月27日) 大仁田と朝まで語り合った夜…渕正信<2>(2016年01月26日) 鶴田さんといきなりスパーリング…渕正信<1>(2016年01月25日) 猪木VSアリ戦<5>…「どう見ても猪木さんの勝ちだよ」(2015年07月31日) 猪木VSアリ戦<4>…“キラー猪木”がひじ打ちと急所蹴り(2015年07月30日) 猪木VSアリ戦<3>…試合前の猪木さんのひきつった笑顔(2015年07月29日

    【特集】:プロレス・レジェンド再探訪:ライフ:読売新聞
  • 副業で風俗レポを連載していたのだが、

    諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。 🌑 お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ! 某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。 中国式マッサージ 60分¥6000 インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。 部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一

    副業で風俗レポを連載していたのだが、
    m_insolence
    m_insolence 2017/10/24
    3月15日には中国政府の用意したバスが何台も来て、全員強制退去だったのよね。
  • 関内と関外と〜横浜の「境界」を歩く〜 - SUUMOタウン

    著: 黄金頭 関内かと思ったら関外だった。おれにはそれが面白くてたまらなかった。だからおれは自分のブログの名前を「関内関外日記」とした。「かんないかんがいにっき」と読む。おれの名前は黄金頭。ゴールドヘッドと読もうがどうしようがそれはあなたの勝手だ。ゴールドヘッドはすばらしいサラブレッドだった。 話は源義経が腰越状を書いたころにさかのぼる。おれの勤めている会社が、藤沢から横浜に移転することになったのだ。横浜横浜はすばらしい。すばらしい横浜。日に誇る大都会。古より人々が見上げてきた横浜ランドマークタワー。ナウなヤングでひしめくイセザキ・モールにはメリーさん。今日もスーパーカートリオが横浜スタジアムを駆け回る……先発は欠端光則。 その行政的な中心地である関内。藤沢は藤沢でダイヤモンドビルやフジサワ名店ビルなどがあるすばらしい街ではあるが、関内というのはさらにすばらしいに違いない。おれはそう思

    関内と関外と〜横浜の「境界」を歩く〜 - SUUMOタウン
  • 【電遊奇譚:其十三】ロンドンのルイージマンション

    私の母は私がゲームをプレイしているときに死んだ。部屋でコンピュータに向かっているとき、階下がやけにざわついているものだから、様子を見に降りた。すると私の母は、私たち家族が20年間事をともにした台所机のそばに石のように転がっており、そのまわりに数名の水色の服を着た男たちがいて、さかんに彼女の身体に「蘇生」を行っていた。そのうち担架が搬入され、彼女の身体が運ばれていった。しばらくして電話が掛かってきた。救急車に同乗した父だった。「お母さんは死んだ」と彼は言った。「そうか」と私は答えた。それから私はいったん家の外に出て、なぜか大学に電話をかけた。「しばらくのあいだ顔を出せないと思います」私は最も懇意にしていた事務員の女性にそう告げた。 どうして、と彼女は言った。 「母が死にました」と私は答えた。 どうして、と彼女は言った。 「頸を吊ったんです」と私は答えた。 彼女は言った。「いまは自分のことだ

    【電遊奇譚:其十三】ロンドンのルイージマンション
  • 20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ

    1996年の夏、わたしは6歳で、小学1年生だった。 宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家や近所の公園や児童館にゲームボーイ片手に集まって、ポケモンのレベル上げにいそしんだり、近所の年上のお兄ちゃんにどうしてもここから先にいけないんだよ~って泣きついたり、同じジムリーダーに何回も挑戦したりしてた。チューペットをくわえて濡れた手でAボタンを押す、通路なんだからここで集まらないどきなさい、って怒られる。 ……まさか20年経って同じことをしていると思わなかった。思わなかったよ。 2016年7月22日、ポケモンGOが存在する世界がはじまった。 22日は朝から歌舞伎座で「七月大歌舞伎」を観ていて(市川海老蔵さん、当に当に格好よかった)午前中からリリースの喧騒は横目に見ていたけど、歌舞伎座の場内は集まる皆様の年齢層もあって至って静かだった。誰もポケモンゲットしようとしてなかった。今思えば

    20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ
  • オッケー、キリスト。ところで、あたしの誕生日の話も聞いとく? - 私の時代は終わった。

    ハッピーバースデイ、キリスト。 キリストってあれだね、誕生日がクリスマスなんだね。 誕生会がうやむやになるアレね。 あ、違うの? キリストが生まれたから、クリスマスになったの?まじで? 生まれて35年。 ほんとキリストじゃなくて良かったと思う。 自分の誕生日がクリスマスになるとか、もうね。 プレッシャーすごい。 一応ね、私もちょっとした10月が誕生日だったわけなんですけど。 もー繰り越したい。 携帯料金のように、使ってない誕生日は繰り越したい。 なんだかんだで35回目なわけですよ。 正直ね、予定がない。そうそう35回も、予定入れらんない。 家庭もなければ、彼氏もいない。 待ち人なんてね、来たためしないわけです。 いやね、諦めてない。 来るの、きっと来る。 あの貞子だって、なんだかんだで、もう5回くらい来てるわけですから、 35年待ちに待った白馬の王子だってね、もうそこのタバコ屋の角まで来て

    オッケー、キリスト。ところで、あたしの誕生日の話も聞いとく? - 私の時代は終わった。
  • 京大・吉田寮で寝ていたら右翼に襲撃された思い出 : 人類応援ブログ

    ではほぼ駆逐された「自治寮」という形態を未だ保ち続ける学生寮界のシーラカンスであり、寮生以外の京大生からは「あそこはヤバイ」「東南アジアのスラムっぽい雰囲気」などとボロクソに言われている場所です。 最近では公安警察を逆に捕まえるなどの業績(?)を残した学生の出身寮などとも言われている吉田寮ですが、実は僕、かなりの期間あそこで生活していたことがあります。

    京大・吉田寮で寝ていたら右翼に襲撃された思い出 : 人類応援ブログ
  • 闇 Advent Calender 11日目

    はじめに -------- いまから書かれることは、フィクションです。 0. 負 ----- 中学時代のことを話そうか。一応、中学時代に関しては、俺が余りにも気持ち悪がられていて、女子が逃げるということがあったことがあった。クラスの中で気持ち悪い人間ベスト二人に入っていた。そのころ、何も考えていない馬鹿な中学生だから、女子が逃げることが楽しくておいかけていたら、女子が泣き出してその女子の彼氏が睨みつけられたことがあった。 いまでも後悔していることの一つに、中学時代にパソコン部に所属したことがある。当時、MSXというのを所持しており、そのプログラミングを書いていた自分は、パソコン部にいけば、もっと面白いプログラムを書けると思っていた。しかし、そのパソコン部はまあクソみたいな規則があって、一年のうちは「一太郎(Wordだと思ってくれればいい)」しか触らせてくれなかった。俺はプログラムが書きたか

  • わいせつ野菜の村 - 関内関外日記

    父とわいせつ野菜 ぼくの村はわいせつ野菜の村として知られている。知られているといって、周囲の村々にちょっと知られているくらいのことだけど。ともかく、昔から根菜をわいせつな形に育ててはそれを持ち寄り、お祭りにしたりする、そんな村なんだ。いつしかそれが普通の畑仕事になっていって、わいせつ野菜の好事家なんかが、わりといいお金で野菜を買い求めるようになった。みんな、わいせつ野菜を作るのに熱心になったんだ。ひどく変な村かもしれないと、思わないこともないのだけれど。 そんな変わった村の中で、父は生真面目すぎる性格だったんだと今にしてみれば思う。ある日、わいせつ石膏の行商人を家に泊めたことをきっかけに、「これだ!」って思ったらしいんだ。つまりは、わいせつ石膏を型にして野菜を育てれば、安定してわいせつな野菜を作れるって発想だ。なにせそれまでは、土の中に木や石をいれてみたり、苗木にまじないの札を貼ったりと、

    わいせつ野菜の村 - 関内関外日記
  • 風よ!炎よ!雷よ!我が剣となって、この悲しみの大地に処女を貫け!ゴゴゴゴゴゴッ! (33歳) - 私の時代は終わった。

    いやー、生贄とかの制度が無い時代で良かったわー。 いやー、ドラキュラとかいない国で良かったわ―。 超、安泰。 向かうとこ敵なし。 処女のまま、無事33年。 まったく何からも狙われることなく、今日、33歳になりました。 33年の集大成っていうのかなあ。 この1年。例年にまして驚くほど何もなかった。 もう今シーズンの危なげの無さつったら、私の下半身あたりでもマー君が投げてんじゃないかってくらい。 実は私は生まれながらの巫女なんじゃない? そしてこのアパートはもう神社と言っても過言じゃないんじゃない? 下半身に、軽く何か祀られてんじゃない? そう思って33年。長丁場すぎる。 もはやバージンっていうか「バー人」って人種になってる。 ユニコーンなんかでいえば、もう見えるとかじゃない。馬主ですよ。 JRAでユニコーン(三歳馬)に武豊のせてる頃ですよ。 職場の後輩がさー、6年付き合った人と別れ、運命の人

    風よ!炎よ!雷よ!我が剣となって、この悲しみの大地に処女を貫け!ゴゴゴゴゴゴッ! (33歳) - 私の時代は終わった。
    m_insolence
    m_insolence 2013/10/10
    診察台のガンダムっぽさww 確かにあのまま下半身裸でタイムショックがはじまってもおかしくない感ある
  • 消えた女の子 - wHite_caKe

    私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自

    消えた女の子 - wHite_caKe
    m_insolence
    m_insolence 2013/07/29
    同窓会なんかで記憶合わせすると、人間の記憶って都合良く出来ているもんだなあと実感する。
  • ソーセージ部長のリストラ

    息子の偏がすごい。 もともと警戒心が強くて、新しいべ物はちょっとずつ口に入れ、べろーんと出すのを繰り返し、それを数分繰り返して、納得がいくと「べ物」と認定する。息子による超難関試験をクリアした者だけが、晴れてべ物株式会社の社員となり、息子のおなかに入ることを許されるのだ。 それが2歳前くらいまで。そうやって、だんだんと社員は増えていったのですが、もうちょっと進むと、いわゆる「こだわり」が出てくる。 あれ? みたいな。あれ? これ、何かちがくね? みたいな。 で、今、どんどん削られている。 あああ……。せっかく増えてきた社員が次々にリストラされていく……。 いやたしかに、切られても仕方ないべ物もあるんですよ。 息子、ちょっと前まで、トマトスープをがつがつべてたんです。野菜ゴロッゴロ入ったやつ。 べるから作るけども、正直何でべてんのか不明で。いつ気づくかなーと思ってた。 べな

    m_insolence
    m_insolence 2013/06/27
    俺パン文体すき。
  • ブログ炸裂 : 記号ちゃん殴られる

    2013年06月06日14:04 カテゴリ直泰の 記号ちゃん殴られる 雨の中、車で街灯もない狭い夜道を移動している最中、傍らにソロで無警戒に歩いている制服の女の子を見つければチャンス! と思ってしまうのは当然のことだ。 早速ワンルームにさらってきてイスに座らせ後ろ手に拘束し、胴に縄を回して椅子に縛りつけた。 雑だがあの路上でスタンガンで気絶させたあとその無敵時間を利用してここまでがんばったのだ。知識は無いし調べながらだらだらやってるうち目を覚まされたら面倒だったので、まあこうすればとりあえず暴れられはしないだろうと考えて乱暴にやってやった。 あと他に彼女が眠ってる間にやっておくべきことは何かな、とぼーっと考えてる最中おもむろにその目が開いて、彼女はいかにも状況を理解できてないって感じでそれをしばたたかせた。 身じろぎに失敗して自分の体がどうなってるかに気づいたらしく短い疑問符をしきりに口か

  • 「この、えらく長いの、どうしますか?」 - 関内関外日記

    2013年のゴールデンウィークの終わりの日のことだった。昼過ぎに起きたおれは、床屋に行くことにした。無為に過ごすのは惜しいような気がする一方で、なにかをするには遅すぎる、そんな日のことだった。 床屋はそんな連中で混んでいた。おれの前に3人のおっさんがいた。おれのあとに3人のおっさんが入ってきた。洗髪、顔剃りつきで1900円、4人ほどの理髪師のおっさんが回している、そんな床屋だ。 床屋のテレビでは『徹子の部屋』が流れていた。元・高見山が弟子の元・高見盛の、自分の頬をはたくパフォーマンスについて、脳に悪影響がないか医者に相談に行ったとか、そんな話をしていた。そりゃあ気合を入れるためとはいえ、力士の張り手といえば張り手には違いあるまい。 おれはといえば、そんな話を耳に入れながら、携帯端末で将棋アプリと対戦していた。100段階あるレベルの84番目にあっという間に馬を作られ序盤から押し潰されたおれは

    「この、えらく長いの、どうしますか?」 - 関内関外日記
  • 冬の雨 |アパートメント

    はじめておつきあいした人の名前は富永くんという。 私の生まれ育った場所は福島県郡山市というところだ。 誰が言い出したかわからないけれど、東北のシカゴとも東北のウィーンとも呼ばれていたその街は活気のある街だった。 私はそこに「そぐわなかった」。 可愛げのない子供だったと思う。 幼稚園でも小学校でも教室の片隅でばかり読んでいた。 友達は少なかった。頭でっかちな子供で世を斜めに見ていた。 自分なりの正義と美意識があってそこから外れるものたちが許せなかった。 例えば。2時間目の少し長い休み時間、全校生徒で校庭をぐるぐると走る。 何周走ったかを壁に貼られた表にシールで印をつけていく。 大嫌いだった。 何度もサボタージュしてこっそり屋上の手前の階段の踊り場でを読んでいた。 それが大嫌いだったのには理由があって。 ひとつは水槽の中の鰯みたいにぐるぐると狭い校庭を走るというのがバカみたいで美しくないよ

    冬の雨 |アパートメント
  • 第1回:ノー・フューチャーとヒューマニティー | ele-king

    すんなり行くわけがないな。とは思っていたのである。 わが町ブライトンにやって来るPiLのチケットを入手した時点でその予感はあった。 案の定、勤務先の保育園が、PiLのギグ当日に保護者面談を設定しやがる。「いや、その日はダメです」と嘘八百を並べて日程をずらしてもらうが、どうしても当該日しか都合のつかない保護者がいるという。保護者面談は、営業時間終了後の午後6時からはじまる。そんならもう、早い時間に来てもらって、最悪の場合は、わたしはテディベアとこぶたさんの絵のついた制服のTシャツを着たままギグ会場に走るしかない。 と決意したのは、その都合のつかない保護者というのが、家庭環境が複雑で問題行動が著しいJの親だからで、そうした子供たちと働いた経験のあるわたしが全面的にJを担当しているため、同僚に代わってもらうことが無理だからである。 んなわけで、大きな不安を抱えたまま当日を迎えたわたしは、5時55

    第1回:ノー・フューチャーとヒューマニティー | ele-king
  • "Hello world!"

    このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。 10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。 それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。 ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕

    "Hello world!"
  • 義兄の家族からの要求 | 家族・友人・人間関係 | 発言小町

    初めて相談させていただきます。 30代中盤の都内在住の女性です。 私には、3歳年上の姉がおり、 10年前に高校時代からお付き合いがあった同級生の男性と結婚しました。 ところが、姉は昨年乳癌が発覚し、発見が遅かったこともあって今年の4月に帰らぬ人となってしまいました。姉が亡くなるまでの間、義兄は当に献身的な看病してくれ、私も両親も当に感謝しています。 両親も葬儀の際に、義兄に「幸せな結婚生活だったと思う。これからは自分の人生を大事に生きて」と言っていました。49日の折に、義兄から、相続に関する話があり、来であれば私や両親にも相続の権利が発生するが、姉の名義の預金はできれば相続放棄をしてほしいとの話がありました (姉の名義の預金は、姉の生前の希望通り、姉の勤務先に、姉の名前で蔵書を寄附したいということでした)。 もちろん、私も両親も相続放棄に同意しました。 義兄は、その代わりに、と結婚

    義兄の家族からの要求 | 家族・友人・人間関係 | 発言小町
  • カオスちゃんねる : 世にも奇妙な物語っぽいタイトルを書くと誰かが粗筋を書いてくれる

    2021年07月25日22:30 世にも奇妙な物語っぽいタイトルを書くと誰かが粗筋を書いてくれる 過去のおすすめ記事の再掲です 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/05/16(月) 23:24:07.45 ID:vLqk+q/E0 こども集会 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/05/16(月) 23:32:26.09 ID:Jf4yzlPf0 >>1 同窓会のお誘いのはがきが来るんだけど、集合場所が昔の教室になってて 興味位で行ってみると、当時のクラスメートたちがみんな子どものまま集まってくる で、むしろ大人になってる自分が気味悪がられて、そのまま担任が入ってきて通報 身元不明の不法侵入者として逮捕 パトカーに乗る瞬間、子供のころの自分の顔が生徒の中に混じっているのを見つける 2 名前:以下、名無し

  • 結婚に向けて見苦しくなってきた彼女 | 恋愛・結婚 | 発言小町

    私は38歳、彼女は36歳です。縁があって来年結婚することになりました。私も彼女ももういい年で、若い頃の様な燃え上がる情熱はありませんが、お互いを尊重しつつ相応の付き合いを続けております。 ところが、具体的に結婚に向けた話しを進めているうちに、だんだん彼女の様子がおかしくなってきました。結納はこう、婚約指輪はこう、新婚旅行はこう、新居はこう、家具はこう、といった具合に、彼女の中にはかなり具体的なイメージが固まっている様なのですが、いずれも随分派手で大げさな内容であり、かなり違和感があります。ただこれらは私たち二人或いはせいぜい家族の範囲内の話なので、気の済む様にさせてあげるつもりですが、極め付きは彼女が夢想する派手派手な結婚式です。 我々は四捨五入すると40だし、当は、それなりのレストランでごく親しい親族・友人を招いて手作り感のある式・披露宴をしたかったのですが、それは諦めざるを得ませんで

    結婚に向けて見苦しくなってきた彼女 | 恋愛・結婚 | 発言小町
    m_insolence
    m_insolence 2010/12/28
    読ませる文章。