この本の感想については、この前の記事で、本を購入記録を書いたときにあらかた述べたので、それでいいと思っていたのだが、もう少し書いてみたくなった。それで承前である。 この前の記事で、「読んでみて何だかなあと思った」といったことを書いたのだが、それがどうしてなのかと考えてみた。世代論というのは嫌いなのだけれども、やはり年齢の違いということが大きいのだろうかと思った。 著者は1964年生まれであるから、60年安保の時にはまだ生まれていない。1968年にもまだ4〜5歳である。わたくしは戦後の生まれだから、戦前・戦中の昭和の重苦しさというのは、知識としては理解できても、実感としてはわからない。それで松尾氏の本を読んで、われわれの世代はまだ肌で感じたであろう「マルクス思想」に射していた後光のようなもの、あるいは「革命」という言葉が持っていた独特の輝きのようなものを、氏の世代はまったく体感としては解らな
――といっても全然体系的ではないけれど、10年、ものによっては20年積読だった本をついに紐解く。 ボリシェヴィズムと“新しい人間”―20世紀ロシアの宇宙進化論 作者: 佐藤正則出版社/メーカー: 水声社発売日: 2000/03メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 137回この商品を含むブログ (3件) を見る全体芸術様式スターリン 作者: ボリスグロイス,亀山郁夫,古賀義顕出版社/メーカー: 現代思潮新社発売日: 2000/07/01メディア: 単行本 クリック: 13回この商品を含むブログ (9件) を見るコミンテルンと帝国主義―1919-1932 作者: 嶺野修出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1992/02メディア: 単行本 クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る 西洋マルクス主義を持ち上げてロシア・マルクス主義を不当に貶めることはやっぱりよろしくない。しか
私は小林秀雄も江藤淳も、あまりまじめにフォローしているわけではないが、それでも初期の小林秀雄(『さまざまの意匠』『私小説論』など)には共感を持って親しんでいるので、江藤淳のこの本も特に前半は興味深く読むことができた。自然な流れとして、自分の自由論や『ヨブ記』解釈のポイントを確認しながら読むことになった。以下は、その読書ノートである。 テクストの中に自己自身を見出すという形で主体を論じること、それが私の主体理解である。言語という象徴界への参入と臣従によって主体となるのである。その原型を反復する形で、宗教的主体は教典の中に自己自身を見出さねばならない。 それとの類比で言えば、スターリン主義的主体の場合、マルクスのテクストの中に割り振られたキャラクター(革命的プロレタリアートという役割)を引き受けるということになる。 その自己の内実は空疎であり、抽象理論によって規定されたものにすぎない。農村共同
「マルクス主義は、なぜ再び盛り上がりつつあるのか」(The Guardian) の一部より(拙訳、強調は訳者): 私たちが経済不況と闘うこと。そこに、マルクス主義が私たちに教えるべきことを持っている、もう一つの理由がある(階級闘争の分析よりも)。つまり、経済危機の分析である。最近出た恐るべき大著『無よりも少ない: ヘーゲルと、弁証法的唯物論の影』において、スラヴォイ・ジジェクは、私たちが今まさに耐えている経済危機に、マルクス的な思考を適用しようとしている。ジジェクは、基本的な階級闘争は、「使用価値」と「交換価値」の間にあると考えている。 この二つの違いはなんだろうか? ジジェクはいう: 各商品には使用価値があるが、それはニーズや欲求を満足させる有用性で測られる。いっぽう商品の交換価値は、伝統的に、それを作るのに必要な労働の量で測られる。現在の資本制において、交換価値は自律的になっている。
承前*1 Ernest Gellner “Religion and the profane” http://www.eurozine.com/articles/2000-08-28-gellner-en.html (宗教としての)マルクス主義の衰退について語っている部分。 先ず、蘇聯崩壊後に明らかになったことは、実は〈信者〉(〈主義者〉)が殆どいなかったということである。「特権」(利権)にしがみつく奴はいても「教義」にしがみつく奴はいない。何故か。ゲルナーはマルクス主義の思想としての特性及び系譜に言及する; What undid Marxism is not its secularism, but on the contrary, its pantheism that it inherited from Spinoza through Hegel. The basic Messianic
久しぶりにベンヤミンを読み返した。『歴史哲学テーゼ』は以前にも何度も読んだことがあったが、難解でいまひとつピンとこない所が多かった。今回、意外に腑に落ちるものだということが理解できたので、その点をノートしておこう。 まず、有名なチェス・ロボットを陰で動かしている小人の話。それが神学だという。これが、これまでよく理解できていなかった。それは、「神学」を何かエルンスト・ブロッホの神学のようなものと考えていたからである。ブロッホが革命的神学に求めるものは、せいぜいのところノスタルジーにすぎない。だからブロッホが取り上げている対象は、過去の神学的事象、たとえばトマス・ミュンツァーなどである。 しかしベンヤミンの神学は、もっとアクテュアルなものであり、現実に働く力である。ベンヤミンが研究対象に据えるのは、神学ではなく、はるかに世俗的なもの、パリの風俗とか、子供の遊びとか、映画やファッションなどである
最近、個人的に話をした人の口から大竹文雄『競争と公平感』の書名がぽつぽつ出ていて、気になったので読んだ。 Luigi Zingales の論文"capitalism after the crisis"を紹介している一節から。 アメリカでは、マルクス主義の影響がほとんどなかったために、市場主義と大企業主義を区別することができた。これに対し、マルクス主義の影響が強かった国では、市場主義と大企業主義は、マルクス主義という共通の敵と戦うために団結せざるを得なかった。その結果、市場主義と財界主導(大企業主義)の区別があいまいになり、財界主導の政策がとられるようになった。(22頁) そして、こうした指摘は「日本で市場主義がうまく根付かなかったこともうまく説明している」。小泉政権下での経済政策は、市場主義的な政策と財界の利益誘導、利権獲得の両方が混じったものになっていたと解釈できる。したがって、
いわゆる「新自由主義」のインパクトが強烈過ぎたため、そしてこれと関連して、「現存する社会主義」の経済体制が崩壊したため、我々はかつての――19世紀どころか20世紀の過半までの保守主義が、必ずしも経済的自由主義、市場重視の立場と親和的ではなかったことを忘れてしまっている。何より我々は、「産業社会論Industrialism」というパラダイムのことをほとんど思い出せなくなっている。しかしながらそれは20世紀中葉、50年代からおおむね70年代まで、近代社会科学の正統、保守本流ともいうべき立場として、社会学、政治学を中心に欧米の社会科学における支配的なパラダイムだったといってよい。20世紀中葉の保守的な社会科学者は、実証科学者としてはこのパラダイムにつくことが多かったといえよう。たとえばレイモン・アロン、ラルフ・ダーレンドルフといった名を想起しよう。あるいはまたセイモア・マーティン・リプセット、ラ
本業の室町政治史研究と並行して、というよりここ数年本業と化していたアイヌ史研究は、まさに「階級闘争史観」では描ききれなかった歴史像である。アイヌ史以外にも70年代に提示された「人民闘争史観」という分析概念によって「階級闘争史観」では光を当ててこられなかった様々な分野の研究が進展した。琉球史研究の進展も同じ側面で考えられなければならない。女性史研究の進展もそうだ。マイノリティ史研究の進展が70年代から80年代の歴史研究を特徴づける研究動向だと思うが、それは「階級闘争史観」で何でも説明できる、とは少なくとも歴史学の主流では考えられていない、と私は考えていた。 http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20080809/1218281961 ここで述べられているのは「歴史学」研究の流れについてである。これを読んで、日本の左翼運動というか社会運動のことを思い出した。197
HALTAN氏に対してそもそも私が最初に蕪雑な言葉を投げつけたことからHALTAN氏との論争が始まったのだが、その結果HALTAN氏には不快の念を与えたであろうことに対しては反省せねばなるまい。私がHALTAN氏の言い分に対して不快感を持っているのは事実だが、実際責任の大部分は私が最初に「階級概念が分かっていない」とかみついたところにある。これはもう少し正確に表現する必要があった。HALTAN氏は階級闘争史観という概念を不正確に恣意的に使って、自分の左翼嫌いの正当化に使っている、と。 もう一度引用したい(「http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080806」)。 自分がサヨクを嫌いなのは、 (1)階級闘争史観で何でも説明できるのか? (2)仮に(1)が正しいとして、その論理の貫徹が不徹底ではないか?(中略) 主にこの2点です。難しいことは何もない。簡単でしょ? 階級
承前*1 前田年昭「墨家と毛沢東思想」http://www.linelabo.com/cr021.htm 戦国時代に孔子の弟子たち(儒家)と対峙,天下の思想界を二分したのが墨家である。墨子は孔子の「仁」から出発したが,工商業者の思想,市民社会の思想として発展させられ,「天下の賤人」たる工人を教育,組織した。これは,毛沢東が,近代西欧の個人主義やアナキズム,マルクス主義から出発して「大同」を主張し,社会の最下層の遊民,外村人,工人階級を教育,組織し,強力な解放軍をつくりあげたのと酷似している。ともに「防禦」から出発する弱者のための軍事論であったことも共通である。 墨家は滅んでのち,その思想は「墨侠」と呼ばれる遊侠集団にうけつがれた(増渕龍夫『中国古代の社会と国家』)。その社会的基盤は最下層の遊民である。現代の中国遊民無産階級の心に,墨家の思想が生きつづけていたからこそ,かれらは毛沢東に共鳴し
この本については、既に亀山郁夫氏が『文学界』8月号で取り上げている。本書の稀有の魅力と美点については、亀山氏の意見にほぼ同意できる。その点をここでは繰り返すことは避けて、むしろいくつかの批判的考察を付け加えたい。 ここで強調しなければならないのは、我々の批判は、佐藤氏の本の魅力と力を構成する点と不可分であるということである。 亀山氏は、旧ソ連の様々に異なる立場の人々が、佐藤氏に対して次々に胸襟を開き、貴重な情報を与えるのに驚嘆しながら、「それは、何と言っても、自己保身を求めないまっとうな政治家の前では、人並み以上に膝をおる誠実さが「マサル」自身に備わっていたからだ。まさに「人間力」。」と述べている。 私には、この点は「人間力」だけでは説明がつかないように思われる。むしろ、氏の神学的素養が問題なのではないだろうか?モスクワで、氏が反体制派や異端派の知識人群に迎え入れられるきっかけが、モスクワ
※初出は、ミクシィのレビューです。 笠井潔は、『テロルの現象学―観念批判論序説』を、自分が「連合赤軍事件に対して有責であるという思い」から書いたという。有責であるというのは、かつて黒木龍思というペンネームで「拠点」「情況」「構造」「革命の武装」といった新左翼系理論誌で評論を書き、党派活動に関与していたためである。笠井は、マルクス主義は論理必然的に連合赤軍事件のようなテロリズムを生み出すという認識に到達し、戸田徹・小阪修平らとともに「マルクス葬送派」を標榜するようになる。 日本の「マルクス葬送派」は、フランスにおける「新哲学派」に対応している。フランス思想史を概観すると、実存主義−構造主義−記号論−ポスト構造主義という流れの後に浮上してきたのが、「新哲学派(ヌーヴォー・フィロゾフ)」である。アンドレ・グリュックスマンの『料理女と人喰い(邦訳名:『現代ヨーロッパの崩壊』新潮社)と『指導者=思想
2009年1月2日に北京で取材した、マルクス主義の大理論家である謝韜(しゃとう)氏は、私に次のように言った。 「20世紀はアメリカ型資本主義とソ連型共産主義とスウェーデン型民主社会主義という三つの社会制度が歴史の舞台でモデルコンテストを演じた時代だった。前二者は敗退し、民主社会主義が勝利を収めた」 それならば、中国型共産主義制度をどのように位置づけ、そして中国の社会制度はどうあるべきだと考えているのか、今回もまた謝韜氏の取材を中心としてご紹介したい。 * * * (前回から読む) 遠藤:謝韜先生は社会制度のモデルコンテストで優勝したのは民主社会主義だと仰いましたが、では中国はこのあと、どうすべきだとお考えですか? 謝韜:もちろん民主社会主義の道を歩めばいいのです。 遠藤:となると、現在の社会主義国家体制を放棄するということでしょうか、それとも社会主義国家の枠内で、ですか? 謝韜:そ
松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんの本の評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================
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